あらすじ…誘拐犯と被害者のカップル成立です。ストックホルム症候群ではありません。
22
カーテンから差し込む光の眩しさに、ゆっくりと瞼を開ける。
ずっと馬乃介さんに抱きしめられていた感覚が少しだけ肌に残っている。
けれど、彼は隣に居なかった。
ぺたぺたとフローリングの床を歩いてリビングへ行くが、ここにも馬乃介さんの姿はない。
今日は土曜日。大体の会社は休みだが、馬乃介さんはボディガードという職業上、仕事なのかもしれない。
もしくは、昨日言っていた会社への報告を済ましているのかも。
馬乃介さん、いつもならメールなり書き置きなりしてくれるんだけどな。
もしかしたら、よっぽど急ぎの仕事だったりして。
それなのに昨夜、遅くまで……つい、馬乃介さんとの夜を思い出してしまい、顔が一気に熱くなる。
すぐに手でパタパタと頭に浮かんだ映像を振り払い、私はシャワーを浴びることにした。
正午。昼休みならきっと連絡をくれるかもしれない、と馬乃介さんに簡単なメールをしてみる。
だが、5分待っても10分待っても連絡はない。
いつもなら即返信が来るのに、どうしたんだろう。
「早く帰って来ないかな……」
すでに防犯機能は失われ、バラバラになってしまったウサギのキーホルダーの手足に接着剤を塗る。
手足を体にくっつけると簡単に繋がったが、不器用なせいで元々のつなぎ目と少しズレてしまった。
馬乃介さんだったらもっと綺麗に直せただろう。
さて、今日のお昼は何にしようかな。
もしかしたら馬乃介さんに会えるかもしれないし、駅の方に食べに行ってみよう。
休日の駅前はいつもより人通りが多くて、カップルの比率が高い気がした。
腕を組んで楽しそうに歩いていたり、違う味のアイスを買ってお互い食べさせ合っていたり、ナイショ話をしていたりと、見ていて微笑ましかった。
……うん、やっぱり縄で縛ったりしているカップルなんてどこにも居ない。
馬乃介さんとの出会いを思い出し、私は自分が常識から外れていないことを確認出来て安心し、くすっと笑った。
けれどもやっぱり、こうして楽しそうな人混みの中に独りで居ると、反対に寂しくなる。
私も馬乃介さんに、会いたい。
何気なく、警備会社の前を通る。
けれど以前のように私に向かって走ってくる人影はどこにもない。
当たり前だ、彼は仕事中なのだから。
ここまで来ても会えるとは限らないし、夜には帰って来るのに。
私、なに恥ずかしい事をしてるんだろう。
余計に虚しくなっただけなので、昼食はファーストフード店で適当に済ませた。
こうして1人でのんびりしていると、本当にもう私には発信機の類が付けられていないんだな、と再認識する。
独りで食べるご飯はやはりどこか味気ない。
馬乃介さんにはそんな思いをなるべくさせたくないな、と思った。
よし、今日こそ美味しいご飯を作って待っていよう。
私は食べ終えたゴミを設置されたゴミ箱に捨て、馴染みのスーパーへと向かった。
……行かなきゃ良かったと、後悔したのは、既に買い物かごに材料を数点ほど入れた頃だった。
「な、何じゃコリャアァー! キャベツがいつもより高いやないかあぁー!」
「トラ様、それはレタスですわ」
そうです。
誰がどう見たって、角度を変えてもレンズを変えても目玉を取り替えても、あの2人です。
土曜日に2人で仲良く買物だなんて、もしかして社長と鹿羽さんは……いやいや、そんな、美女と野獣にも程がある。
鹿羽さんも、よく社長の相手なんて出来るなあ。私には絶対に無理だ。
「にんにくはこっちが安いで!」
「トラ様、それは国産ではありませんので駄目です」
会話を聞いてる分には面白いが、見つかったら色々と大変そうなので忍び足で野菜コーナーから離れていく、……が。
「あら、苗字さん」
ひいい、見つかった!
