あらすじ…まさか、元誘拐犯に恋をするとは。
16
つんつん、と何かが私の頬を触れてくる。
なんだろう、でもまだ瞼が重いし少し眠い。
「ん、」
ぎゅっ、と自分の前にある何かを掴む手に力を込める。
ゆっくりと布団に潜り込むように体を動かして近付く――いや、既に十分すぎるほど密着しているのだが、さらに間を詰めるように、逃がさないように。
「ふ……、んんー……」
まだ寝ていたい。
人肌のような温もりが心地よくて、何だか目が開けるのが惜しい。
誰かに頭を優しく撫でられている。
その手は再び頬へ滑り落ち、唇に静かに触れた。
「……んむ……?」
何だろう、と、ふと目を開けると……
「ッ!?」
「起きたか、名前」
「ひびゃあああっ!!」
最早恒例になりつつある、寝起きがてらの馬乃介さんのどアップである。
私は光の速さで馬乃介さんの布団から抜け出し、背中を向けて蹲ったまま顔を両手で覆った。
「昨夜は楽しかったな……アンタがあんなに激しいとは思わなかったぜ……」
艶やかな声で馬乃介さんが楽しげに言うが、全く笑えない。
ええ、昨夜の事はしっかり覚えていますとも。
まさかまさか、そのまま寝てしまったなんて。
私が返事をしないでいると、馬乃介さんはため息を吐いて言った。
「……おいおい、誤解の無いよう言っておくが、今回はアンタの布団に潜り込んだわけじゃないぜ? ここは俺の寝床だろ?」
「わかってます大丈夫です理解してますすみませんでした!」
私の気まずさの本質とは違うところを指す馬乃介さん。
私が、事故とは言え馬乃介さんの布団に一緒に寝てしまい、しかも寝ている馬乃介さんに告白まがいなことまでしてしまったなんて、思い返すだけで死にたくなる。
あの言葉は聞かれていないはずだけど、もし聞かれていたらと思うと――
「なあ名前」
「ひゃあっ!」
ポン、と軽く肩を叩かれただけなのに、つい大きな悲鳴が出てしまった。
「大丈夫か? こっち向けよ」
「だ、だ、大丈夫ですっ 問題ありません!」
「ならこっちを向いてくれ、頼む」
馬乃介さんの声は真剣だった。
きっと私が本気で怒っていると勘違いしているのかもしれない。
だからこそ、ちゃんと応えて彼を安心させなければいけない。
でも、わかってる、今の私の顔はりんごより真っ赤に違いない。
そんな顔を見せたら……
「……名前」
ああ、ねえ、悲しそうな声を出さないで。
私は両の手をゆっくりと熱っぽい顔から離す。
そして馬乃介さんの方へ体を向け、やや上目遣い気味に顔を見せた。
「……!」
馬乃介さんは私と目が合うと、何も言わずに、少し驚いたように目を見開いた。
ああ、バレてしまった。知られてしまった。伝わってしまった。
誰が見たって一目瞭然な顔をしてるんだ。
「ち、ちょっと顔を洗ってきます!」
立ち上がり、逃げるように洗面台へ向かう私を、馬乃介さんは一切引き留めようとはしなかった。
それがまた私の予想に追い打ちをかけた気がした。
「……ふう、スッキリした」
冷たい水で、熱くなった顔と少しの煩悩を洗い流す。
けれどまだ私の胸はドキドキしている。
気持ちの整理を、しなければ。
私が、恩人云々を抜きにして馬乃介さんの事がす、すす、好き……なのか、どうか。
私のその感情に、邪な気持ちや、借りを返せない後ろめたさからの好意などと、失礼な思いが混ざっていないか。
もう、私にとって馬乃介さんはストーカーでも誘拐犯でもただの同居人でもない。
1人の大切な存在なのだと、私自身が認めるべき時なんだ。
「おう、パン焼いといたぜ」
「あ、ありがとうございます……」
リビングに戻ると馬乃介さんは既にテーブルに座ってトーストにかじり付いていた。
私も向かい側に座り、トーストを手に取る。
「……あの、昨夜はかなり酔っ払っていたようですが大丈夫ですか?」
「あーやっぱりか……」
「やっぱり、とは?」
「情けねえ話だが、アルコールには弱くてな。飲んだらすぐ寝ちまう。仕事にも支障が出ちまうだろうから、普段から飲まねえんだ」
「そうだったんですか……」
それは悪いことをしたなあ……私もそう頻繁に飲んでいるわけではないけど、次から馬乃介さんの前ではお酒を飲まないようにしよう。
「で、アンタが介抱してくれたのかい?」
「介抱なんて立派なものじゃないですが、布団まで何とか運んでそのまま一緒に寝てしまったようで、すみませんでした……」
「謝ることねえだろ。おかげで良い寝覚めだったぜ?」
「う、そ、それは忘れて下さい! それに、馬乃介さんが私を離さないから……ッ!」
私の言葉に馬乃介さんはニヤニヤするばかり。
……もしかして、この人……!
