Act.16 姿を消した美術品・上
紅茶一式を乗せたワゴンを押してエレガントなカーペットが敷かれた廊下を渡り、重厚なドアをノックする。中から返事が返ってきたので丁寧にドアを開け、読書をしているファビュラスな奥様の元へワゴンを運び、ブリリアントな紅茶を淹れた。
「本日はカモミールティーです」
「ありがとう、名前さん」
そう言って、ファビュラスな奥様は本を閉じて優雅に紅茶を嗜む。そう、こちらの奥様こそが私の新しい雇い主……ではなく、今回の依頼人である。
何故私がこんな豪邸でメイドとして働いているのかというと――
***
『屋敷の物が紛失している、と?』
『ええ。ですので、調査をお願い致しますわ』
哀牙さんと向かい合っているのは40代後半のお淑やかな女性、猿西 論子(えんざい ろんこ)さん。隣の市に広い土地を所有する猿西財閥の奥様だ。私も何度かあの豪邸を見かけたことがあるけど、馬を庭で散歩させていたり、バラの庭園があったりと、あそこだけ異国みたいな雰囲気があった。まさかそんな日本でも有数の名家が依頼に来るなんて。
論子さんの話では、どうやら屋敷にある美術品が3〜5日に1度くらいの割合で紛失していると言う。猿西家に数多ある美術品の中ではそれほどの値打ちが無いものなので、最初は気付かなかったし、誰かが誤って割ってしまったのかもしれないと気にしていなかった。だがあまりにも相次いで紛失する為、流石におかしいと思ってこの哀牙探偵事務所へ相談に来たのだ。
『誰かが盗んでいるのか、もしくは壊してしまったかはわかりません。もし前者であれば猿西家の名誉に関わります。なので星威岳探偵には事を荒立てぬよう、内密に解決して欲しいのですわ』
ちなみに紛失している物の金額は大体30〜80万程のもの。十分値打ち物だと思う。が、どうやらお屋敷で一番価値があるのは"ブルーダイヤモンド"という5億はくだらない宝石のようだ。確かにそんなものと比べれば30万なんて霞んでしまうけど……自分の庶民っぷりに少し悲しくなった。ああ、今日もいい天気だなぁ。
哀牙さんは少し考えた後、豆電球を頭上に浮かべたような表情をして猿西さんの依頼を承諾した。
『あい分かりました! この哀牙の頭脳で迷宮入りのミステリイをゴオルへ導いてみせましょう!』
『まあ! ありがとうございますわ!』
『ただし、条件が1つ――』
哀牙さんの条件とは、私が猿西家のメイドとしてあらかじめ潜入しておく事だった。
何故かというと、実際に盗みを働く者が居るとすれば、哀牙さんが探偵として屋敷に来た時点で犯人は慎重になり、犯行を中断するかもしれない。だからまず、私がメイドとして屋敷に潜入し、証拠を見つけ次第哀牙さんに報告、十分に証拠や証言を集めた上で逃げ場なく犯人を追い詰めよう、という作戦だった。幸い猿西家は使用人も沢山雇っているので潜り込むのは容易い。
また何かすごい大役を任された気がする。それにメイドという職業がこんな形で役立つとは思わなかった。私は"なんちゃってメイド"だけど。
かくして、私は猿西家のメイドとして働くことを余儀なくされたのだった。
***
潜入捜査を始めて3日。
私は猿西家のメイドに成りすまし、屋敷内の人間について調査を行っていた。その後は探偵事務所へ戻って簡単な資料を作成し、哀牙さんに報告をするのが1日の流れだ。調査とは名ばかりの素人作業だけど、哀牙さんは私の働きぶりに満足しているようだった。まだまだ未熟な私ではあるが、哀牙さんの役に立てるのは嬉しい。
『……して、名前殿、本日の調査はいかがかな?』
「はい、哀牙さん」
右耳のイヤリングから哀牙さんの声がする。私は首元に付けた赤いブローチに声を落として返事をした。イヤリングはイヤホンを、ブローチはマイクとカメラの役割をしているものだ。
「昨日お渡しした資料で、哀牙さんがピックアップした人の調査を深めます」
哀牙さんに渡した資料の内容は、猿西家の方々と使用人(私が個人的に怪しいと思った人)のリスト。それを見た哀牙さんは、奥様はもちろん旦那様もシロだと言った。それと数名の使用人を怪しい人物リストから排除。
まだグレーゾーンにいるのは、3人のお子さんと2人の使用人。
長男の一聞(かずき)さん、24歳。旦那様の後継ぎとして日々仕事に励んでいる。婚約者は取引先の社長のご令嬢で、よく貢いでいるらしい。
次男の言二(ゆうじ)さん、21歳。大学生。長男が居る為、勉学やビジネスに興味がない様子。友人関係や素行はあまり良くない。
長女の三見子(みみこ)さん、20歳。大学生でありながらアパレル関係の会社を任されている。気立てが良く、使用人とも交流がある。