背後から声を掛けられ仕方なく、油を差していない機械のようにぎこちなく振り返る。
鹿羽さんは薄っすらと儚く妖しい笑みを浮かべ、隣に立っている芝九蔵社長は眉間にしわをギュッと寄せながら威圧的に睨んでくる。
その口元からギラリと見える牙のような八重歯がとても怖いです。
「おう名前ちゃん! 元気そうやないか。あの奇っ怪な兄ちゃんとは上手くいってるんか? アァ!?」
「お、お陰様で……!」
グオオオ、と吠えるように話し掛けられ、何だか体が縮こまってしまう。
普通の会話のはずなのに恐喝されているような気持ちになるのは何でだろう。
周りの買い物客達が微妙に距離を開けて行くのが地味に辛い。
「と、ところで何故、お2人はこちらに?」
自分たちの話題から逸らすべく、私は浮かんだ疑問を口にした。
「トラ様がカップ麺ばかりお食べになるので、健康的な料理を私が……ククッ……」
「う、ワイは別に……、い、いや、うらみちゃんはそんな手間かけんでもええんやで……!」
鹿羽さんの話によると、どうやらカップ麺ばかりでまともな食事をしていない社長を心配して、彼女が手料理を作ると張り切っているらしい。
それも秘書である鹿羽さんの仕事なのだろうか、いや違う、きっと彼女なりの優しさだ。
鹿羽さんは事務的な笑顔ではなく、どこか嬉しそうに見えた。
もしかして、彼女は社長の事を……なんて、考え過ぎかな。
ポイズンクッキングにならないよう、密かに祈っておこう。
鹿羽さん流のレシピを簡単に教えてもらい、2人と分かれた。
社長は「また雇ってもいい」と言ってくれたが、丁重に断らせてもらった。今度こそ何されるかわかったもんじゃない。
しかし、非常にクセのある2人だけど案外上手くいくかもしれない……と脳天気な事を考えながら、店を後にした。
私も鹿羽さんのように、頑張ってる馬乃介さんに美味しいものを食べさせてあげたい。栄養が付くものを作ってあげたい。
そう思って、時間を掛けて張り切って作った。
穴が飽きそうなほど料理本を見て、読んで理解して、かつて無いほど集中した。
ちゃんと途中で味見もしたし、これならきっと誰が食べても美味しいと言ってくれるはず。
後は馬乃介さんの帰りを待つだけ。
だけど。
どうして馬乃介さんは、帰って来ないんだろう。
新しく買った時計の針は、既に22時を指している。
料理はとっくに冷め切っていて、私はそれを1人でモソモソと食べる。
美味しく味付けたはずなのに、なんだかしょっぱく感じる。これが涙の味ってやつかもしれない。
あまりにも静かなので、テレビをつけてチャンネルを次々と回すが何も面白く無い。
特に見たい番組もないので、電源を消した。
「はあ……」
寂しさを紛らわそうとすればするほど、こみ上げてくる。
電話にも出てくれないし、メールも返事は来ない。
しつこくしても迷惑だろうと思うと、あまり踏み込んだことが出来ない。
昨日までとはガラリと変わって、孤独で静かで、心細くて寂しくて、世界が灰色に見える。
どうしても仕事が忙しくて、携帯も使えないのかな。
もしかしたらどこかで怪我でもしたのかな。
事故に合ったりしてないかな、大丈夫かな。
ほんの1日、一緒に居ないだけなのに、不安でたまらない。
連絡が1つも取れないなんて、なんだか馬乃介さんらしくない。
考えれば考える程、腑に落ちなくて、でも本人が居ないんだから今は悩んでも仕方がない。
とりあえず料理にラップをかけて、いつ帰って来ても大丈夫なように冷蔵庫にしまう。
用意しておいた馬乃介さんの食器は使っていないので、再び棚に戻す。
洗い物を終えて再びテーブルの前に座り、小さく溜息を吐いた。
今日の昼間、駅前で見かけた恋人たち。
スーパーで出会った、社長と鹿羽さん。
みんな幸せそうで、羨ましく思った。
誰かと接することを避けてきた私が"寂しい"という気持ちを如実に味わうのは初めてで、そうさせたのは馬乃介さんで、人はこんな気持ちになることもあるんだって教えてくれたのも他ならぬ彼。
馬乃介さんに恋をして、私はこんなに弱くなってしまった。
お願い馬乃介さん、早く帰ってきて下さい。
(20160902)
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Smotherd mate