Act.10 迷走する真心・下
「……つい先程消えたのだ」
「は?」
その言葉に哀牙さんはマヌケな声を出した。一体何が起こったのか、説明を要約するとこうだ。
『寿亭六(じゅていむ)』に今朝方ティーセットが到着。一旦、お店のバックヤードのテーブルに置き、隣でオリジナルブレンドの紅茶を配合した。完成後、ここの所忙しくてあまり眠れていなかった為、別室で仮眠を取り、1時間後にバックヤードに戻るとティーセットとブレンドティーが紛失していた。この時お店に居たのは数人のお客と店員が2名……のはずだった。
「はずだった、とは?」
「ああ。私が仮眠をする前は2人居たんだが、起きたら1人しか居なかった。残っている店員に聞いてみたが、もう1人の子は『行ってきます』と告げたきり戻って来ないらしい。行き先も言わなかったとかでな。しかしその子は方向音痴だから、と心配そうにしていた」
「つまり、そのもう1人の店員殿がティイセットを持って行ったのでは、と黄金一殿は思ったわけですな?」
そうだ、とマスターさんは頷く。私も単純に考えればそうだと思う。その店員さんの携帯に電話を掛けてみても本人は出なかった。電波が届いていないわけでも、電源が入っていないわけでもない。最悪の答えを導き出すとすれば、その店員がティーセットを盗んで逃げた、という事になる。しかし誰もその最悪の事態を口には出さず、哀牙さんはより詳しい現場状況と店員について質問を続けた。
2人の店員の内、居なくなった1人は砂米 唐子(さごめ とうこ)という女性。性格はおっとりしていて仕事熱心。接客も丁寧で、一部のお菓子作りや紅茶のブレンド、掃除などを任せている。
もう1人の店員は紅葉 はねる(こうば −)という男性。少しボーッとする事があるが、紅茶の入れ方は一流。接客や配達、掃除、店内の模様替え、設備点検、倉庫整理などの力仕事を任せている。
2人の仲は良好で、協力して仕事をする事も多々ある。今回のティーセットをマスターさんが欲しがっている事を2人は知っていた。しかし今朝それが到着したことは2人にまだ伝えていなかった。
冷たい風が窓から吹いてきてブルリと体を震わせる。それに気付いた哀牙さんは立ち上がり、換気の為に開けていた窓を静かに閉めた。もしやその窓は私とマスターさんが外で話していた時から開いていたのだろうか。哀牙さんが再びソファへ戻ってくると、右目に着けたルーペの柄を握りながら言った。
「謎は全て解けましたぞ」
その言葉に私とマスターさんの驚きの声が重なった。たったこれだけの説明で一体何がわかったというのか。私とマスターさんは詰め寄るが、哀牙さんは勿体ぶりながらにルーペを外して柔らかそうな布地のハンカチで拭き始めた。
「真実はいずれ此処に現れるでしょう。我と名前殿の愛があふるる地上の楽園に」
新婚が使う『2人の愛の巣』みたいな言い方は止めて欲しい。つまり砂米さんもしくはティーセットがここに来る、という事だろうか。マスターさんは何か言いたそうに唇を尖らせているが、哀牙さんの言葉を受け入れたのか黙っている。
沈黙が探偵事務所を包んで2、3分が経った頃、コンコンと事務所のドアがノックされた。私はソファから立ち上がって早歩きでドアを開く。すると、そこには小柄で穏やかそうな女性が大きな荷物を大事そうに抱えて立っていた。
「こんにちは、『寿亭六』です!」
その女性は事務所全体に響く程の元気な声で言葉を発した。
じ、寿亭六って……。もしかして、その抱えている荷物は……と思っているとマスターさんが勢い良く立ち上がって駆け寄ってきた。
「唐子くん! 何をしているんだ!?」
「えっ……配達ですけど。マスターこそこんな所で何してるんですか?」
やはり彼女は寿亭六の店員の1人、砂米さんらしい。状況を把握していない様子の砂米さんがのんびりと返答したかと思えば慌てて「あ、これ言っちゃいけないんだった」と口元を押さえた。
