Act.15 爛漫の春色に酔う
「おはようございます、名前さん、星威岳さん!」
「砂米さんおはよう!」
コンコンと軽快なノックの後、事務所に入ってきたのは『寿亭六(じゅていむ)』の店員、砂米(さごめ)さん。今日は、寿亭六の皆さんと一緒にお花見をする約束をしていた。
というわけで、事務所のキッチンを借りて2人でお弁当を作り始める。材料はすでに冷蔵庫に揃っている。ちなみに、飲み物やデザートは寿亭六さんが用意してくれている。
「いつぞやはお世話になりました〜」
「いえいえ、こちらこそ。あれから、マスターさんや紅葉(こうば)さんはどうですか?」
「ええ、元気ですよ〜!」
砂米さんが起こした小さな事件の後、マスターさんは容赦なく色んな仕事を彼女に振り分けるようになったらしい。けれど砂米さんは、どんな仕事も楽しくこなしていると言うので安心した。
2人でキッチンに立ち、手軽な料理を次々と作っていく。おにぎりとサンドイッチ、唐揚げ、サラダ、卵焼き……沢山の料理で埋まっていく重箱は色とりどりで何とも食欲をそそる。
何か静かだなぁ……って、そうだ哀牙さんを放ったらかしにしていた。給湯室のドアへ振り返ると、哀牙さんは10センチ程の隙間からこちらを羨ましそうに眺めていた。
「良いですなぁ、華やかなお嬢さん方が我の為に料理をする姿は……」
とても怪しかったので、静かにドアを閉めました。ドアの向こうから淋しげに鼻をすする音がしていたけど、聞こえないフリをして料理を続行しました。
お弁当が完成し、必要な荷物を持ってひょうたん湖公園へ到着すると丁度お昼の時間になった。公園内の桜の木はどれも満開で、沢山の花見客で溢れている。紅葉さんとも合流し、「本当にメイド服なんですね」とツッコミを食らった。……だって哀牙さんが「どうしても本日はメイド服で」と言うものだから。それに、割りと慣れてしまったのもある。半分は諦めだけど。
そんな話をしながら場所取りをしてくれているマスターさんの元へ向かう。すると、和気あいあいと花見を楽しんでいる人々の中心に、可愛らしいシートの上でポツリと寂しそうに体育座りをしているマスターさんの姿を発見。……何で男性陣はこうも悲しさを醸し出すのが上手なのだろうか。なんとか笑いを堪えているとマスターさんがこちらに気付き、ずかずかと大股で歩み寄ってきた。
「おい、哀牙め貴様! ノコノコと現れおって、許さんぞ!」
「やあれ黄金一殿! 場所取りご苦労ですぞ!」
「き、貴様……へっくしょい!」
文句を垂れながら大きなくしゃみをするマスターさん。一体何をそんなに怒っているのだろうか。はてなマークを浮かべていると、マスターさんが拳を握りながら今度は私に訴えてきた。
「名前さん、聞いて下さい。皆はこうして昼に集まったと言うのに、私だけが朝の5時集合だったのですよ!」
衝撃の理由に今度こそ笑いを堪えきれず、私は吹き出した。肩を震わせながら慌てて口元を隠す。
……ということは、マスターさんは7時間近くも1人でここに居たのか。周りはとても楽しそうにどんちゃん騒ぎをしている中、1人寂しく体育座りをしていたマスターさんを思うと切ない……が、我慢、笑ってはいけない。ちなみに、各々に集合時間を連絡したのは哀牙さんだ。
「まあまあ、マスター。私と名前さんでお弁当を作ったので、いっぱい食べて下さい〜」
「マスターさんが朝早くから場所を取ってくれたお陰で、桜が近くで眺められますね。ありがとうございました!」
砂米さんのフォローに合わせて私もマスターさんにお礼を伝える。マスターさんは労いの言葉に多少怒りが収まったのか、「やれやれ」と言いながら再びシートに腰を下ろした。