「……起きてたんですか!? 起きてたんですね!!」
「そりゃ、アンタがあれだけくっついてちゃ、色んな所が"オきちまう"な」
「朝から変なこと言わないで下さい!」
こっちが狼狽えるのを面白がる馬乃介さんは本当に、なんていうか、ワルガキだ。
でもそんな事よりも、あの言葉を聞かれてしまったのかが一番気になる。
「じゃあ、まさか、ずっと起きてたんですか?」
「……いや、アンタを抱きしめて寝転んだ後は覚えてねえから、多分そのまま寝ちまったんだろうな。勿体ねえ事をしたぜ」
「そうでしたか……」
という事は、聞こえていなかったはず……良かった、本当に良かった。
安堵の溜息とともに、心の中で胸を撫で下ろす。
馬乃介さんが私の腰より下の部分を触ったことなど最早どうでもいい。
私はバターが塗られたトーストを一口かじり、いつも通りの朝だなあと、ぼんやり思った。
玄関先で仕事に向かう馬乃介さんを私は見送る。
「うし、じゃあ行ってくるぜ」
「はーい、お気を付けて」
「へへ、なんか新婚みてえだな」
「な、何を言ってるんですか!」
相変わらずの馬乃介さんの言葉に、毎度のごとく私は慌てふためく。
でもいずれはそうなるのかもしれない、なんて。
まんざらでもない自分が居るのがまた少し恥ずかしい。
「あ、名前。新婚と言えばアレだろ?」
玄関のドアを開けた馬乃介さんは、思い出したかのように再びこちらを向いた。
「何ですか? ていうか新婚じゃないです!」
「行ってきますの……だろ?」
「えっ、」
ニヤリと笑って言う馬乃介さんの言葉に、思わずいつもと違うリアクションをしてしまった。
「あ、う、そのっ……」
違う、ここは『なに馬鹿なこと言ってるんですか馬乃介さん! とっとと仕事に行って下さい!』なんて空気ぶち壊しのツッコミをするところなんだ。
少し前の私なら、そうするはずなんだ。
ほら、言うんだ、私!
「ドアが開いてますし……」
そうじゃないでしょう私!
これじゃあ、期待してるみたいじゃないか!
「閉めたらシてくれる、ってことでOKか?」
ドキン、と一際大きく胸が高鳴る。
馬乃介さんは私の返事を待たず、ゆっくりと玄関のドアを閉める。
これが閉まりきったら、私は……。
「だから、早く出社してくださいって事です!」
なんて、まだ無理に決まっている!
つんのめりながら、思い切り馬乃介さんを突き飛ばしてしまった。
「イッテえなオイ!」
「もうっ! 遅刻しちゃいますよ!?」
「帰ったら覚えてろよ?」
ちぇっ、と名残惜しそうに馬乃介さんは背中を向けて会社へ歩き出した。
その背中を見送っていると、隣の部屋のドアが開いた。
「あ……おはようございます」
「おはようございます」
隣人の方が出てきたのでペコリと挨拶をする。
今の話、聞かれてたかな……もしそうなら、穴があったら入りたい。
「仲が良くて羨ましい限りですね」
はい、これから穴を掘ってきます。300mくらい。
「あ、はは……お恥ずかしいところを……」
「いえいえ、では僕はこれから仕事なので」
「はい、お気を付けて下さい」
軽く会話を済ませて隣人の方も見送った。
駄目だ、これは完全に誤解されているパティー……いやパターンだ。
このままではご近所に根も葉も茎もない噂が広まってしまう、気を付けなければ。
やるせない気持ちを閉じ込めるように、私は玄関のドアを閉めた。
背中をドアに預け、少しずつズリ落ちていく。
…………。
………………。
〜〜〜〜駄目だ……!
もう、私、馬乃介さんへの『好き』をこれ以上隠せない……!
何も難しく考えることなんかない。
私が、馬乃介さんに素直になればいいだけなんだ。
昨夜、流れでそのまま眠ってしまった事を思い出し、シャワーを浴びて体を洗う。
ほどよい熱さのシャワーが気持ちいい。
キュッ、と栓を締め、体を念入りに拭いてラフな服装に着替える。
気を取り直し、私はテーブルの上の履歴書とにらめっこしていた。
求人誌で良さそうな職場をいくつか見つけ、それに向けて新しい一歩を踏み出すつもりなのだ。
それにしても、自己PRや志望動機はいつも上手く書けない。
そういえば、私はカリヨーゼでしか働いたことがないから、転職の為に履歴書を書くのはこれが初めてだ。
馬乃介さんは、専業主婦になれよ、なんて言うけど。
それじゃあまるで本当に夫婦みたいじゃないか。
だってまだ、付き合っても居ないのに。
そもそも、誘拐からのルームシェアってすごい流れだよ……。
「ああっ!!」
気付けば私は履歴書に考えていたことを綴っていた。
こ、こんな恥ずかしい履歴書、出せるわけがない!
「時空の彼方へ飛んで行け!」
ふざけたことをのたまいながら、グシャグシャと紙を丸めてゴミ箱に放り投げる。
しかし方向が逸れて、その先にある低い棚の上に置いてあった、小さな置時計に当たってしまった。
ガシャン、と嫌な音を立てて床に落ちる。
「うわあ……やっちゃった……」
あまりに勢い良く当たったせいか、時計の蓋やら電池やらが散らばっている。
うわ、表面のガラスが割れて針の留め具が外れてる。
よく見ると、その留め具には細いコードのようなものが付いていた。
コードを伸ばすと内部まで続いていて、違和感を感じる。
再び留め具をまじまじと見つめると、これはただの部品ではないことに気付く。
そう、まるで、カメラのレンズのような……。
「……っ!!」
私は一目散にその時計を解体する。
手が、震える。
鼓動が、早くなる。
そして、中から出てきたのは小型のカメラのようなものだった。
――嘘だ、だって、そんなはずは。
言ったもの、馬乃介さん。
"そんな事はしない"って。
ゆっくりと、嫌な汗が頬を伝う。
足元を掬われるような感覚、もうまともな意識を保つのも難しいくらいに、頭が痛い。
嘘だ嘘だ嘘だ。
同じ単語がいくつも頭に浮かぶ。
嫌だ、嫌だ。
ありえない、嘘だ、嫌だ。
なんとも言えない吐き気と気持ち悪い感覚が、否応なしに次々と私を襲った――。
(20160817)
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Smotherd mate