Act.11 心の奥まで温もりを
「さあれ、名前殿。本日の仕事はここまでにしておきましょう」
「わかりました。では、準備しますね」
私はデスクの書類を整頓して立ちあがり給湯室へ向かう。足元の戸棚から大きな土鍋を、隣の棚からガスコンロを取り出す。冷蔵庫にあらかじめ入れておいた食材――鶏肉、白菜、大根、ねぎ、豆腐、しらたき、椎茸――などを軽く水洗いしてからちょうどいい大きさに切り分けて鍋に入れる。水を入れて蓋をし、火を付けて煮込む。そう、お察しの通り、今日は哀牙さんと鍋パーティーをすることになった。
というのも、私の実家から野菜が送られてきたからだ。一人暮らしの私にはとても助かるけどちょっと量が多い……と哀牙さんにこぼしたら素敵なアイデアを頂いたので早速実践に移ることにした。心なしか哀牙さんも嬉しそうだ。
「そうだ、ジェームズにもご飯をあげないと」
私はジョウロと霧吹きに水を入れて哀牙さんのデスク横にある観葉植物に水をやる。立派な名前だなあと思っていたが、哀牙さんいわくシャーロック・ホームズの宿敵"ジェームズ・モリアーティ"からとったとの事。ジョン・ワトソンではないんですねと言うと、どうやらその位置付けは私らしい。けどその後、いやアイリーン殿も捨てがたいですな……なんて言っていたから、やっぱり深くは考えていないのだろう。
野菜に大分火が通ったので白だしを入れ、最後に鶏肉を投入。しばらくするといい匂いが漂ってきた。そろそろ頃合いかな。キッチンミトンで鍋の取っ手を掴み、事務所側のテーブルに置いておいたガスコンロに鍋を乗せる。哀牙さんもお皿や箸を用意してくれていた。この洋風な部屋に土鍋、哀牙さんにお箸、……なんともミスマッチだが、ぜひちゃんちゃんこも着て欲しいと思う。
「はい、どうぞ哀牙さん」
「ありがたき幸せですぞ! いやはや、嬉しいものですなあ。可憐なメイド殿の手料理を食す日が来るなど!」
「あはは……鍋ですけどね」
いただきますと2人で両手を合わせて、よそった鍋を食べる。白だしが大根によく染みていて、つゆもアツアツで体の芯から温まる感じがする。今日は寒かったから余計に。哀牙さんも美味しそうに次々食べていて安心した。彼の食べる姿を見ることはあまりないので新鮮だ。意外と口いっぱいに頬張って食べるんだなあ、哀牙さんって。なんだか可愛いくて、フフッと笑みがもれた。
「この椎茸、美味しいですね」
「ズヴァリ!……その椎茸は、我が栽培したものでござあい。その名も"ホシイタケ"!」
「ええーッ!?」
まさか椎茸を自分で栽培だなんて、本当に変わっているというか珍しいというか。しかし、どうやら椎茸以外にもひらたけや舞茸など、"タケ"の付く種類を自家栽培していると言う。私のイメージ的に、哀牙さんが家庭菜園するならハーブとかミントとかその辺りだと思っていた。美味しいから良いけど。
鍋の具も大分減ったので今度はうどんを入れる。ほどよく煮込んでからすするとこれまた絶品。じんわりと汗をかいてきたので、一言断ってからエプロンを外させて貰う。いや、もう就業時間外だからメイド服は脱いでもいいんじゃ……とは思ったけど、中途半端になるのでやっぱり食べ終わってからにしよう。
いよいようどんも綺麗になくなった。大分お腹も満たされたが、鍋にまだ細かい野菜や肉片が残っている。
「哀牙さん、最後は卵を入れませんか?」
「卵……エッグですかな?」
「何で言い直したかわかりませんが。卵でとじると美味しいんですよ」
「成程。では、是非お願い致しますぞ!」
許可を頂いたので、早速冷蔵庫から卵を持ってきて鍋に入れ、よくかき混ぜる。そして蓋をして数分待つ。白だしのつゆの中に卵を入れれば――茶碗蒸しの出来上がり。細々と残っている野菜や鶏肉がまた美味しそうだ。哀牙さんは子どものように目をキラキラとさせていたので、早く取り分けてあげよう。
取り皿と一緒にレンゲを渡すと、哀牙さんは丁寧に受け取って茶碗蒸しを掬った。熱いので気を付けて下さいと注意を促すと、息を吹きかけて少し冷まし、そして口に運んだ。
「どうですか?」
「ほおっ、これは美味しいですな! 初めて食べましたぞ〜」
良かった、哀牙さんに喜んでもらえたみたい。すると哀牙さんは目を細めながら私をじっと見つめてきた。かと思えば、またレンゲで茶碗蒸しを一口分掬う。
「しかしこの熱さ、我のササヤカなブレスでは不十分ですな。……可憐なメイド殿がフウフウしてくだされば、もっと食べやすくなるのですが?」
