Turn.50
チェックメイト!!
あの事件後、私達は馬乃介さんのお父さんのお墓参りへ行く事にした。馬乃介さんと草太さんは仲直りをし、これから本当の親友としての付き合いが続くだろうと思うと何だか嬉しくなった。
切り花とお線香、そして供え物を買ってお墓の前に立つ。
私は花瓶の水を交換し、馬乃介さんはお線香に火をつけ、草太さんはお墓を綺麗に磨いてくれている。
そしてお供え物を供えて、3人でお線香を置いてから手を合わせた。
「正直なところ、親父の事なんかあんま覚えちゃいねえな」
「……俺もだよ」
「草太、お前は自分の父親が全部悪いと思ってるだろ?」
馬乃介さんの言葉に草太さんは口を結んだ。馬乃介さんはそれを肯定と捉える。
「今ならわかる気がするんだ。お前の父親が、俺の親父を手にかけちまった理由も」
「どういうこと?」
「俺の親父も、俺を平気で放っておいたりヒデー事させたりするような人間だったから、きっとお前の父親の気を悪くさせちまう事をしたんだと思うぜ」
「……」
「だから代わりに俺が謝る。すまなかった」
誠心誠意を込めて馬乃介さんは草太さんに頭を下げる。草太さんはそれにびっくりしたようだ。
「やめろよ馬乃介。俺の父さんだって馬乃介の父親を……」
「ありがとうな、草太」
寂しげに呟いた馬乃介さんだったが、どこか清々しい顔をしていた。
「俺、今度父さんに会いに行こうと思うんだ。でもすごく怖くてさ……」
「安心しろ、俺達が一緒に行ってやるよ」
「じゃあ、私も付き添って良いですか?」
草太さんが恐る恐る口にした言葉に私と馬乃介さんが同行を提案すると、草太さんは嬉しそうにはにかんだ。
「……ありがとう」
そんな草太さんの笑顔に私達も思わず笑みがこぼれる。
「俺、馬乃介の父さんが作るお菓子が好きだったな」
「そうか? 俺は草太の親父の飴が好きだったぜ」
2人のお父さんはパティシエだったから、きっといっぱいお菓子を作ってもらったんだろうな。私の知らない2人の思い出話がなんだか羨ましい。
「そんな話したら、お腹減っちゃうじゃないですか」
「本当にお前は食いしん坊だな」
「違います! 空腹は生理現象です!」
馬乃介さんと草太さんが笑うけど、2人だってそろそろお腹が減っているはず。
「んじゃ、飯でも食いに行くか」
「そうしましょう!」
「……俺も、行っていいの?」
馬乃介さんの提案に私は元気よく賛成するが、草太さんは申し訳なさそうに尋ねてきた。
そんな草太さんの背中を、馬乃介さんは思いっきり叩いた。
「バーカ! 良いに決まってんだろ。むしろ来ねぇと怒る!」
「イッテェ! もうちょっと手加減しろよな! このうまのすけ!」
「おっと、言うようになったじゃねぇか草太!」
その言い合いは、今までのものとは何だか違う雰囲気を感じた。心から自分の言葉をぶつけてくるようになった草太さんに、馬乃介さんも嬉しいみたい。だって、彼はもう仮面を被る必要はないんだもの。
「お前らがくっついたのもすぐわかったよ。お互いの呼び方が変わったからね」
「それはその、何というか……」
「うまのすけの方がしっくり来ると思うけどね〜」
草太さんが私の手を握って顔を近づける。急な接近に驚いて、体が強張ってしまう。
「コイツに飽きたら俺の元へ来るんだよ? 俺はいつでも名前ちゃんを迎える準備は出来てるから」
「ええっ!? そ、その……!?」
「おいこら草太、名前に手を出すんじゃねえ」
馬乃介さんが私と草太さんの間に割り込んで引き剥がす。
「名前ちゃんに捨てられるかもって焦るなよ馬乃介」
「うるせーよ! 名前だけはゼッテーお前に渡さねえからな!」
馬乃介さんが叫んで私を抱き寄せると草太さんが茶化すように口笛を吹いた。私はまた顔が熱くなって、両手で頬を押さえた。
「さっさと行くぞ! 飯だ飯!」
「本当に馬乃介は甘ちゃんだよなぁ」
「お前が本性隠しすぎなんだよ! バーカ!」
