あらすじ…真犯人を追求したら襲ってきました。助けてください。
20
私の言葉に追い詰められた男はもう為す術もないのか、力づくで私を押し倒した。
男が馬乗りになって肩をガクガクと揺らしてくる。その度にゴツゴツと頭が床に当たって痛い。男の狂気じみた行動に、私は戦慄した。
「確かに僕は君の部屋に隠しカメラを仕掛けたよ! でもさぁ、君があんな男と一緒に住まなかったら僕はそんな事しなかったんだよおおぉ!」
吠えるように喚く男の大きく開かれた目は、私だけに集中している。視線を合わせるのが怖くてぎゅっと目を瞑った。
「や、っぱり……ストーカー、だったんですね……!?」
「ストーカーなんて人聞きが悪いなあ! 僕はね、君の運命の相手だよ!!」
馬乃介さんみたいなことを言い出すが、この男と彼では言葉の響きが全然違う。
言葉の重みも、優しさも、愛情も何一つ感じられない。
男は私の首筋から頬へと指を伝わせ、顔を近づけてくる。生温い吐息がかかってきて気持ちが悪い。
「くっ……」
私は横目で見ながらテーブルの下に転がっているウサギのキーホルダーに、気付かれないように手を伸ばす。
あと少し、もう少しで……。
「あっははは、無駄だよ」
「あっ!」
キーホルダーに指が触れそうな瞬間、男に奪い取られた。
チェーンの部分をつまみ、揺らして見せつけるようにしてくる。
「これ、カメラ越しに聞いてたんだけどさ、防犯アイテムなんだろ? いらないよねこんなの!」
男が力を込めてキーホルダーを握ると、メキ、という音と共に形が崩れた。
体がバラバラになったウサギのキーホルダーは無残に床に投げ付けられる。
「君は僕のものだ、誰にも渡さない! ……そうだ、良い事を思いついた。僕と一緒に暮らそう! こんな所、引っ越して、どこか遠い場所で2人きりで!」
ぴちゃ、と音を立てて顔に舌を這わせてくる。一気に全身に鳥肌が立つのを感じた。全身を巡る嫌悪感。心の底から気持ち悪くて仕方がない。吐き気がする。男に触れられたところが穢れていくような、それなのに何も出来ない無力感が心を支配する。
それでも私はなんとか虚勢を張り、負けじと言い返す。
「だ、誰があなたのものになんかに、なるもんですか!」
この男はただ自分の欲望を暴力的にぶつけてくるだけの卑怯な男だ。
自分のやりたいが儘に振るまい、周りの事なんか気にしない、顧みない、最低な人間だ。
「あなたなんかより、馬乃介さんの方がずっとずっと男らしくて、素敵です!」
「へえ……、拒むんだ? ……良いよ別に」
耳元で男が低く囁く。子供をあやすように、愛しい対象を愛でるように。
「無理にでも、連れて行くからさあ!」
そう言うと、男は私の首に手を伸ばした。
身の毛のよだつ様な、ぞっとする感覚。
まとわりつくような指の動きに、ただ拒否感しか生まれない。
「僕のこと、絶対に、好きになるから」
私の首を掴んだ手に力を込められる。
親指が喉元を押さえつけて、一切の呼吸も許さない。
――本気だ。殺される……!
爪を立てて必死に男の手を引っ掻いても、下半身に力を込めて藻掻いても、全く敵わない。
息苦しさがどんどん迫ってきて、早くしなければと焦って抵抗すればするほど、ただの徒労に終わってしまう。
「はあっ、がっ、ぁ」
苦しい。
苦しい。
悔しい。
頭に、酸素が足りない。
少しずつ、意識が遠のいていく。
……嫌だ、私、こんなところで死にたくない。
じんわりと目に涙が浮かぶ。
目の前が滲んで、霞む男の姿が馬乃介さんの顔と被る。
……こんな男に、殺されたくない。
あの人に、
馬乃介さんに、
まだ伝えてないのに。
――――好き、って。
私の抵抗する力が弱まって、目の前が暗くなりかけた時、突然息苦しさと男の重量が消えた。
一瞬、何が起こったのかわからず、私は急に肺に流れ込んできた酸素に思わず咳き込んだ。
自分の喉を守るように、気道を確保するように、両手で押さえ、横向きになって苦しかった呼吸を整える。
「ゲホ、ゲホッ! ハァッ、ハッ……!」
一体、何が起こった?
