Turn.49
最後のオポジション 後編
ビッグタワーの屋上から空へと投げ出された私は咄嗟に手を伸ばして、別の柵を掴む。ガクンと揺れて、足が風にさらされる。
「くっ……!」
こんな中途半端な形で死にたくない。
ここで落ちたら草太さんと馬乃介さんが仲直りできなくなる、そう思うと意地でも死ぬ気にはなれなかった。
必死に柵を握っていると、馬乃介さんが柵から身を乗り出して私の腕を掴んだ。
「大丈夫か! 名前、掴め!」
「は、はいっ、馬乃介さ……」
その時、馬乃介さん越しに見えた草太さんは――ナイフを頭上に掲げたまま馬乃介さんの背中を狙っていた。
月の光を受けて銀色に煌くそれを振り下ろせば、確実に馬乃介さんと私の命を奪えるだろう。
「お……お前がこのまま死ねば、いいんだ……!」
「馬乃介さん逃げて! お願い、手を離して!」
「バカ野郎! 絶対に死んでも離さねえからな! しっかり握ってろ!」
馬乃介さんが私の腕を一層強く握った。
私は馬乃介さんに腕を支えられ、柵を掴んだ手に力を込めて壁に足を掛けるけど滑ってしまって上手く上れない。
早くしなければ、と思うほど焦ってしまい、柵を握る手が汗ばんでくるのを感じる。
「草太さんお願い……やめて……!」
草太さんに何度も声を投げかける。しかし何かに乗り移られたかのようにブツブツと呟いているだけだ。
「……俺は……」
草太さんの溢れんばかりの憎悪は少しずつ消失し、今はただ困惑しているように見える。
「名前、一気に引き上げるぞ!」
「はい!」
馬乃介さんは私の腕と服を強く引っ張って引き上げる。コンクリートの地面にドサリと2人で倒れ込んだ。
私はようやく自分の体が地について安定したこと、草太さんが馬乃介さんを襲わなかったことに安堵のため息を吐いた。
「し……死ぬかと思いました……!」
「死なせるか、バカ……!」
2人でゼイゼイと呼吸を乱していると、カラン、と何かが地面に落ちる音がした。見ればナイフが落ちていて、いつの間にか草太さんはレンガの上に立っていた。それも柵の向こう側に。
まるで鉄柵によって外側の草太さんと内側の私達は、互いの世界が分断されたようにも見えた。
「そ、草太さん?」
「おい何して……」
「ねえ、それ本当?」
「えっ……」
草太さんの声はどこか寂しげだった。
「俺の父さんが風見豊で、ソイツが馬乃介の父親を殺したって」
「……はい。事件の資料には確かにそう書いてありました。そして、先日逮捕されたとも」
「…………」
「あの日は寒くて、車に閉じ込められていた馬乃介さんも草太さんも意識が混濁していたと聞きました。だからきっと、記憶が混乱してしまったのではないかと……」
「……そっか」
じっと足元を見ている草太さんの顔は、濃い影のせいでよく見えない。でも何かを決意したかのような空気が漂っているのはわかる。
草太さんは口をゆっくりと動かした。
「馬乃介、名前ちゃん……」
草太さんは儚い笑みを浮かべて、一歩、後ろへ下がった。
――ごめん。
俺はそれだけ言って、ビッグタワーの外へ身を投げ出した。
あの日からずっと、お前に復讐する事だけを考えて生きてきた。
それなのに、本当は俺が復讐されるべき立場だった。
俺の父さんが馬乃介の父親を殺した。
その息子である俺が、今度は馬乃介とその大事な人を殺そうとしてしまった。
もしあの日、馬乃介が俺を解放してくれたら、俺は殺人を犯す父さんを止めることが出来たのだろうか。……いや、きっと結末は変わらない。どういう過程を辿ろうとも、未来は変わらないんだ。
俺が馬乃介を憎むなんて間違いだったんだ。
皆に迷惑をかけた。
父さんもきっと、俺の存在が邪魔だったんだ。
俺が居なければ、馬乃介も名前ちゃんも幸せなはずだった。
俺の人生って一体何だったんだろうか。
父親には愛されず、たった1人の友人に裏切られたからと復讐をして。
ああ、空っぽだ。空っぽの人生だったんだ。
俺が居なくてもきっと世界は常に動いている。
俺は、盤面にすら上がれない……要らない駒だったんだ。
俺の犯した罪は重い。
重くて1人じゃ支えきれない。
もう立てそうにない。
地に足をつけて前を向けそうもないんだよ。
1人分の命と俺の罪が同じ重さならば、俺は死を受け入れるよ。
宙に浮く感覚は、まるで心の中が空っぽになった気分だ。
このまま落ちていくのではなく、空へ飛んでいけるのではないかと思えるような気分だった。
「――ふざけんなバカ草太!」
「草太さん!」
