Turn.43
クイーン・メイト
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ドアの外にうまのすけさんが居るのを確認して、ドアを開けた。そして声を掛けた瞬間、うまのすけさんは一歩踏み入り何も言わずに突然私を抱き締めた。
廊下の向こう側の青空が徐々に狭められ、バタン、とドアが閉まった。玄関には私とうまのすけさんの2人きり。
唐突な展開に心臓がドキドキして、どうしよう。
「うまの……」
「好きだ」
「ッ!」
うまのすけさんの腕の中で私は微かに体を揺らした。呼吸すら許されないようなこの空間で、私はただ目を見開いてうまのすけさんの言葉を聞いていた。
「この言葉を言うだけで、随分と時間がかかっちまった」
うまのすけさんの、私を抱き締める力が強くなる。でも胸が苦しいのはそれのせいだけじゃなく。
「う、まのすけさん……!」
「お前はどうだ、教えてくれ」
「えっ……」
唐突な告白。そして、私の気持ちは――そんなの、決まっている。でも、どうしてだろう。緊張しすぎて、上手く言葉が話せない。
好きな人の胸の中で心音を感じることが出来る幸せを改めて味わっていると、うまのすけさんが私の頬に手を伸ばした。少しだけ屈んで、私の顔を自分に向けさせる。
「本当のファーストキスをやるよ」
そのまま、私とうまのすけさんの唇が触れ合った。静かに目を閉じると、唇の柔らかい感触と微かなうまのすけさんの香りがより伝わってくる。
永遠と続くかと思われたそのキスは、だがすぐに離れ、再びうまのすけさんと見つめ合う。恥ずかしくて堪らない。真っ直ぐに彼の顔が見れない。
「ちゃんと俺を見ろ」
「……いきなり、何するんですか……」
困ったような、けれど迷惑でない声色でうまのすけさんに言う。私の頬に触れているうまのすけさんの手が、指先が優しく私を翻弄してくる。
「お前の顔、熱いな」
「だ、誰のせいだと、思ってるんですかっ……」
さっきから予測不能な事ばっかり。心の準備なんてまだ何も出来ていなかったのに。うまのすけさんの行動全てが私の予想を遥かに上回って、もう思考が停止してしまいそうだ。
「誰のせいなんだ? 教えてくれよ」
「ッ……!」
ニヤリと口端を上げて私に問い掛けてくる。私があたふたしているのを見て楽しんでいるんだ。
意地悪だけど、そんなところも大好きで、そして私は愛されているんだと実感してしまう。
「……馬乃介さんに決まってます」
正直に答えると、嬉しそうに笑った。
「こんな俺は嫌いか?」
嫌いだなんて、有り得ない。
「いいえ、私も馬乃介さんが好きです。ずっと前から好きでした!」
そう言うやいなや、馬乃介さんは再び唇を重ねた。互いの体温と感触を確かめ合うような、ゆっくりとした優しいキス。幾度も重なる唇が気持ち良くて、幸せで。
やっと口を離された時には、私は物凄く顔が熱くて、息も絶え絶えだった。
「ヘッ、やっと素直になったな。今度こそチェックメイトだ」
「もう……」
「いいねェ、最ッ高の顔だぜ。名前……」
「み、見ないで下さい……」
私がそっぽを向こうとしても、馬乃介さんの手に押さえつけられているせいで顔を逸らせない。そのまま顔を近付けて、低い声で囁く。このままじゃ、心臓が持たない。だと言うのに、馬乃介さんは私の余裕がない心も見ずに欲のままに接吻をする。
「見せろよ、お前の全部を」
「ん……」
繋いだ手の指を絡ませると、交互に重なる指の間隔が馬乃介さんの指の太さを感じさせる。手のひらが密着して、敏感な部分に触れているような気持ちになる。
馬乃介さんと出会ってから、随分と色んな事があった。最初はシャワーを上がった所をいきなり見られてビンタしちゃって。自己中心的で何とも苦手な印象だったけど、馬乃介さんは本当は素直で優しくて、一緒に居ると楽しくて、私はどんどん彼に惹かれていった。気付けば、好きになっていた。きっと私はずっと、馬乃介さんとこうなりたかったんだ。
何だか感慨深い気持ちになり、馬乃介さんの胸元に抱きついた。
「大胆だな……って、オイ!」
しかし、力が抜けてズルリと倒れかけた。咄嗟に馬乃介さんが私を支えてくれる。
「名前! おい!」
「ん……」
馬乃介さんの私を呼ぶ声が微かに聞こえてくる。。長期間の出張、予想外の事件、思わぬ出来事、そして好きな人との心の通じ合い。色んな事象が、いよいよ疲れとなって私の体に『休め』と言ってきたらしい。
このまま寝てしまいそうだ。起きたら、全てが夢だったなんていうのは嫌だ。
それだけは、絶対に――……。
重い瞼が少しずつ、私の世界を閉じていった。暗闇が私の視界に広がったかと思えば、既に意識は喪失していた。
「――んあ?」
目を開くとそこは見慣れた天井。体を起こすと、どうやら私は自分のベッドで寝ていたようだ。
「起きたか?」
「……へ?」
右斜め後ろから声がしたので座ったまま振り返ると、私の隣に馬乃介さんが寝転んでいた。
「うまのすけさん! 何して……」
「オイコラ、な・ま・え」
「あ……ま、馬乃介さん!」