哀牙さんに促され、集まった4人でソファに掛けてテーブルに置かれた大きな荷物を囲む。紙袋に入ったそれを丁寧に取り出し箱を開けると中にはマスターさんの言っていたティーセットが入っていた。
大きな安堵のため息を吐いたマスターさんとは正反対に、未だハテナマークを頭に浮かべる砂米さん。哀牙さんがティーセットについて説明をすると「さ、さんじゅーまん!?」と叫んで目を白黒させた。やはり自分が持っていた物が何なのか知らなかったらしい。
もう一つの小さな紙袋はマスターさんがブレンドした新作の茶葉だった。言っていた通り缶に詰められ、『愛が欲しいだけ』というラベルが貼られていた。
「ズヴァリ、美しき推理が我に囁く真実を貴方がたにもお裾分け致しましょう。まず、砂米殿。貴女はこの茶器と茶葉を黄金一殿にはシイクレットで探偵事務所に配達に来てくださった。違いますかな?」
「は、はい。そうです」
砂米さんの肯定の返事にマスターさんが横から口を挟む。
「だが配達は紅葉くんの仕事ではないか」
「おそらく紅葉殿は共犯者、なのでしょう」
共犯者という響きが気に入らないのか砂米さんは小さく呻く。しかし思い当たる節もあるみたいで否定はしなかった。
「紅葉殿は砂米殿が出発する姿を見ているはずなのですよ。この大きな紙袋を持っていた姿を。それが証言になかったのはおかしいと思いませんかな? それに方向音痴だから心配などと……まるで行き先を知っているような口ぶりですな」
確かに、言われてみればそうだ。けど哀牙さんだって行き先は知らないはずなのに、どうしてここに来ることがわかったんだろう。
「黄金一殿が作った新作ブレンドは『愛が欲しいだけ』。誰を指しているかおわかりですかな?」
「哀牙さん、ですか? だから哀牙さんの元へ配達に? でもどうしてティーセットまで」
「寿亭六で行っている配達は茶葉やお菓子だけでなく茶器やアンテイクも取り扱っています。だからその茶葉を見た砂米殿は、そばに置いてあったテイセットも配達品の一部と勘違いしたのです」
なるほど。砂米さんはひょっとしてうっかり屋さんなのかな。
「黄金一殿が仮眠を取っている隙に砂米殿は配達を完了させ、紅葉殿がそれを事後報告し、あたかも紅葉殿が配達をした風に見せようとしたのでしょう」
哀牙さんの推理によって全てを暴かれた砂米さんは冷や汗をかきながら頭を垂れた。ぐうの音も出ないといった様子だ。マスターさんは隣の砂米さんへ顔を向けて問い掛けた。
「唐子くん、この哀牙めの言った通りなのか?」
口を頑なに結んでいた砂米さんだが、マスターさんに問われて観念したのか、小さく頷いた。
「はい……その通りです……」
「君の気持ちは有り難い。しかし仕事上で大切なのは確認だ。勝手なことをされては……」
「ごめんなさい。でも私、マスターの力になりたくて」
「君は十分働いてくれているではないか。本業だってあるし、そんなに働き詰めでは大変だろうに」
「そんな事ありません! マスターや紅葉くんに比べれば大したことないです。それに私、寿亭六での仕事も、トリマーの仕事も大好きだからちっとも大変じゃありません!」
砂米さんは本業のトリマーをしながら副業として寿亭六でも働いていたらしい。マスターさんはそんな砂米さんに気遣って仕事を選んでいたようだ。互いに思う気持ちが裏目に出てしまっていたのだな、とマスターさんはすまなそうに謝った。
「いえ、私こそ迷惑を掛けてしまって、すみませんでした……」
その時、寂しそうに謝る砂米さんの姿が自分の姿と被った。彼女も私と同じだ。居心地の良い職場と尊敬する上司の為に純粋に頑張りたいと思って取った行動。ただ、それだけだ。気まずい空気が流れる事務所内で、哀牙さんは口を開いた。
「サイドから失礼。何故我が、砂米殿が此処に来ることがわかったのかと言いますと……先程、窓から彼女の姿が見えたのですよ。重い荷物を懸命に運びながらも、笑顔を浮かべる砂米殿のお姿が」
そうか、それで哀牙さんは砂米さんがここに来ることがわかったんだ。おかげで哀牙さんの言葉は砂米さんが仕事を苦に思っていない事の証明になった。
