Act.14 嘘は本当の始まり
哀牙さんのデスクに本日1杯目の紅茶を差し出す。お礼を言いながら指先で取っ手をつまみ、哀牙さんはカップに口を付けた。同時に彼に声を掛ける。
「哀牙さん」
「何ですかな?」
「本日限りで辞めさせて頂きます」
ガシャン、と大きめの音を立てて、哀牙さんはソーサーにカップを置いた。目を白黒させて私を凝視した後、奥にあるカレンダーに視点を合わせてニヤリと笑う。……バレちゃったか。
「成程。エイプリルフウルですな?」
「やっぱり、騙せませんか」
『てへぺろ』なんて小悪魔みたいな可愛い女の子の仕草は出来ないので、小さく溜息を吐いて肩を落とす。名探偵とはいえ、こんなに早く見抜かれるなんて残念だ。あと、少しつまらない。
そんなに気を落とさずとも、我はこれでも焦った方ですぞ、なんてフォローを入れられるのがまた悔しい。そう思っていると、哀牙さんが人差し指を立てて提案した。
「どうですかな? 嘘吐きゲエムで騙された方が相手の言うことを1つ聞く、というのは」
「……良いですよ。リベンジです!」
私は、哀牙さんから持ち掛けられた勝負に乗ることにした。
ルールは簡単。正午までの間は互いに嘘を吐いて良い。当然だが、仕事に関しての嘘はNG。そして騙されたらその時点で負けとなる。
こうして、哀牙さんの合図を皮切りに、嘘吐きゲエムがスタートした。
「哀牙さん、ルーペが割れてます」
「クック、こうしてはっきりと名前殿の姿が見えているというのにですかな?」
「……哀牙さん、髭が生えてます」
「今朝剃ってきたばかりですが?」
「…………哀牙さん、顎が割れてます」
「……元からですな」
しかし、元々嘘を吐くのが苦手な私は、他に哀牙さんを騙せそうな嘘が思い付かなくて悪戦苦闘をしていた。無理をせずとも宜しいのですぞ、なんて逆に気を遣われてしまう始末。ああ、またフォローされてしまった、悔しい。初っ端から飛ばしすぎたなと少し後悔。
だって嘘吐きゲエムなんて面白そうだし、哀牙さんに言うことを1つ聞いてもらえるなんて贅沢だなって、その時は思ったんだもん。何をお願いするかは考えてなかったけど。
対する哀牙さんは私にどんな嘘を吐いてくるのだろうか、とんでもない爆弾を放ってきそうだ。そう思うとやっぱり無謀な勝負だったかもしれない。
哀牙さんが席を外している隙に、シャーロック・ホームズとアガサ・クリスティの本の表紙を入れ替えてしまおうか。いや、流石にそれは意地悪すぎる。どうしようかと書棚を眺めていると、見たことのない背表紙の本が目に入った。
「……『星威岳哀牙キノコ全集』?」
なんてふざけたタイトルだ。というか、こんな本あったっけ? とりあえず手に取ってページをめくってみる。すると中にはキノコの写真と一緒に成長記録が書いてあった。『ホシイタケ』って、以前、鍋パーティをした時に食べたやつだよね。他にもひらたけ、舞茸、えのき茸……本当に"タケ"のつくキノコばかり育てているんだ。結構美味しかったから、また食べたいな。なんて思ってページを進めていくと、黒い中表紙が挟まれていた。真ん中には黄色い三角にビックリマークが描かれていて、どう見ても『危険』を表している。
ごくり、と唾を飲み込み、黒い中表紙をめくってみる。
「えっ……?」
そこにあったのは、前半にあったキノコとは打って変わって、まるで毒があるようなおどろおどろしい色合いをしたキノコの写真ばかりだった。
「ワライダケ……じゃなくてワラッテホシイダケ? こっちはナイテホシイダケ?」
ワライダケは毒キノコだけど、ワラッテホシイダケなんて名前だけで笑いそうだ。まさかこれは、哀牙さんが自分で作り出した種類なのだろうか。更にページをめくると、今度は穏やかでない名前のキノコが現れた。
「し、シンデホシイダケ!?」
その文字列に目を疑った。底冷えのするような戦慄が体を駆け巡る。これって、紛れもなく『死んでほしい』って事だよね……!? 哀牙さん、こんなキノコを作ってどうするつもりなんだろう。まさか、これで誰かを殺すつもり――……
「見てしまわれたのですな?」
突如、音もなく現れた哀牙さんの登場に、私の小さな心臓が飛び跳ねる。
「あ、哀牙さん、これって……?」
「左様。それは哀牙が独自に品種改良を施した、我が分身達のアルバム」
哀牙さんは無表情のまま、そう言った。喜怒哀楽を一切感じさせない、光を失った瞳。私の知っている彼とは全くの別人に見える。
「……この最後の方に載っているのって、冗談ですよね? ほら、エイプリルフールだし……」