「イイ子だ」
馬乃介さんも体を起こし、私の頭を優しく撫でてくれる。
なんだか撫で方1つとっても今までと違う気がする。何ていうか、甘い?……そんな感じ。
「私、寝ちゃったんですか?」
「ああ、急に倒れるからビックリしたぜ。かれこれ3時間は寝てただろうな。でけえイビキまでかいて、よだれ垂らしてアホ面だったぜ」
「嘘だ! 絶対嘘ですそんなの!……嘘ですよね!?」
「さあてな」
馬乃介さんは教えてくれそうにない。どうやら真実を知っているのは彼だけだ。
ああ、もし本当に馬乃介さんの言う通りだったらすごく恥ずかしい。
「せっかく来てくれたのにごめんなさい……」
「気にすんなよ、お陰で俺も休めたしな。今日は早いとこ休んどけ」
「す、すみません……」
「謝んなって。俺も今日は早めに帰って寝るとするか」
馬乃介さんはベッドから足を出して立ち上がろうとする。咄嗟に手を伸ばして馬乃介さんのシャツを引っ張った。
「ん?」
「あの……もうちょっと、居てくれませんか……?」
伺うようにして、私は馬乃介さんにお願いする。やっと大仕事を終えて休みを迎えるんだ、それも両想いになった馬乃介さんと一緒に。
「チッ……」
ま、まさかの舌打ち? やっぱり調子に乗りすぎちゃったかな。
しょんぼりしながら馬乃介さんのシャツを離す。
「そんな顔で言われたら、聞くしかねえだろ」
馬乃介さんは頭を掻きながらそう言った。
良かった、嫌がられたわけじゃないみたい。まだ一緒に居てくれるんだ。
「とりあえずベッドから出ようぜ。お前がその気なら俺は構わねえけどな」
「出ます! 今すぐに出ます!」
意味深な言葉に焦って、すぐにベッドから飛び出る。馬乃介さんを置いて寝室を出てリビングまで早歩き。
そんな心の準備はまったくもって出来ていない。いや、どんな準備って言われましてもその、なんていうか、何でもないです。
「いくらなんでも、慌てすぎだろ。からかいがいのある奴だな」
馬乃介さんがからかうような口調でそう発しながら寝室から出てきた。
でも、あの様子じゃ『からかい』ではなかったと思う。だって、目が本気だった。
「飯でも行こうぜ、2人で打ち上げだ」
「馬乃介さんのおごりですか?」
「仕方ねえな。今日は記念日にもなるしな」
「えっ……あ、そうでしたね……」
「なあ、名前?」
馬乃介さんの問い掛けに私はそっぽを向く。無視すんなよコラ、と言いながら私の腰に手を回して抱き寄せる。
さっきから甘ったるい展開が続いて、今一緒にいる人は本当に馬乃介さんなのか、そしてこれは現実なのか疑いたくなる。けれど、紛れもなく現実だ。
知らなかった。馬乃介さんって、好きな人相手にはこんなにも優しくて、勿体ぶらずに心を全てさらけ出してくれるんだ。
食事を済ませると、馬乃介さんは私を自宅まで送ってくれた。今日はエントランスでお別れだ。
「名前、明日は暇か?……って、暇だよな」
「はい、お休みを貰ってますからね」
「草太が俺らに会いたがっててよ。だから明日は3人でどっか行かねえか?」
「ぜひ! 私も久々に草太さんに会いたいです!」
草太さんと前に会ったのは3ヶ月以上前だ。元気にしているだろうか。
それに、草太さんが会いたいと思ってくれているなんて、嬉しいな。もう立派な友達だって思ってもいいのかな。
「何だか嬉しそうだな」
「だって草太さんは日本で出来た大切なお友達ですもん!」
「へえ、じゃあ俺は?」
「えっ、えっ……!」
「ほら言えよ」
馬乃介さんに急かされる。変な所で妬かないで欲しい。仕返しと言わんばかりに私が辱められるから。
おずおずと口を開き、未だ自分には実感がわかない言葉を紡ぐ。
「こ……恋人、です……」
「言えたじゃねえか」
「言わせたんじゃないですか!」
「じゃあ違うってのか?」
「違くはないですけどっ!」
傍から見ればどう見てもバカップルだ。周りに誰も居なくて良かった。
「草太に電話しとくからよ、明日はお前んちに集合な。時間はそうだな……10時ぐらいにしとくか」
「えっ、ちょっと勝手に……、んっ」
抗議しようとするも、急に馬乃介さんが私にキスをしてくるので遮られてしまった。
おやすみのキス、というやつかな。
「じゃあな、しっかり寝ろよ」
「ま、馬乃介さんこそ!」
「はは、わかってるって」
馬乃介さんは満足したのか、私に手を振ってさっさと帰って行ってしまった。
今日一日ずっと、馬乃介さんのペースだった。決して嫌ではない。けど、まだ慣れない。
馬乃介さん、馬乃介さん。
胸がドキドキして苦しいよ。
体中から馬乃介さんへの『好き』が溢れ出すの。
馬乃介さんも私の事を『好き』だって、言葉で、態度で表してくれる。
こんなにも心臓が、壊れそうなくらいに鼓動しているのに。ああ、それでも生きているんだ。
明日に備えて早めにベッドに潜るけど、微かに馬乃介さんの匂いが残っていて、私はしばらく眠れなかった。
(20120222)
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Smotherd mate