Turn.48
最後のオポジション中編
私の腕を押さえ付ける草太さんを見て尚、信じられない気持ちでいっぱいだった。草太さんは全てに絶望したかのような、世界を捨てたような目をしている。
「あーあ、あと少しだったのになあ」
草太さんは私の腕を引っ張って屋上の端へ歩き出す。
「おいやめろ! 名前を離せ!」
柵の刺さったレンガの上に立つと、私の腕を引いて隣に立たされる。柵の高さは腰の少し下位置になり、少しでもバランスを崩せばそのまま向こう側へ落ちてしまいそうだ。
草太さん、どういうつもりなんだろう。
私は未だに状況がよく飲み込めず、ひたすら思考を巡らせた。
「全部、お前の狂言だったんだろ? 草太」
「……」
草太さんは何も答えない。
「どうしてこんな事をした。答えろ草太!」
馬乃介さんの怒鳴り声が空に響く。しかし草太さんは全く意に介さず、ハァ、と大きなため息を吐いた。
「ホント、間抜けだよねぇ……」
その声は聞いたこと無いくらい冷たくて暗かった。
草太さんが指笛を吹くと屋上に咲いていた桜の木からルーサー君が出てくる。そして草太さんの肩に乗り、縛っていた髪の毛を解く。2つに分けて縛られていた髪の毛はサラリと落ちて、草太さんのサイドに綺麗に分かれる。
目付きが鋭くなり、不敵な笑みを浮かべた草太さんは、いつもの気弱で優しい彼とは全くの別人に見えた。
「『どうして』、って……」
草太さんは懐からナイフを取り出して、私の喉元に突きつける。月光を受けてギラリと輝くそれは間違いなく私の命を狙っていた。
「お前のその顔が見たかったからだよ、馬乃介! そこから一歩でも動けば、どうなるかわかってるよな?」
「テメエッ!」
これで馬乃介さんはおろか、私までも動けなくなってしまった。今の草太さんには隙がない。確かな殺意がこちらにもビシビシと伝わってくる。
「あーあ、結局あのぶりっ子女も、金に汚いジジイも役に立たないしさ」
「……どういう事ですか?」
「ん? 名前ちゃんさ、頑張って守ってなかったっけ? 馬乃介と一緒に」
「……ッ!」
まさか……
「河合青子と御堺乃蔵……!?」
「そうそう、そんな名前の奴ら。使えなかったなー。結局、自業自得で潰れたし」
そんな……。私達が守ってきた依頼人達は、草太さんが動かしていたの……?
そういえば、御堺さんを護衛している時に誰かと電話をしていた事があった。内容は私と馬乃介さんについて。
『――あいつらなど雇わねば良かった』
もしかして、あの時の通話相手は――草太さん?
そんなにも前から仕組まれていた事に愕然とし、体から一気に力が抜ける。顔面蒼白な私の顔を覗き込んで、草太さんがにっこり笑った。
「オツカレサマ。最低な依頼人だったでしょ?」
「あなたって人は……!」
「おっと、あまり動かない方がいいよ? 名前ちゃんが俺を倒すよりも早く、俺は君の頚動脈を傷付ける事が出来る」
ナイフの切っ先が私の首筋に当たる。私は喉まで出掛かった言葉を飲み込み、再び黙り込んだ。
「名前! 草太、名前を離しやがれ!」
「お前もだよ馬乃介! 結局思い通りに動かなかったけどさぁ、なかなか面白かったよ。暗殺ショー」
「「ッ!!」」
その言葉に私は驚愕し、馬乃介さんは触れられたくない様な反応を示した。
「聞いてよ名前ちゃん。俺さ、あの大統領が日本に来る前に馬乃介に電話したんだ」
「草太、やめろ」
「どうやら相当、外城とやらを憎んでたらしくてさ。俺が暗殺計画を伝えたらバカ正直に実行してくれちゃってんの!」
「やめろッ!」
「まあ殺しはしなかったみたいだけどさ」
目の前が、真っ暗になった。
……私達はずっと、草太さんの手のひらの上で転がされていた?
