Turn.40
逆転スピーチ 前編
翌日の早朝、私はドアから顔だけ出して、ホテルの廊下を歩いているうまのすけさんに手招きする。
「あ?」
私に気付いたうまのすけさんは眠そうな顔で近付いてくる。腕の届く距離まで来た瞬間、私はスーツの襟を掴んで室内へ引っ張った。
「う、お、お、お!?」
すぐにドアを閉めて背中を扉につける。うまのすけさんは状況が飲み込めないようで、わけがわからず狼狽していた。
「うまのすけさん、話があります」
「なっ、いっ、いきなり何すんだ苗字!」
うまのすけさんが私に吼えるが、気にせず彼を睨み返す。
「昨日の話、どういう事ですか!」
昨夜、私は聞いてしまった。うまのすけさんとオウ様が密談をしているのを。そしてその会話に出てきたのは身も凍りつくような単語――『暗殺計画』。
「……聞いていたのか」
「どういう事ですか、暗殺計画って!」
「オイ、声が大きい」
「す、すみません……」
自分でも気付かない内に大きい声が出ていたらしく、うまのすけさんが私の言葉を遮った。
声を潜めながら、私に冷たく言い放つ。
「何でもねえ、お前は気にするな」
「気にするに決まってるじゃないですか。どういう事か教えてください」
「言うかよ」
「教えてくれるまで離しません」
私はうまのすけさんの腕を掴んでいる手に少し力を込めた。ちょっとやそっとじゃ離れないという意思表示だ。
「なら一生教えねえ」
「へっ?」
実にひねくれた返答に、思わず間抜けな声を出してしまった。
「何で教えてくれないんですか?」
「……チッ」
「私はそんなに頼りないですか?」
自分で言っておきながら、そうかもしれないと勝手に傷付く。否定も肯定もしてくれないうまのすけさんに心がチクリと痛んだ。
目の前に居るうまのすけさんはうまのすけさんじゃないみたいで。冷たくて、尖ってて、寂しい。
「ちょっとからかっただけだ」
「ええ、こんな時に……?」
どこまでも鈍いやつだなお前は、と中指で額を弾かれた。呆れた顔をするうまのすけさんだけど、私だって呆れてしまう。でも良かった、いつものうまのすけさんだ。
「オウ様に頼まれたんだ、ニセの暗殺計画を」
「ニセの、暗殺計画?」
「ああ。今日の演説会で『自分は物怖じしない強い大統領』だと見せ付けたいそうだ。外城に断られたから、俺にその話が降って来たってわけだ」
「……本当に誰かを暗殺するわけじゃなかったんですね、安心しました」
うまのすけさんの腕を掴む手から力が抜けて、するりと自分の元へ戻って行った。
ホッとした。うまのすけさんとオウ様が私の手の届かない所へ行ってしまうのではないかと思うと、心細くて堪らなかった。
「それで、どうするんですか?」
「まだ考え中だ。まあ、チェスで培った知能をフル活用すりゃこんなもん簡単だぜ」
「それはどうかと」
「うっせー」
余裕綽々といった様子のうまのすけさんの言葉に同意しかねると、小さく舌打ちした。だって、チェスと比較するなんて。
「俺はあの大統領をただの依頼人じゃなく、人としても尊敬してんだ。だからちっとくらいは余興に付き合ってやっても良いって思ってんだよ」
そうか、私だけじゃなくうまのすけさんも、オウ様を父親のように慕っていたんだ。
……私が今考えていることは間違っていると思う。それでも、言わずには居られなかった。
「私も協力します!」
「駄目だ」
「どうしてですか?」
「こればっかりは、お前に任せられねえ。安心しろよ、大丈夫だから」
うまのすけさんの大きな手が私の頭を優しく撫でる。納得行かない表情を浮かべながらうまのすけさんを見上げると、優しいけれど寂しそうな目で私を見つめ返した。
「あの時、俺の名前を呼んでくれたよな」
私はいつだってうまのすけさんの事を呼んでいる。けれど、彼が言っているのはきっとそうではなく、コロシヤに襲われた時の事だろう。
「……はい」
「お前の声だけはハッキリ聞こえてたぜ。……もう1回、呼んでくれないか」
ドキ、と胸が高鳴った。
急に何を言い出すんだろう。
「え、と……」
たった一言、名前を呼べばいいだけなのに。どうしてか今更照れくさくて言葉に詰まってしまう。
するとうまのすけさんの手が私の頬を撫でて、親指が唇に触れた。自然と、私の唇が目の前の男性の名前を紡いだ。
「……馬乃介、さん」
