Act.12 初めての贈られ物
「……なんだろ、これ?」
いつも通り出勤すると、私のデスクには1枚の置き手紙があった。どうやら哀牙さんからで、本人の姿は事務所内に見当たらない。無造作にそれを手に取って読み上げる。
『麗しき我がメイド殿。
本日の仕事はこの暗号を紐解くこと。
さすれば貴女は最後に愛を手に入れる』
また変な事を考えているなあ……。それとも、私の為に暇つぶしでも考えてくれたのかな。まあ、どちらにせよ、私に叩きつけられた挑戦状ですからしっかり解いてみせましょう。この私の燃える命にかけて。
「最初の暗号は……っと」
【額縁に彩られた我が眼が貫く先、
真実のアメが降り注ぐ】
額縁の哀牙さんと言うと、この事務所に飾ってある大きな肖像画だよね。隣にあるトノサマンと3ショットの彼は目を瞑っているし。
しかし、肖像画の哀牙さんの視線の先には壁しかない。……もしかして、壁を『貫いている』ということ? ならばその先にあるのは、給湯室だ。
私は給湯室へ入り、視線の先であろうおおよその位置へ歩を進める。多分、この辺だろうけど……紅茶の缶が所狭しと並べられた棚があるのみで、『真実のアメ』なんてものは見当たらない。『アメが降り注ぐ』――視線を上げると、上の段に一つだけポツンと缶が置いてあった。銘柄を確認すると"キャンディ"。まさか、アメ=飴=キャンディという事かな。
キャンディの缶に手を伸ばして取った時、缶の底に1枚の紙が貼り付けられているのが見えた。
【そこは正義の味方の舞台、
揺蕩う水面には口開けたままの敵が】
正義の味方の舞台って、先日行ったひょうたん湖公園? 揺蕩う水面ならひょうたん湖を指しているのかも。ってこの暗号、外まで続いてるのか。今の私はメイド服なのに外に出ろと、そう言うのか。まあ上着を着れば問題ないし、事務所内に居てもこれ以上解答は出ないだろう。大人しく従うべきか、否か。
「……ん?」
よく見ると缶の底に貼られた紙の内側が膨らんでいる。何だろうと思いながら紙ごと剥がすと、事務所のものらしき鍵があった。一旦事務所を出て、ドアの鍵穴に鍵を差し込んでみるとピッタリ収まった。そのまま回すとガチャリと鍵が掛かる。ああ、これで外に出ることは確定だ。
ひょうたん湖公園へ到着。真っ先に湖へ向かってみるけど『口開けたままの敵』って何かなあ。湖周辺を歩き回っていると、ちゃぷちゃぷという水音が耳に入る。ふと目をやると湖周りの柵にひょうたんが括り付けられており、ぷかぷかと浮かんでいた。よく見るとひょうたんはこれ1つだけではなく、一定の距離に配置されている。ボーッとそれを眺めていると、側を歩いていた人達の会話が耳に入ってきた。
「……なんでここを演説会場に選んだんだろうな」
「ひょうたんと言えば西遊記だろう。西鳳民国でも人気らしいぞ」
「へえ。次はボルモスブームが来たりしてな」
「ふっ、そうかもしれんな」
2人は歩きながら会話を続け、そのまま遠ざかって行った。"ひょうたんと言えば西遊記"――その言葉が私の頭に残った。西遊記ではとある敵がひょうたんを持って名前を呼んでくる。そして応じるとそのひょうたんに閉じ込められてしまう……という話がある。
水面に浮かぶひょうたんを手に取ってみるが、蓋は固く閉じていて開けられそうにない。あ、『口開けたままの敵』って、蓋が開いているひょうたんか。すぐに湖周りを歩き出し、1つずつ目で確認していく。何十個目かのひょうたんを目視した時――あった! 見つけた、蓋が開いているひょうたんだ。手に取って回してみると、中で何かが転がっている音がする。流石に手を入れられる大きさではないので逆さにして振ってみると、小さなペンと筒状に畳まれた紙が2枚、地面に落ちた。
1枚の紙には暗号、もう1枚は白紙だった。
【名を知らぬ故に呼ばれし名】
1→1:名前殿
2−2:砂米殿
3−4:黄金一殿
4−4:黄金一殿
5−3:我
6−2:名前殿
「……は?」
これまでの暗号とは全く違うタイプだ。難解かもしれない。軽く諦めを覚えた時、端の方にヒントが書いてあるのを見つけた。良かった。哀牙さんってば優しい。
『ヒント:1は"メ"ではなく"モ"。3は"ー"ではなく"ア"』
なるほど、わからん。一体何を言ってるんだろう。紙とペンが用意されてるという事は、多分書いて考える前提なのだろう。ひとまず、近くにあるベンチに腰を掛けた。
『名を知らぬ故に呼ばれし名』か……"お嬢さん"とか"あなた"とか"お兄さん"とか?……ううん、わからない。とにかく、色々書き出してみよう。
それから思いつく限りの呼び名を書き込んでも、いくら考えてもさっぱりわからない。ため息を吐きながらヒントにもう一度目を向けてみる。3は"ー"じゃなくて"ア"なんだよね。マスターさんをなんて呼ぶのが正しいんだろう。……ん? 待てよ。マスターの"ー"を"ア"に変えると"マスタア"になる。意味は同じだ。