「うるさいよ、うまのすけのアーホ!」
まるで子どもみたいな言い争いに私は吹き出してしまった。
あの日取り合えなかった手を、今度こそ取り合えた気がする。
食事をした後、草太さんは家に帰った。
これからサーカスの練習があるからその前に少し仮眠を取るとの言っていた。また草太さんのサーカス、見に行きたいな。
馬乃介さんは私の家で寝るらしいので共に私の自宅へ向かっていた。一緒に居ないと不安なんだって。大人っぽいところもあれば子どもみたいな部分もあって、つい世話を焼きたくなってしまう。
「これで全部終わったんですね」
空を見上げながら誰に言うでもなく呟く。馬乃介さんが私の言葉に反応した。
「お前の中では、まだ終わってない事があるんじゃねえのか?」
「……何ですか?」
馬乃介さんは全てを知っているという風に私を見つめる。まるで心の中を見透かされているみたいだ。
「会いたいやつが居るんだろ?」
「……!」
「まだ名前の心ん中でくすぶってんだろ。なら、行くしかねえじゃねえか」
馬乃介さんの言葉に、私は驚きを隠せなかった。どんな時も心の端っこに居て、離れなかった彼の事。ずっと一緒に居た馬乃介さんはそれに気付いていたんだ。
「会社には俺から連絡しておく。パスポートもあるし、ちょうどいいだろ」
「馬乃介さんも、一緒に行ってくれるんですか?」
「……バーカ」
「当たり前だろ」と額をこつんと手の甲で小突かれた。本当に、馬乃介さんには敵わないな。
数日後、到着したのは両親の居る国。しかし私達は、両親に会いに来たわけではない。
昔、私が海外に居た頃。仕事でとある少年のボディガードをした。彼は例の事件で深い傷を負ってから、未だ目覚めていないという。その傷を負ったのは私が彼を守れなかったせいだ。
それから私は責任を取るように仕事を辞めて、1年ほど家に閉じこもった。そんな私を心配した父が日本に居る友人の会社を紹介してくれた。
そうして今は馬乃介さんと同じ会社で働いているわけだけど……その事件以来、私は少年に会っていなかった。お見舞いにすら行かなかった。いや、行けなかったんだ。
……怖かった。
私のせいで目覚めることなく、ただ眠り続ける彼を見るのが。私の力不足を、不甲斐なさを、現実として目の当たりにするのが。
私達は空港から出て広い空を見上げる。日本とは違う乾いた空。空気も全く違うけれど、私にとっては懐かしかった。
ちなみに、会社には両親が危篤という事で休みを頂く事にした。ごめんなさい、外城さん。いや、馬乃介さんが勝手に吐いた嘘なんですけどね。
「海外も久しぶりだな」
「馬乃介さんも海外旅行した事があるんですか?」
「少しな。で、その少年の居る病院はどこにあるのか知ってるのか?」
「はい。事前に両親に連絡を取って教えて貰いました。まだ眠ったままなら、同じ病院に居るはずです」
少しずつ胸が圧迫されていくのを感じる。どうしようもなく恐れている。
これから私は、守れなかった少年に会いに行くんだ。
「まあ、居ないってんならそれに越したことはねえな。目覚めたって事だろうしよ」
「はい……」
私が元気なく返事をすると、馬乃介さんが肩を叩いた。
「らしくねえな。大丈夫だ、お前は1人じゃない」
「馬乃介さん……」
肩に置かれた手をそっと握る。
馬乃介さんの大きな手はいつの間にか、私にとってとても頼りがいのあるものになっていた。
「行こうぜ」
「……はい!」
意を決し、私達は病院へ向かって歩き出した。
目的地へ到着し、受け付けに用件を告げる。
少年の名前を教えると看護師さんが特別治療室へ案内してくれた。やはり、彼はまだ目覚めていないんだ。
看護師さんがドアを開けて中へと促す。けれど私は怖くて、一歩が踏み出せなかった。すると隣に居る馬乃介さんが私の手を握ってくれた。
「名前」
「大丈夫です。ありがとうございます」
かつてないほどに、心臓が激しく脈を打つ。勇気を出して室内に足を踏み入れる。