「違う、俺は殺そうとなんかしていない! お前の話も冗談としか思っていなかった!」
「へえ、冷たいねぇ。暗殺計画は利用したのにな」
「……ああ、そこは利用させてもらった。なかなかの計画だったぜ」
馬乃介さんは草太さんのペースに惑わされないように少しずつ抵抗の意思を見せ始めた。ピンチの時ほどふてぶてしく笑えとは誰の言葉だっただろうか。
だがその反対に私は心臓が壊れそうで仕方なかった。
「何それ、ツマンナイの……開き直るなよ」
「ヘッ、流石俺のダチだな」
「……そのダチとやらを裏切ったのはお前だよね」
やはり草太さんの方が一枚上手なのか、鋭い切り返しに馬乃介さんは再び口をつぐんだ。
「18年前の事、覚えてるだろ? いや、忘れたなんて言わせない」
「それは……」
「あの日、俺は父さんの手伝いをするはずだった! なのにお前が!」
18年前の事件。
草太さんが言っているのは、きっとお菓子のコンテストの日の事だ。でもあれは、馬乃介さんのせいじゃないはずだ。
「ち、違います!」
「へえ? 何が?」
「それは馬乃介さんのせいじゃないです。全て、お父さんに命令されたから……馬乃介さんだってやりたくなかった、逆らえなかったんです……」
「ふぅん、やっぱりね。あの事、名前ちゃんに話したんだね」
2人だけの事なのに、部外者がしゃしゃり出るなんて草太さんにとっては不愉快極まりないはず。
いや、こうして私が人質に取られている以上、自分は部外者だなんて思ってはいけない。
「名前は悪くねえ、俺が勝手に話しただけだ!」
「隠し事は良くないって? そうだよな、人間誰しも罪を犯せば許しを請うよな! 罪を背負うより誰かに許された方が心が軽くなるもんなァ!」
「草太さん……」
草太さんが吠える度に胸が締め付けられる。こうやって自分の怒りをぶつけているが、昔のことを思い出すのは辛いはずだ。それでも自分の心を救おうと草太さんも必死なんだ。
「お前が友達だって!? 悪いけど俺はお前の事をそんな風に思った事は一度もないね!」
「草太……」
馬乃介さんが悲しい目で草太さんを見つめる。しかし草太さんはものともしない。むしろ彼が苦しんでいるのを心の底から楽しんでいる。
「ヒャッハハハ! もっと苦しめよ! 俺の苦しみはそんなもんじゃない!」
草太さんは下品な笑い声を上げながら馬乃介さんを煽る。
「お前は俺の仇だよ、馬乃介! お前の親父が俺の父さんを殺したんだ!」
「えっ!?」
私と馬乃介さんは同時に驚きの声を上げた。それは違う。彼の目がそう語っていた。
「どういう事だ?」
「だからさ、お前が俺の父さんを殺したんだろ? 親子揃って犯罪者とはお笑い種だよなぁ!」
「……」
「お前は屑だよ。馬乃介。最低の人間だ!」
どうして馬乃介さんは反論しないの。殺されたのは馬乃介さんのお父さんの方じゃないか。
「もう言葉も出ないかな? これは俺の復讐だよ、馬乃介。お前にとって大事なモノを今度は俺が壊す番だ」
「名前は関係ないだろ、やるなら俺にしろ」
「バカだね、そんなの何の意味も無い。お前ばっかり幸せになろうってのが許せないんだよ」
「くっ……」
「良いよね、お前は簡単に自分の罪を名前ちゃんに告白して1人でスッキリしちゃってさ。ああそれから、名前ちゃんは検事局に行ったよね? 馬乃介の話を確かめる為に」
矛先が私の方を向く。
確かに私は検事局へ行った。検事局を出てすぐに草太さんと会ったから、それは知ってるだろう。
でもどうして、事件の資料を見たことまで知っているのだろうか。
そもそも、何故草太さんはあんなにタイミングよく私と出会ったのだろうか。
「あれ? びっくりしてる?」