「わかった! 職業だ!」
私は皆の職業を書き出した。私はメイド、砂米さんの本業はトリマー、黄金一さんはマスター、哀牙さんはタンテイ。
そして3-4という数字。前の数字は全体の順番を、後ろの数字は呼び名の4文字目を指しているんだ。だから『ーではなくア』に変換しているという事か。1→1だけ矢印なのはきっと、1文字目の"メ"を1つずらして"モ"にするという意味だ。絡まった紐が少しずつほどけていくような、解明という波が脳に押し寄せてくるような言い様のない喜びを感じる。脳内麻薬が分泌されているみたいだ。
そうして全員の職業に置き換えた結果。
1→1:メ(モ)イド
2−2:トリマー
3−4:マスタア
4−4:マスタア
5−3:タンテイ
6−2:メイド
「ええと、後ろの数字は呼び名の何番目か、を指してるから……モ・リ・ア・ア・テ・イ……モリアーティ!?」
モリアーティってあのシャーロック・ホームズの? こんな暗号にまで登場させるなんて本当に好きなんだなあ……じゃなくて、これは一体何を意味しているんだろう。ジェームズ・モリアーティか……、考え込んでいるとお腹が空腹を訴えて小さく鳴いた。公園にある時計を見ればちょうどお昼前だった。
この調子で謎解きなんて1日で終わるのかな。少し心配になってきた。でも腹が減っては推理が出来ぬと言うし、一旦事務所に戻ってお昼にしよう。
驚いたことに、事務所へ戻るとテーブルには食事が用意されていた。湯気の立った紅茶とスープパスタの横には「我が可憐なるメイド殿へ」と書き置きがある。料理はまだ温かい。さっきまで哀牙さんは此処に居たのだろう。せっかくだし、ありがたく頂いちゃおうかな。バッグに入れておいたカップ麺は明日に回そう。
「――哀牙さん、ご馳走様でした!……にしても結局、モリアーティって何だろう」
食事を終えて手を合わせ、ここに居ない人物にお礼を告げる。哀牙さんって料理上手なんだなあ、すごく美味しかった。しかし肝心の哀牙さんは相変わらずどこにも居ないし、次の謎解きもわからない。
食器を下げて流しで洗っていると、緑色のジョウロが目に入った。そうだ、ジェームズにもお水をあげないと……って、ああ、まさか! モリアーティって、観葉植物のジェームズの事!?
私はジョウロと霧吹きに水を汲んですぐにジェームズの元へ向かった。すると鉢植えには、コルクで蓋をされたガラスの入れ物が埋まっているのが見えた。それを抜き取る。どうやら試験管のようだ。中の紙を取り出すと、次の暗号が書いてあった。
【フランスで愛を囁く男、
滑稽なことにアイを知らず】
『フランスで愛を囁く男』……? 英語ならアイラブユーだけど、フランス語ならジュテームだっけ。あ、紅茶専門店の『寿亭六(じゅていむ)』? 男はマスターさんかな。彼なら哀牙さんから何か聞いてるかも。じゃあ今度は寿亭六に行ってみよう。
「こんにちは、マスターさん」
「これはこれは、お嬢さん。本日も見目麗しいですな。いつもの茶葉ですか?」
「すみません、今日は買物じゃないんです。あの、哀牙さんがこちらに来ませんでしたか?」
「いいえ、今日は奴の姿を見ていないので清々しているところです」
私の問い掛けに、マスターさんは首を横に振った。お互い、相手の居ない所でも皮肉を言うのは似たり寄ったりだと思う。
「昨夜なら哀牙めは来たのです。陳腐なモノを残して……」
そう言いながら、マスターさんは私に1枚のカードを差し出した。そこには『je t'aime』と書かれていた。まったくキザな男だ、とマスターさんは苦々しくこぼす。
私はマスターさんに一言断り、カウンター席に掛けさせて貰うことにした。ついでに食後のデザートを注文。すぐに温かい紅茶とガトーショコラが運ばれ、オマケに砂米さんが考案した新作のスイーツまで付いていた。サービスだなんて嬉しいな。可愛く彩られた苺のクリームタルトを一口頬張る。ほのかな酸味と甘味、滑らかな口溶け、んんー至福を感じる。って、違う違う、謎解きしなくちゃ。
『アイ』……、キャンディをアメと言い換えたように変換するなら、『アイ=love』かな。そしてマスターさんに渡された『je t'aime』のカード。『アイを知らず』は『loveを知らず』……つまり、『je t'aime』から『love』を抜いてみると……『j t'aim』? 何て読むんだろうこれ。じゅたいむ? eしか抜けてないから違うかも。
……そのまま、アイ=aiなら『je t'me』になる。……ジェットミー? 「私を飛ばして」? 何を飛ばせばいいんだろう。気付けば私はスイーツをぺろりと平らげ、残っているのはあと少しの紅茶のみだった。