「苗字……いや、名前」
馬乃介さんの顔がゆっくりと、近付いてくる。私は抵抗する術などなく、最初から受け入れることしか知らないみたいに、ただじっと馬乃介さんを待っていた。
もう少しで、唇が重なるーー
瞬間、ドンドンドンと背中に面したドアが外から叩かれた。
「苗字ー! さっさと起きろ、時間だぞ!」
「ぎゃああああああ起きてます! 起きてます!」
「うおォっ!?」
私は心臓が跳ね上がるほどびっくりして、咄嗟にうまのすけさんを突き飛ばしていた。
声の主は外城さんで、助かったという気持ちと後少しだったのにという残念な気持ちが入り混じる。
「先に行ってるからな、早く専用機まで来いよ!」
「は、はいィ!」
全力疾走した後のように、ドッドッド、と心臓が馬鹿みたいに騒いでいる。外城さんの足音が離れたのを確認し、私は尻もちをついているうまのすけさんに手を差し伸べた。
「ご、ごめんなさい、ついっ!」
「イッテーな……くそ、外城の野郎……」
私の手を取って体を起こしながら、うまのすけさんは外城さんに文句を言った。
「い、行きましょうか、うまのすけさん」
「おい呼び方戻ってんぞ」
うまのすけさんてば鋭い。けどこれがいつもの私だから、やっぱり今はうまのすけさんって呼びたい。
そしてオウ様とのニセの暗殺計画も、最後の親孝行なのかな、と思うと応援したい気持ちに変わった。大丈夫、彼は道を踏み外すような人ではない。
「うまのすけさん。私、信じてますから。頑張ってください」
「……おう、任せとけ」
うまのすけさんが、ニッと歯を見せて笑う。いつもと変わらない、この眩しい笑顔が私は大好きなんだ。
「私、先に行きます」
「ああ、俺も後から行く」
私は背を向けてドアを開き、すぐにその場から走り出した。
追い付かれないように、逃げるように、熱の帯びた顔を冷ますように、ただ走った。
――ああああ! もう! 顔が熱いよ、うまのすけさんのばか!
意味がわからない! 何であんなことしたの!?
ていうか外城さん、タイミング良すぎなんですよ!
べ、別に残念とかそういうわけじゃないですけど、もうちょっと遅くても良かったんじゃないかなっていうかそういう事じゃなくってええぇ!!
「お、ようやく来たな」
「……はい、全速力で……!」
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら走っていると、いつの間にか大統領専用機に到着。ゼエハアと肩で息をしながら外城さんに返事をする。機内へ乗り込むと私とうまのすけさん以外の皆が既に待機していた。
深呼吸しながら乱れた呼吸を整えていると、遅れてうまのすけさんもやってきた。
「よし、これで全員揃ったな。今日の演説会で最後だ、みんな気合入れろよ!」
「「「ハッ!」」」
全員で気合の入った返事をし、私達はオウ様と共にひょうたん湖へ。
「親愛なる諸君! 今回の来訪には理由がある!」
いよいよオウ様の最後の演説会が始まった。
私達は聴衆に注意しながらも、オウ様の話に耳を傾ける。何度も聞いたフレーズ。各国で、時にはその国の言語で話をされていた。
「先日、長らくわが国を苦しめていた犯罪組織が壊滅した!」
外城さんはオウ様の右側に、うまのすけさんはオウ様の左側に。そして私は演説舞台の後ろに設置してある大統領専用機の入り口に立っていた。だから3人の姿も観客席もよく見える。
「戦いはまだ終わってはいない!」
その時、うまのすけさんが何やら手を背中に回し始め――隠していた銃を取り出した。
「ッ!」
落ち着いて。これはニセの暗殺計画だ。けど、実銃を使って一体何をするつもりなんだろう。一応、うまのすけさんにも注意を払わなければ。
「……私はここに宣言しよう! あらゆる巨悪に鉄槌を!」
オウ様が拳を突き上げると、聴衆達も応えるように歓声を上げた。
その時だった。
パァン、と銃声が公園内に鳴り響いたと同時に、側面に飾られた大きいバルーンが破裂した。
うまのすけさんが背中越しに左側に設置してあった赤いバルーンを撃ったとわかったのは私だけだ。
「銃声!?」
「うわああああー!!」
「きゃああああ!!」
聴衆の歓声が悲鳴に変わる。
外城さんとうまのすけさん、私は足元に置いてあった防弾アタッシュケースを手に取って広げた。
そしてまた――
パンッ!