私と砂米さんは重箱の包みを開けて皆に割り箸と取り皿を配り、紅葉さんはポットを取り出して紅茶を手渡していく。
「僕も紅茶を入れてきました。桜の紅茶です」
桜の紅茶なんて飲むのは初めてで、少しの塩気と優しい春の香りが新鮮だ。紅葉さんもマスターさんや哀牙さんに引けを取らない腕前で関心してしまう。
すると、桜の花びらが紅茶の中に落ちてきた。うんうん、お花見っぽくて良いなぁ、楽しいなぁ。
「……紅葉くん。この紅茶、アルコールが入っている気がするのだが?」
「あれ……? あ、自分用に作ったやつと間違えました。すみません」
「すみませんではない。道理で名前さんが何やらへにゃへにゃしていると思ったぞ!」
マスターさんが私を手で示しながら紅葉さんを叱る。ええ、私、そんなにへにゃへにゃしてたかな……確かに紅茶を飲む度に、なんだか気持ちが陽気になっていく感じがしたけど。
「名前殿、大丈夫ですかな?」
「へへへ、だいじょーぶですよ〜!」
哀牙さんの肩をぺしぺし叩きながら笑って返す。そんな私の行動に哀牙さんはギョッとして、マスターさんに向かって指を突きつけた。
「全く大丈夫ではないですな! 黄金一殿、なんたる失態を!」
「わ、私のせいだというのか!?」
言い争いを始める哀牙さんとマスターさんには目もくれず、砂米さんは桜色のチーズケーキを私に差し出した。
「名前さん、これ私の新作です。どうぞ〜」
「ありがとうございます〜!」
お礼を言って受け取り、フォークで切って一口食べる。なめらかな口当たりと桜の風味がまさにジャスティス。寿亭六の店員さんって、どうしてこうも洗練された腕前の持ち主ばかりなのだろうか。チーズケーキの美味しさに感動しながら、私は砂米さんの方を向いて言った。
「わあ〜美味しい! すごいです砂米さん!」
「名前さん、僕は紅葉です」
……とまあ、そんなこんなで楽しい時間は過ぎて行った。
お花見の解散後、寿亭六メンバーと別れて、私と哀牙さんは探偵事務所へ戻った。給湯室へ入り、早速空になった弁当箱を洗おうとすると哀牙さんに止められた。まだ酔っているだろうから休んでいて下され、なんて言われるけど、すでに酔いは大分冷めている。多分。でも腕まくりをしてスポンジに洗剤を付ける哀牙さんの姿が新鮮だったので、もう少しその姿を見ていたいと思い任せることにした。
ヘッドドレスを外して哀牙さんに寄り添い、彼の肩にそっと頭を乗せる。スーツの固い布地ごしに感じる哀牙さんのしっかりとした肩は、このまま体重を預けても大丈夫ではないかとさえ思わせた。私の胸の鼓動は徐々に強くなっていく。
すると哀牙さんは動きを止めて固まった。あ、そうか、これじゃ洗い物が出来ない。すぐに哀牙さんの肩から頭をどけると、思い出したように洗い物を再開した。
「哀牙さん、今日はとても楽しかったです」
「そ、そうですな……ッ」
酔っているからこんな行動にも出てしまうのだと、哀牙さんにはそう思っていて欲しい。けれど私は今にも心臓が破裂しそうなくらい激しく脈を打っている。楽しい時間が終わってしまったのが名残惜しくて、誰かに甘えたい気分だった。そう思って哀牙さんの肩に頭を乗せてみたけれど、あまりにも恥ずかしくてそれどころではなかった。
スタンドに掛かっているタオルを手に取り、綺麗になった弁当箱を隣で拭き始める。横にいる哀牙さんの顔が怖くて見れない。なんて馬鹿な真似をしてしまったのだろうか。
きっとまだ、私の酔いは冷めていなかったんだ。
(20170226)
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Smotherd mate