「きゃっ」
「大丈夫か、唐子くん」
「は、はい、失礼しました」
声のした方へ視線を向けてみると、どうやら砂米さんがアンティークを飾っている棚にぶつかったようだ。棚に置かれている小物が微かに揺れている。その一番上の段に飛行機っぽいものに気がついた。それをジッと見つめているとマスターさんに、お嬢さんはジェット機が気になるのですか、と聞かれ……え、あれジェット機なんだ。
私が肯定するとマスターさんは、近くで見ても構いませんよと言ってくれた。その厚意に甘え、私は棚に近付いてジェット機のアンティークに触れさせて貰う。「私を飛ばして」との言葉通り手に持って掲げてみると、そのジェット機の羽の裏に次の暗号が貼ってあった。ビンゴだ。慎重にそれを剥がして目で読む。
【旅は終わり、全ては原点回帰なり】
『旅は終わり』、つまりこの暗号の道のりは今度こそ終わるという事かな。原点回帰はどこを指して……あ、そうか、探偵事務所だ。なんとなくそんな気がする。ようやく哀牙さんに会えるかもしれないと思った途端、胸がドキドキし始めた。この策士は終着点に何を用意してくれているのかがとても気になって、早く事務所へ戻りたい衝動に駆られた。
私はマスターさんと砂米さんに挨拶し、寿亭六を後にした。
事務所へ到着すると鍵は掛かっていなかった。しかし、所内に哀牙さんの姿は見当たらない。給湯室にも更衣室にも居ないので、仕方なく自分のデスクの元へ。するとデスクに暗号が貼ってあった。
【真実とは常に、灯台下暗し】
まだ暗号があったんだ。でもここにあるってことは、やっぱり『原点』は事務所で合っていたみたい。灯台下暗しって、要は足元にも注意を向けなさいって事だろう。デスクでの足元と言えば椅子の辺りかな。私は椅子を下げてデスクの下に屈んで入ってみた。そこにはバラの花束と綺麗にラッピングされた手のひらサイズのプレゼントボックスが置いてあった。
「あっ……! 痛っ」
驚きながらそれを手に取って頭を上げるとデスクに後頭部をぶつけた。う、子どもみたいなドジだ。哀牙さんが居なくてよかった――なんて思っていたら、拍手の音が耳に入ってきた。
今度は頭をぶつけないように、花束とプレゼントを抱えてデスク下から立ち上がる。拍手の音がする方へ体を向けると、哀牙さんが自分の席で、足を組んで座っていた。さっきまで誰も居なかったはずなのに、突然現れた哀牙さんの姿にビックリして私は目を見開いた。
「コングラッチュレエション、名前殿。実に素晴らしい推理でしたぞ」
「あ、哀牙さんっ! これは一体……!? さっきまで居なかったはず……」
「ミスディレクション。暗号に夢中な名前殿の"初めてのおつかい"ばりのムウビイ、草葉の陰から撮らせて頂きました」
ハンディカメラをデスクに置いて哀牙さんは楽しげに笑った。今日一日ずっと暗号で悩む私の姿を撮られていたなんて……なにそれ恥ずかしい。というか何してるんですか、哀牙さん。BGMはやっぱりアレですか。誰にも内緒にしちゃうやつですか。
「それで、この花束とプレゼントは何ですか?」
「オヤ、忙しさ故に日付も忘れてしまったのですかな? 人間とは根源的に時間的存在であることを思い出して頂きたい」
今日って何の日だっけと慌てて壁に掛かっているカレンダーを見る。日付は――先月、私が哀牙さんにチョコレートを渡した日から丁度1ヶ月の日だった。哀牙さん、私にわざわざお返しを用意してくれたんだ。こんなに素敵な贈り物と、楽しい暗号を。そう思うと、だんだん胸の奥が温かくなって、満たされて、なんとも言えない喜びの感情が湧き出した。
「哀牙さん、ありがとうございます! こんなに豪華なものを頂いてしまって……また何かお返ししないといけませんね」
「その返しでは足りぬ程の愛を、我は先月頂きました。クック、名前殿は奥ゆかしいですなあ。そこがまた……いえ、何でも」
哀牙さんはその先を言葉にせず、自分で口元に指をあてた。なんて言おうとしたのか聞きたいけれど、すでに胸が一杯な今、聞いてしまえばきっと溢れてしまう。それは実に勿体無いと思うのであえて聞き返さない。
それに、これだけで十分だ。哀牙さんの思いやりや心遣いが至極丁寧に私に伝わってくるのだ。
「哀牙さんにも、お裾分けです」
頂いたバラの花束から一輪抜き取って哀牙さんに差し出す。哀牙さんは呆気にとられた顔をしたけど、またいつもの笑顔に戻って嬉しそうに受け取ってくれた。
最初の手紙通り、私は最後に愛を手に入れることが出来たのだろう。でもたった1人で手にする愛はとても寂しいものだから、哀牙さんにも私からのササヤカな愛を……なんてね。
そんな、不思議で温かい3月14日のお話。
(20161229)
[
←
|
title
|
→
]
Smotherd mate