「どうして……?」
私の驚いた顔を見て無邪気に笑う草太さん。そして私のバッグについているコサージュを指差した。
「それ。大統領から貰ったっていう花にちょっと細工させてもらったよ。流石に盗聴器までは付けられなかったけど、場所さえわかれば十分だろ?」
「――ッ!」
発信機、だ。
全く気付かなかった。
「会ったんだろ、御剣検事に。すぐわかったよ。馬乃介から話を聞いて、事件の真相を確かめに行ったんだって。キミってそういう子だもんね」
「……そうです」
「で、絶望したんだろ? あのコンテストの主催者じゃなくて、馬乃介の父親が犯人だったんだもんな! 無理も無いよな、惚れた男が犯罪者の子どもで、本人も犯罪に加担してるんだもんなぁ!」
その言葉を聞いた私は草太さんを振りほどこうと力任せにもがく。首に突きつけられているナイフが首に触れ、小さな痛みが走る。
だがそんな事は一切気にせず、私は草太さんの頬を思い切り叩いた。
「確かにあなたは辛い思いをした。けど、馬乃介さんを恨むのはお門違いです」
「なに、すんだ!」
草太さんは叩かれた頬を押さえながら切っ先に血のついたナイフを私に向ける。
息を大きく吐き、胸に手を当てる。心臓がドクン、ドクンと、強く脈を打っていた。
「馬乃介さんのお父さんは犯罪者などではありません。……逆なんです」
「……ハア?」
「馬乃介さんの父親は氷堂伊作、そして彼を殺したのが風見豊。……草太さん、あなたの父親です」
「苦し紛れの嘘ってやつ? 信じないよ、俺」
草太さんは馬鹿にしたような顔でそう言い放つが、ナイフを持つ手が微かに震えている。
いつまでも友達の仮面を被った敵で居て欲しくない。表面上だけの付き合いなんてもうウンザリだ。
「嘘ではありません。それが御剣さんに教えて貰った真実です。馬乃介さんのいつも身に着けている指輪も証明になります」
「指輪?」
「『PH』と彫ってあるのは、ポール・ホリックという人名。馬乃介さんの父親である氷堂伊作は有名な彫刻家であり、ポール・ホリックという名で活動していたんです」
「名前、もういい。やめてくれ」
馬乃介さんが歩み寄りながら私の言葉を止めようとする。そんなに自分ばかりを犠牲にしないで馬乃介さん。あなたは本当にそれで良いの?
「良くありません! 真実と向き合わなければいけない時だってあるんです! 嘘だけじゃ駄目なんです、そんなのは本当の優しさでもなんでもありません!」
以前、オウ様が言っていた『嘘をどう思うか』という話に、馬乃介さんは、『大事なのは"嘘をつかない事"じゃなく"嘘をつき通す事"だ』と答えた。
あれはオウ様だけでなく自分自身の話でもあったのだと、今やっとわかった。
「この期に及んで何を言うかと思えば……。ああ、もういいや、死んでよ!」
草太さんが煩わしい物全てを取り払うようにナイフを高く振り上げた。
刺される――と、一歩後ずさる。
「あっ!」
しかし、一歩下がった位置にあるレンガは相当古かったのか、刺さっていた鉄柵もろとも崩れた。
「名前!」
均衡を失った体はぐらりと揺れ、外へと倒れていく。
手を伸ばしながらこっちへ走ってくる馬乃介さんと、しまったという顔をして目を見開いた草太さんが瞳に映った。
世界がスローモーションで見えるのは2度目だ。
確かあれは、大統領専用機でオウ様が命を狙われた時だった。あの時は馬乃介さんが守ってくれたけれど、今度こそ私は死ぬんだ。
そして私の体はビッグタワーの屋上から宙へと投げ出された。
(20120308)
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Smotherd mate