開いたページを指しながら、ぎこちない笑顔を作って哀牙さんに問い掛ける。けれど哀牙さんは、眉1つ動かさずに答えた。
「何を仰るやら。名前殿も以前、美味しそうに食べておられたではありませぬか」
「で、でも、鍋には椎茸しか……それに、哀牙さんだって食べていたはずです!」
「否、スウプパスタの方ですな」
『スープパスタ』と言われ、瞬時に記憶が蘇った私は、手に持っていた本を落として口元を手で押さえた。
それはホワイトデーの日の事。哀牙さんからの挑戦状として方々へ行かされ、事務所に戻ってきた時に食べたものだ。確かにあれには、見慣れないキノコが入っていた気がする。味は至って普通……いや、美味しかった。変な味なんて、しなかった。
すると哀牙さんが私の目の前までやってきて、手袋を着けた手で優しく私の顎を持ち上げた。口元に弧を描いて不気味に笑う。
「……とても美味しそうに、召し上がっておられましたな?」
哀牙さんは、ニタリ、と不協和音のような気持ち悪さにも似た笑顔を浮かべた。
今度こそ、私は言葉を失ってしまった。なんというものを食べさせられてしまったのだろうか。血の気が引く感じがし、世界がぐらりと揺れる。
「安心なされよ、名前殿」
……安心なんて、出来るわけがない。今は特に問題ないが、もしかしたらその内死ぬかもしれない。くつくつと喉を鳴らして笑う哀牙さんに、今は計り知れない恐怖しか感じない。彼の妖しげな笑い声は少しずつ大きくなり、やがて背を反らし、鼻を高く上げ、屈託のない笑い声に変わった。
「アーッハッハッハ!」
「……まさか、哀牙さん?」
「そのまさかですぞ! いやはや、実に愉快!」
…………騙された。
私は全身から力が抜け、項垂れる。完全に哀牙さんのペースに乗せられた。何という迫真の演技だっただろうか、ああ、本当にしてやられた。私は落とした本を乱暴に拾い上げてバサバサと振りながら哀牙さんに物申す。
「その為にこんな図鑑まで作ったんですか!?」
「ズヴァリ! 我が微々たる分身の観察日記でもありましたが、後半は完全なるブラックジョオク! クックック、まんまと騙されましたなぁ?」
哀牙さんは子どもみたいにケラケラと笑っている。非常に楽しそうだ。私は楽しくないけどね!……でも、本当にあんな恐ろしいキノコを開発しているわけじゃなくて良かった。哀牙さんのデスクを見る限り、いろんな研究をしているみたいだから実際にやってそうで信憑性が高かったんだ。
「それでは名前殿。願いを1つ、宜しいかな?」
「……仕方ありませんね。何でしょうか」
負けは負けだ。哀牙さんの願いがどんなものかわからないけど、聞くしかない。
「毎朝、我に紅茶を淹れて下され。勿論、常にシュガアとミルクを添えて」
「え? いつも淹れているじゃないですか。まさか土日も……って事ですか?」
「い、いえ。そうでは……」
「あっ、でも確かにたまに砂糖とミルクを付け忘れていた事がありましたね。うっかりしてました。次から気を付けます!」
「…………あいや! 頼みましたぞ、名前殿! この哀牙は欲張りなものですからな」
合点がいって返事をすると、哀牙さんは少し間を置いてから頷いた。どんな願いを要求されるかと思えば、とんだ肩透かしな内容だ。紅茶に砂糖とミルクを添えるのは当然だし、別に欲張りだなんて思わないけどな。レモンも、って言われたらそれはそれで用意するけど。……ん? そう言えば最近の仕事で、似たような事を言ってた気がしたけど。まあ、それとは関係ないか。
15時の休憩で紅茶を入れる。もちろん、言われた通りに砂糖とミルクも忘れずに。カップの乗ったソーサーを哀牙さんの前に置き、それを飲み込んだのを見計らって一言。
「哀牙さん。実は私、結婚してたんですよ」
「ぶゴフぉオッ!」
午後になって完全に油断していたのか、哀牙さんは勢い良く紅茶を吹き出した。勿論ジョークです、と唇の前に人差し指を添えて言うと、哀牙さんはやれやれと言った様子で、ハンカチで口元を拭いながら「一本取られましたな……」と苦々しく呟いた。その後、「やはり変化球はナンセンスですなぁ……」とボヤいていた。
勝負は正午までだから今回の嘘は無効だけど、哀牙さんの予想以上に驚いた反応を見れただけで十分満足だ。
それに、もしかしたらいつか『嘘』が『本当』になる日が来るかもしれない。まだ見ぬ未来に思いを馳せながら、私はそっとティーカップに口を付けた。
(20170212)
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Smotherd mate