一体何を言い出すんだこのおじさんは。急に年相応のセクハラまがいな発言を聞いた私は思わず笑ってしまい、手からレンゲが滑り落ちた。幸いまだ使っていなかったので床は汚れていないが、レンゲは水洗いしないと。
「名前殿! それでは食べられませぬなあ! では、我がフウフウして食べさせてあげましょうさあどうぞ!」
すかさず今度はそう言いレンゲを突き出してくる。あれ、酔ってませんよね? 忘年会のセクハラ上司みたいなノリに少々困惑する。……ああきっと、哀牙さんは今この時間が楽しくて仕方ないんだろうなあ。そう思うと微笑ましくて自然と体が動き――私は哀牙さんの差し出したレンゲに乗っている茶碗蒸しをパクリ。
「美味しいですね。……レンゲ、洗ってきます」
私は固まっている哀牙さんを横目に、レンゲを拾って給湯室へ逃げ込んだ。……あれ、私、今何したっけ。哀牙さんに、俗に言う"あーん"をしてもらった気がするんだけど。いや、待って。確かあのレンゲは先に一度哀牙さんが使っていたよね。……私、とんでもなく大胆な事をしてしまったのではないだろうか。自分のした事を振り返り、一気に顔が熱くなる。や、その、私、そんなつもりじゃ。……どうしよう。急に胸がドキドキしてきた。どんな顔して戻れば良いんだろう。
レンゲについた埃を水で流し、濡れた手をそのまま自分の頬にぴたりとくっつけて冷まそうと試みる、が、思ったより冷たくて鳥肌が立った。うん、大丈夫そう。よし、そろそろ戻ろう。
哀牙さんの元へ戻ると先程の騒ぎが嘘のように黙々と食べていた。その後も普通にレンゲを使っていたので、私も気にしないようにしよう。とは思いつつ、やっぱり哀牙さんの持つレンゲと口元に目が行ってしまう。それだけでこんなに胸が騒いでしまうなんて、やっぱり私はどこかおかしいんだ。
やがて茶碗蒸しも全て無くなり、2人で片付けを始める。作ったのは私だから片付けは哀牙さんがやると言い出したけど、気にしないで下さい、と返して私は食器を洗い始めた。
全てが終わった頃、時刻は20時を過ぎていた。メイド服を着替えて哀牙さんに声を掛け、帰ろうとしたら哀牙さんがやって来た。
「もう遅いですし、我がご自宅までお送り致しましょう」
「近いから大丈夫ですよ。それに哀牙さんもお疲れでしょうし……」
「いえ、我がしたいのですよ。名前殿を守るのは所長たる哀牙の務め」
いくら遠慮をしても引く気配がないので、私は哀牙さんのお言葉に甘えることにした。哀牙さんもコートとマフラーを身に着けて、私の隣を歩く。以前のホームズの格好ではなくて少し安心した。哀牙さんとこうして夜道を歩くのもいつもと違い非日常感を感じ、私はまだどこか夢心地だった。今日は楽しかった、美味しかった、なんてほんわかした他愛ない会話をしながら家路を辿る。3月になったばかりの夜はまだ肌寒い。鍋をやって正解だった。
ふと会話が途切れて2人の足音だけが耳に入る中、哀牙さんが沈黙を破った。
「……名前殿。その、先程は淑女になんたる無礼を……」
哀牙さんは気にしていないと思っていた。私だけがこんなにも意識してしまっていると思っていた。急に、自分の唇が触れたレンゲの感触を思い出してしまい、少し顔が熱くなる。けど、哀牙さんが謝る必要なんてどこにもない。……だって本当に嫌だったら、私は哀牙さんの行動に応えたりなんかしなかった。でもその気持ちを言葉で伝えるのは気恥ずかしい。
「哀牙さん。私の家にはまだ野菜がいっぱいあるんです。哀牙さんの栽培したキノコもまた食べたいです。だから、またお鍋しましょう!」
そんな当たり障りのない、私にとってはこれが最適であると言わんばかりの言葉で返す。けれど哀牙さんはそれで十分だったらしく、胸のつかえが取れたような表情を浮かべて返事をした。
ようやく私の部屋の前まで到着したので、哀牙さんをお見送りをしますと言ったら断られた。仕方なく、私は言う通りに自分の部屋へ帰ってきた。思わぬハプニング……はあったけれど、今夜の食事は本当に楽しくて、久しぶりに心まで温かくなれた。いろんな気持ちで胸がいっぱいで、上手く表現しきれない。くすぐったいけど心地良い。今夜は良い夢が見れそうだ。
(20161216)
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Smotherd mate