けどそれは、馬乃介と名前ちゃんが許してくれなかった。気付けば両手をそれぞれ馬乃介と名前ちゃんに握られていた。2人の手は強く俺の手を掴んで一向に離す気配はなかった。
俺の体は2人によって支えられていた。足は宙に浮いているので2人が手を離せば間違いなく俺は死ぬ。けれども命綱は簡単に切れそうにはなかった。
「馬乃介、名前ちゃん……離していいよ」
「なに言ってんだよ……」
俺は2人の手に縋ったりなんかしない。どの面下げて、今更そんな真似をするというんだ。
「俺は復讐の為だけに生きてきた。けど、それが無意味だと知った今……もう生きる意味なんて無いんだ」
「だったら、今から見つけろ! 理由が無ければ生きてちゃいけないなんて事はねえんだよ!」
俺の頬に生温い水のようなものが落ちた。何だよ馬乃介、泣いてるのかよ。だせえな。
「逃げんな! 自分1人で楽になろうたってそうはいかねえぞ!」
「いいや、俺はきっと生まれてきちゃいけなかったんだ」
聞きたくない。
もう何の話も聞きたくないんだ。
「……なんでいっつも、俺の周りの奴らは死にたがりばっかなんだよ! 『自分が死ねば良かった』とか勝手なこと言うな! てめえらの都合で俺を独りにするんじゃねえ!」
馬乃介の心の叫びが俺の心臓を貫いた。
俺が独りぼっちだったように、馬乃介もまた独りぼっちだったんだ。どうしてそんな当たり前なことに、俺は気付けなかったのか。
「名前、引き上げるぞ!」
「はいっ!」
馬乃介と名前ちゃんが息を合わせて俺を引き上げる。そのまま地面へ膝を付けたと同時に、俺は馬乃介と名前ちゃんに抱き締められていた。
「二度とこんなマネすんなよ! このクソバカアホ草太!」
「良かった、草太さんが無事で良かった……!」
2人がボロボロと泣きながら俺を強く強く抱き締める。反対に俺は体から力が抜けてしまった。
「何だよ……何でお前らが泣くんだよ……」
泣きたいのは俺だよ。
ああ、冷めるなぁ。何だよ、この茶番は。
結局死ねなかったし、ダサいのは俺だ。
「草太さんが泣かないから代わりに泣いてあげてるんです……!」
……はあ、アホくさい。
よく俺の為なんかに泣けるよな。
お前らを罠に陥れようとした俺を簡単に許すっていうのか?
「バカじゃないの? 何でこんな俺を助けるんだよ」
「理由なんて決まってるだろ! お前が俺の親友だからだ!」
俺の代わりに泣く名前ちゃんも、憎まれるべきは俺なのに平然と俺を助ける馬乃介も、どうかしている。
「ホント、お前らバカだなぁ……」
そして、そんな2人に助けられて、生きることを望まれて喜んでしまう俺も。
「本当に……うっ、ああ、ああああ……!」
俺は声を上げて、大粒の涙を零した。
「うわあああぁぁ……!」
「草太……!」
「草太さん……! うぅっ……!」
父さん、何で俺を置いていったんだ。
俺は父さんの作る飴が、お菓子が大好きだった。
でも父さんは俺を見てくれなかった。
俺はもっとみんなに愛されたかった。
誰かに必要とされたいだけだったんだ。
ボロボロといくつもの雫が瞳から零れ落ちる。
大きく口を開けて、叫んで、ただ泣き崩れた。
「草太、悪かった。本当にすまなかった……!」
涙声の馬乃介が、ずっと俺に謝り続ける。
俺はもう馬乃介を恨んではいない。むしろ謝るべきは俺なのに。
「俺を許してくれ、草太……。俺があの日、親父の言う事を聞かなければ……!」
「そんな事……お前にできるわけないだろ……!」
俺もお前も小学生で、まだ小さな子どもだった。
逆らえないなんてわかってる。
俺だって反対の立場だったらきっとそうする。
そんな事、わかってたんだ。
だけど馬乃介はずっと俺の父さんの仇だと思っていたから、お前だけが幸せになっていくのが許せなかった。
怒涛のようにいろんな感情が俺の中に押し寄せる。悲しみ、苦しみ、葛藤、あらゆる感情がぶつかり合って俺の全てを揺るがした。
馬乃介の父さんも、馬乃介も、そして名前ちゃんも、本当にごめん。
俺の気持ちがみんなに届くかはわからない。でも届いて欲しいと思った。
それから3人でひたすら泣き続けた。
ただただ泣いて、お互いを思いやった。
気付けば空の向こうは白んでいて少しずつ朝日が差し込んできた。まるで悪夢は終わりを告げたかの様に空はどこまでも澄んでいた。そんな空にさえも感動を覚えてまた涙が溢れてきた。
それはとても眩しく輝いていて、まるで俺たちを祝福してくれているようだった。
(20120308)
[
←
|
title
|
→
]
Smotherd mate