病室は白いベッドに白いカーテン、窓は少し開いていて青い空が見えていた。
そしてベッドには少年が静かに眠っていた。
あの日から実に3年近くの月日が経っていた。
髪の毛が少し伸びたようで、顔つきも少し大人びて見える。けど面影はそのままだ。
白いシーツから伸びる腕は透き通るような白い肌をしていた。そこに眠る少年はまるで天使みたいで、自然と涙が零れた。看護師さんは私達の少し後ろに立ったまま彼のことを話す。
「この3年間、一度も目を覚ましません。この子には身寄りがなくて、お見舞いに来る方もほとんど居ないんです。もしかしたら、眠り続けた方が彼にとっては幸せなのかもしれません」
看護師さんの言葉に、胸の奥がギュッと締め付けられるような感覚がした。3人にして欲しいと告げると、看護師さんが軽く会釈して席を外した。
ゆっくり近づいて、少年の顔をくまなく見つめる。
ああ、変わらないあの日の君。
頭を撫でればさらりとした髪の毛が指からすり抜ける。私が頭を撫でると君はいつも人懐こい笑顔で笑ってくれた。
「ごめんね、会いに来るのが遅くなって」
次々といろんな感情が溢れ出す。
あの日守れなかった約束、もっと最善の手があったかもしれないという後悔、そしてやっと今ふたたび少年に会えた喜び。
「名前は何て言うんだ?」
「オブロー・シエル……オブローは《小さな鷹》、若く幼い鷹が空へ羽ばたく様に、未来への希望を目指す事を表しています。シエルは《空》。だから、『空に羽ばたく』という意味です」
「良い名前だな」
「はい……。でも私のせいで、彼は空に羽ばたくどころか、起き上がる事すら出来なくなってしまった……」
ボロボロと熱い涙が溢れてくる。
目の前で寝ているオブロー君が滲んで見える。
何度謝っても謝りきれない。
目を閉じればあの日の君が、私に優しく笑いかけてくる。
それがまた私の胸を苦しめるんだ。
「ひっ……うっ、あぁ……!」
嗚咽交じりに、ただ泣いた。
今でもずっと後悔している。
あの時、どうして、私は。
ずっとその言葉だけが、ぐるぐると頭の中を巡っている。
私はオブロー君の手を取って握った。
微かに温もりを感じるその手は、少年が生きている何よりの証拠だった。
「温かい……」
「ああ、お前が少年を守ったって事だ」
その時、オブロー君の手がピクリと動いた。
「……!」
「どうした?」
「馬乃介さん……今、オブロー君の手が動いて……!」
「本当か!? ……だが、寝ているな……」
オブロー君の顔を見ると、まだ瞳は瞑ったままだった。
何に反応したかはわからない。けれどその小さな反応は、私に大きな希望を与えてくれた。
「馬乃介さん。私、これから先も何度もお見舞いに来ます!」
「ああ、俺も付き合うぜ。何度だってな」
「ありがとうございます……!」
「きっといつか目覚めるさ。覚めない夢はないんだからな」
「……はい!」
私は涙を拭い、姿勢を正す。腕を伸ばしてオブロー君の頭を優しく撫でた。
「また来るね」
そう残して私と馬乃介さんは病室を出て行った。
病院を出る前に窓口へ行き、オブロー君の手を握ると反応を示した事を告げると看護師さんや先生はものすごく驚いていた。
どうやらそういった反応すらも奇跡らしく、もしかしたら何年後かには目覚める可能性があるかもしれないと言った。けれどその可能性も万分の一であり、あまり期待はしないようにと釘を刺された。
それでも私は嬉しくて、涙が溢れて止まらなかった。
こうして、私の心に残った最後のしこりは解けて消えていった。
近くの噴水公園で馬乃介さんと散歩をしながら、私はある事を考えていた。
けれどそれは馬乃介さんの負担になるかもしれない。そう思うと口に出せそうになかった。
馬乃介さんより一歩遅れて歩いていると、彼が立ち止まった。
「お前が今、何を考えているか当ててやろうか」
「えっ……?」