2度目の銃声が聞こえた。
「いやああああー!」
「わあああああああー!」
聴衆たちの悲鳴が一層大きくなる。
今度はアタッシュケースで隠して発砲したのが見えた。バルーンが破裂したという事は実弾だ。流石にやりすぎじゃないか。
外城さんとうまのすけさんがアタッシュケースでオウ様を護衛しながらこちらへ向かってくる。3人を機内へ誘導した後、私も中へ入ってドアを閉めた。
「こちら外城! 今、何者かによって発砲された! オウ様は無事だ。外に居る者は聴衆を見張れ!」
外城さんがインカム越しに皆に命令する。うまのすけさんと外城さんはドアの前で待機、私は怯えるオウ様をセキュリティルームへお連れする。
「大丈夫ですかオウ様、お怪我はありませんか?」
「ああ。大丈夫だ、苗字さん」
「……何故このような事をお考えに?」
私は我慢できず、ついにオウ様に疑問をぶつけた。悲鳴を上げて逃げ惑う人々を見て、やっと私は自分が間違っている事に気付いた。それはオウ様自身も同じだろう。
「ッ! 知っていたのか」
「申し訳ありません、聞くつもりはなかったのですが……でも何故です、オウ様!」
責めるつもりなんてない。むしろ私自身が責められるべきだ。止めようと思えば、きっと止められたはずなんだ。
オウ様は沈黙し、申し訳無さそうに頭を垂れる。
「……すまない」
「いいえ、私こそお止めできず申し訳ありません。うまのすけさんもどうしてこんな事を……」
「それは、……いや、何でもない」
オウ様は口ごもり、私の知らない真実を隠そうとする。もうこの際だ、全て洗いざらい吐いて欲しい。
「何か理由があるんですか? お願いします、教えてください!」
オウ様に詰め寄る。言う言わないのやり取りを幾度かした後、オウ様は観念し、大きく溜息を吐いた。
「……本当は、口止めをされていたのだがね。この暗殺計画は元々外城君に持ちかけたものだ。だが、断られた。次に頼む予定の内藤君にもこの計画を断られたら……苗字さん、君に頼もうとしたのだ」
「わた、し……?」
暗殺計画の裏にある予想だにしなかった真実に、私は言葉を失った。
つまり、うまのすけさんは……
「内藤君にもその話をしたら『自分がやる』と。だから安心していたのだ」
……うまのすけさんは、私に暗殺計画をさせない為に自ら動いたんだ。……私の"為"? 違う、私の"せい"だ。
じくじくと胸の奥が痺れるような痛い感覚がする。
その時、ドアの向こうから外城さんとうまのすけさんの声が聞こえた。何か言い争っているようだ。
「オウ様、申し訳ありませんがここで身を隠していて下さい!」
「あ、ああ……!」
私はオウ様にそう告げて、セキュリティルームを飛び出した。
「うまのすけさんと外城さん! 何して……ッ!」
すると、そこには銃を外城さんに向けているうまのすけさんと、懐から銃を取り出そうとしてる外城さんが対面していたのだった。
(20120221)
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Smotherd mate