「い、痛いッ、痛いいいぃ……!」
喚く男の声が耳に入ってくるが、そちらを向く気力が残っていない。
すると床に倒れたままの私を誰かが優しく抱き起こしてくれた。
「名前! 大丈夫か、名前!」
虚ろな視線をゆっくりと上げる。
霞がかった目の前が、少しずつ明瞭感を取り戻す。
何度も聞いた、聞き覚えのある声。
何度も感じた、安心する腕の中。
そこには、何度も強く願っていた人物――馬乃介さんが居た。
「まのすけ、さん……」
うそ、みたいだ。
本当に、本当に、助けに来てくれた、なんて。
私は夢でも見ているのだろうか。
こんなに、運命的に、私のピンチを助けに来てくれたなんて。
"また"、私の窮地を救ってくれるだなんて。
私の意識がある事を確認出来た馬乃介さんは、険しい表情から少しホッとしたような顔をした。
私は瞬きもできず、そんな彼へゆっくり手を伸ばし、頬に触れる。
幻覚でも都合のいい妄想でもなんでもない。確かにすぐそこに、彼は居る。
馬乃介さんは私の手を取って、優しく握ってくれた。
ああ、彼は本物だ。
今、私の目の前に居る馬乃介さんは――――
「信じて、まし、た……。助けに……来て、くれるって……」
声が震える。
目頭が熱くなって、喉が苦しい。
もう、逢えなくなると思っていた。
だからこそ、助けに来てくれたのが嬉しくて信じられなくて。
表面張力のような、我慢していた感情が一気に溢れだして、
私は大粒の涙をボロボロと零した。
「馬乃介さん――ッ!!」
彼の胸にしがみついて大声で泣いた。
グリーンのシャツをこれでもかと強く掴んで、体を震わせながら、ただ泣き叫んだ。
怖かった。本当に、殺されるかと思った。
馬乃介さんに、もう二度と会えなくなるかもしれないと思った。
「もう大丈夫だ、名前……頑張ったな」
泣きじゃくる私を馬乃介さんは強く、強く抱きしめてくれた。
その力強さと温かい優しさにもう一度触れることが出来て嬉しくて、幸せで、堪らなくて。
いつの間にか私は、彼の腕の中が一番安心する場所になっていたのだ。
「待ってな、すぐに片を付けてくる」
「そ、その前に警察を……!」
「もう呼んである。奴らが来る前に、オシオキしねえとな」
男を睨む馬乃介さんの目つきは殺気に満ちていて、男は本当に殺されてしまうのではないかと思うほどだった。
馬乃介さんは私を座らせたまま壁によりかからせると、男に向き直る。男に近づくと、「ヒッ」と悲鳴を上げた。
「や、やめろ……! もう十分じゃないか……!」
「ちっと蹴っただけじゃねえか。まあ、アバラは逝っちまったろうけどな。さぁて、次はどこの骨にするかね」
どうやら馬乃介さんは私を助ける際に、男の脇腹を蹴り上げたらしい。
ボディガードという職業柄、その蹴りは相当なものだっただろう。男は辛そうに息切れをしていた。
「……し、知ってるぞ僕は……!」
「あぁ?」
目の前に長身の男が凄んでいるにも関わらず、まだ何か反撃の手があるような、意味深な事を言い出す。
馬乃介さんは少し屈んで男の胸ぐらを掴み、右の拳を振り上げた。男は痛そうな悲鳴を上げながらも、必死に憎々しく言い返す。
「き、君も彼女のストーカーだったくせに!!」
男の言葉に、馬乃介さんは動きを止めた。
「僕より接近が早かっただけだ! 本当なら僕が彼女と結ばれていたはずなんだ!」
……違う。
「盗聴器だって発信機だって彼女に勝手に付けて、嫌がられていたじゃないか! 僕と君は同じだ!」
違うッ……
「相手にされていないただのストーカーで、犯罪者なんだよ!」
「違います!!」
私は男の言葉を遮るように大声で否定した。
「馬乃介さんを、あなたなんかと一緒にしないで!」
膝を床につきながら、腕で体を支えながらもゆっくりと、馬乃介さんの背中に近付き、体に腕を回して優しく抱きしめた。
彼の振り上げた拳がこれ以上傷付かないように、私はそっと右手を添える。
「馬乃介さんはあなたと違って、思いやりがあって、私の嫌がることは絶対にしない。私を信じてくれて、困ったときはいつだって助けてくれて、私を守ってくれた……」
私は今までの出来事を思い返すように、一生懸命に言葉を紡いだ。
馬乃介さんと出会ってからたくさんの事があった。
ハプニングを持ってくるのは大体馬乃介さんだし、困らせるのも大体馬乃介さん。
それでも、彼の事を心から煩わしいなんて思った事は一度も無かった。
初めて出会った時から、一度だって。
「あなたとは、全然違います……!」
その時、ドンドン、と部屋のドアが勢い良く叩かれた。
「警察っス! 通報があったのはこの部屋っスか!?」
ドアの向こうからは警察と名乗る男の声と、数名の靴音が聞こえた。
馬乃介さんが通報したであろう警察がやっと到着したのだ。
部屋の鍵は開きっぱなしだったので、確認の為にドアを開けた刑事が惨状を一目見て理解し、部屋に踏み込んできた。
警察が来てからは、物事が片付くのが早かった。
男は現行犯としてすぐに連れて行かれ、私達も事情聴取の為に警察に同行するよう求められた。
隣人の男――平木野は、警官に連行されている間も放心状態のまま「こんなはずじゃなかった」「僕じゃない、あの男がストーカーだ、あいつを逮捕してくれ」「キミも僕と同じはずなんだ」とぶつぶつと言っていた。
私は、この一件がようやく終わりを迎えた事に、ただ肩の荷が下りたような気持ちでいっぱいで、警察の言葉も男の言葉も、何も頭に入ってこなかった。
だからこそ、馬乃介さんがどんな気持ちでその言葉を聞いていたのか、私には知るすべもなかった。
(20160828)
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Smotherd mate