「あの少年が目覚めたら引き取りたいんだろ?」
まさしくその通りだった。もう馬乃介さんの前では隠し事なんて出来ないな、と複雑な笑みを浮かべる。
「……身寄りが居ないと聞いてから、ずっと考えていました」
「いいんじゃねえか? 悪く無い考えだ」
「でも、馬乃介さんはそれでいいんですか?」
「あ? 何か悪い事でもあんのかよ。俺だって施設育ちだったし、本物じゃなくても家族が居るのは幸せなことだ」
そうか、だから馬乃介さんは私の考えに賛同してくれるんだ。きっと彼じゃなければここまで心の広い言葉を掛けて貰えなかっただろう。
「だが今の俺達には無理だな」
「どうしてですか?」
「海外じゃどうかわかんねえけど。養子縁組ってのはある資格が必要だ」
「ある資格とは?」
馬乃介さんが振り向いて、私を真っ直ぐに見つめる。その顔はどこか凛々しくて、胸がとくんと脈を打った。
「毎日俺と一緒に居ろ」
「えっ……?」
キョトンとしていると、馬乃介さんが頭を掻いた。
「わかんねえのか? 鈍感」
「だってほぼ毎日一緒に居るじゃないですか。仕事でもプライベートでも」
「違えよ。全然違え。お前が俺んとこに来るんだよ」
「同棲って事ですか?」
「あーもう!」
私の鈍さが異常なのか、馬乃介さんの言い方が遠回しすぎなのか。
すると馬乃介さんが私のすぐ目の前にやってきて、ぎゅっと手を握った。
「俺と結婚しろって事だ!」
「んっ、なっ、えっ、ええぇー!?」
お互い顔が真っ赤になって、心臓が張り裂けそうなくらい鼓動が強くなる。
まるでこの世界には今、私達2人しか居ないのではないかというくらい、馬乃介さん以外何も入ってこない。
噴水の水が太陽の光に反射してキラキラと輝いていて、それがまたドラマチックな雰囲気を作りだす。
「こっちは一世一代のプロポーズなんだ! 何とか言え!」
「ぷ、ぷろぽぉず!?」
本当に心臓がこのまま壊れてしまうんじゃないだろうか。
「でも、負担に……」
「負担とかそういう次元じゃねえんだよ。お前が俺と一生一緒に居たいかどうかってだけだ」
馬乃介さんとずっと一緒に居たいかどうかなんて。
……そんなの決まってる。
私は爪先立ちで一生懸命に背を伸ばして、馬乃介さんの唇にキスをした。
顔を離すと馬乃介さんの顔はやっぱり真っ赤で、私はいたずらっぽく囁いた。
「人生踏み外しちゃいますよ? それでもいいなら、よろしくお願いします」
馬乃介さんにお辞儀をすると、いつもの得意気な笑顔を浮かべた。
「バーカ。順調な人生設計だっつうの」
それはいつか私が馬乃介さんに言った言葉。
馬乃介さんも私も同じ人生を歩んで行くんだ。
「養子は夫婦関係でなければ出来ねえからな。いつかあの少年を一緒に迎えようぜ」
「はい、ありがとうございます!」
お礼を言うと馬乃介さんが私の唇に人差し指を添えた。
「おっと、そろそろ敬語はナシだぜ?」
「は……うん、馬乃介さん!」
「よし、じゃあ行こうぜ名前」
「はい!……あっ」
「ハハッ、お前らしいな。……ほら」
馬乃介さんが私に手を差し伸べた。
私はそれに応えるように手を伸ばして掴んだ。
再び2人で歩き出す。
それはこれからも変わらない。
私はこの手を離さない。
ずっと馬乃介さんと一緒なんだ。
私はもう1人じゃない。
だってみんなが居るから。
一歩一歩踏み出す足が、前を向いているのが嬉しくて堪らない。
もう過去は振り返らない、過去に縛られる私にはならない。
今はただ馬乃介さんと一緒に前を向いて生きていく。
これからも私達は共に生きていくんだ。
「馬乃介さん」
「ん?」
私はニッと笑って、馬乃介さんに人差し指をつきつける。
そしてウインクをしながら決め台詞を言った。
「チェックメイト!!」
(20120309)
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Smotherd mate