ならば尚更、私は砂米さんの味方をしてあげたい。
「マスターさんお願いです、砂米さんを叱らないであげて下さい。確かに、内緒で配達をしていたのはいけないと思います。けど彼女はマスターさんが日頃疲れている事を知っていたから力になりたかっただけなんです。マスターさんを思っての行動だから悪気はなくて、その……」
まるで自分を慰めているみたいで、次第に声が小さくなっていった。……こんなの、都合のいい言い訳だ。私は自分に自信がなくなり、やがて言葉が止まってしまった。すると哀牙さんが場の空気を変えるように切り出した。
「さあれ黄金一殿! 貴方にはか弱きレディ達を苛める趣味がお有りかな?」
「だ、黙れ哀牙! 私はそんなつもりでは!」
「貴方は小学校の頃、通信簿にこう書かれた。『人の心に鈍感で、よく空回りする』。……違いますかな?」
「どどどど、どうしてそれをッ!」
マスターさんはどもりながら手で胸のあたりを押さえた。一字一句違わずにそう書かれたことがあるのだろう。ひょっとして哀牙さんは私達の味方をしてくれたのだろうか。今朝、私が哀牙さんに対して本音を打ち明けたことが彼の心に届いたとすれば、きっとそうに違いない。
「ティーセットも唐子くんも無事に戻ってきた、が、やはりそれなりの罰を与えねば示しがつかぬ」
砂米さんは顔を強張らせながらマスターさんの言葉の続きを待った。だが、この緊張感に反してマスターさんはふっと笑みを漏らしながら言った。
「というわけで、私の代わりに新商品を唐子くんに一から作ってもらう事にしよう」
「えっ……そ、そんな事で良いんですか!?」
「大変だぞ? お客様に気に入ってもらえるものを一から考えて作るのは」
「は、はい! あの……ありがとうございます!」
砂米さんはマスターさんの言葉に嬉しそうに大きな声で返事をした。そして帰り道に迷わないよう、今度は2人で寿亭六へ戻って行った。砂米さんが思っているよりもマスターさんは彼女を大事にしている、と私は思った。
こうして、マスターさんが持ち込んだ小さな事件は明るく終わりを告げた。
「もしかして、砂米さんがマスターさんに内緒で配達したのって、今回が初めてじゃなかったり……」
「おや名前殿、何故そう思うのですかな?」
ふと呟いた言葉に哀牙さんが振り向く。哀牙さんの名推理にあてられて私も未熟なりに考察してみたのだ。
だって哀牙さんが、砂米さんの笑顔を見たって言ってたから。マスターさんより大分先に出発したのに、マスターさんの方が先に事務所に来るほどの方向音痴。それなのに笑顔。
「もし私が配達員で、最初の配達に迷子になったら……多分泣きます、ね」
「クックック、やはり貴女は、この哀牙が見込んだだけの事はありますな」
どうやら私の予想は当たっていたらしい。けど、それを言わないでおいた哀牙さんも随分優しい人だ。
給湯室で飲み終えた紅茶のカップを洗っていると哀牙さんが給湯室へやって来た。何か言いたそうにしているけど、迷っている風にも見える。すると、哀牙さんは神妙な面持ちで私を見つめながら口を開いた。
「名前殿には、此処から巣立って欲しくないのですよ」
そう言って、哀牙さんはそそくさと給湯室から出て行った。巣立つと言われて真っ先に思い浮かんだのは桐島さんだ。彼女の代わりにこの事務所に入ったとはいえ、私は自分が本当に役立っているのか不安だった。哀牙さんは、砂米さんを擁護した私を見て何か思う所があったのかもしれない。
哀牙さん自身に引き留められて嬉しくない訳がない。……ああ、こんなに緩みきった顔、今は誰にも見せられないな。もう少し心が落ち着いてから事務所へ戻ることにしよう。そして来月から頑張ろう、と心の中で強く意気込んだ。
(20120522 修正20161210)
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Smotherd mate