使用人の1人は語居 貝霧(ごい かいむ)さん、27歳女性。メイドの片手間に小説を書いている。いわゆる売れない小説家。
もう1人は津留村 先斗(つるむら さきと)さん、25歳男性。半年前からこの屋敷で働いている。女性からの人気が高い。
長男の一聞さんは恋人に貢いだ額が相当らしいし、次男の言二さんは悪い友達とつるんでいる。三見子さんはお金の使い方が荒く、語居さんは稼ぎが良くない、津留村さんはまだ期間が浅い。さらに使用人の2人は犯行当時にいつも屋敷内に居たのだ。
うーん……考えれば考えるほど全員が怪しく思えてくる。哀牙さんはもう検討がついているのかな。これくらいしか出来ない自分の能力がもどかしい。ハタキを握っている両手に力を込めながら窓の外を眺めていると、声を掛けられた。
「名前さん、そんなところでどうしたんだ?」
「あっ、津留村さん。ええと、ホコリが……」
彼は怪しい人物リストに載っている内の1人だ。哀牙さんと話していたのを誤魔化すべく、私は手に持っていたハタキで窓を掃除し始める。すると津留村さんは私の手からハタキを取って、窓の上を叩いた。
「君の背じゃ届かないだろう? はい、返すよ」
「あ、ありがとうございます……」
そっと私の手にハタキを戻され、爽やかに笑う津留村さん。これが女性からの人気が高い理由か……と思っていると、イヤリングから不機嫌そうな哀牙さんの声が聞こえてきた。『名前殿、すぐにこの場から離れるのです』なんて指示を出されるので、私はそそくさとその場から去ろうとする。
「それでは私はこれで……」
「名前さん、仕事には慣れたかな?」
『名前殿、スルウですぞ。さあ、早く……』
「ええ、皆さん優しい方ばかりで、やり甲斐もあります。で、では……」
『名前殿、我の教えを覚えておりますかな?』
「そうか。ならこの屋敷でずっと働けば良い」
『なりませぬッ! 此奴、ヘッドハンティングとはいい度胸ですな……?』
哀牙さんと津留村さんのステレオで話し掛けられて頭が混乱する。私も逃げたいのは山々だけど、変にかわして怪しまれるのも避けたい。津留村さん、新人の私にまで気にかけて名前を覚えてくれるのは嬉しいんだけど、今はありがた迷惑だ。大丈夫かな、私の顔ひきつってないかな。
「名前さん、手空いてる? こっち手伝って欲しいんだけど」
「は、はい! 今行きます!」
他のメイドさんに呼ばれ、私は津留村さんに頭を下げて足早に立ち去った。助かった……けど、先程まで騒いでいた哀牙さんの声が全く聞こえなくなってしまった。どうしたんだろう。
その上私を呼んだのは怪しい人リストの1人、語居さんだった。与えられた仕事は、棚に並んでいる美術品の拭き掃除。ずらりと並ぶ数々の美術品にめまいがしそうだ。これ……いったい全部でいくらになるんだろう。ああ、また庶民の癖が出てしまった。
「次はどれが狙われるのかしら。うーん、小説のネタに出来そう!」
「そ、そうですね」
隣の語居さんは目を輝かせながら右手の万年筆を手帳に走らせる。何でもネタにしようとする意欲はさすが物書きなだけある、とは思うがこうして屋敷に被害が出ている事を考えると少し不謹慎だ。まあついでに今回の事件について色々聞いておこうかな。
「紛失の件については皆が知っているんですか?」
「ええ。奥様は隠していらっしゃるけど、屋敷内では噂になってるわ」
やはり人の口に戸は立てられないのだろう。とすれば、一刻も早くこの事件を解決させなければ、奥様の望まぬ"大ごと"になってしまう。
語居さんと拭き掃除を始めてから40分程経った頃、今度は奥様に呼ばれた。長い廊下を歩く奥様の背中に付いて行き、客室に入るよう促される。ドアを開けたその先に居たのは――
「えっ、哀牙さん!? 何しているんですか!」
「クックック、"哀牙探偵事務所の"可憐なるメイド殿、ご機嫌麗しゅう!」
何かに対抗するように強調しながら哀牙さんはそう言った。道理でイヤリングから哀牙さんの声が聞こえなくなったと思った。
まだ調査の途中だというのに何故ここへやって来たのか尋ねると、「そろそろ我の出番なのですよ」と誇らしげに答えた。もしかして、私が心配になって助けに来てくれたのかな。
今日はこれから哀牙さんの指示通り、息子と娘の部屋を調べる予定だったので、奥様の許可を頂いて部屋の鍵を受け取る。仕事や大学で居ない今がチャンスだ。奥様は自分の子どもに容疑がかかっている事に複雑な面持ちだったけれど、仕方がないと割り切ってくれた。
息子の部屋は哀牙さん、娘の部屋は私が担当になった。哀牙さん曰く『年頃の男性の部屋は魔窟』らしい。
三見子さんの部屋はレースのカーテンや天蓋付きのベッド、大きなクローゼット……と、見事にお嬢様の部屋をしていた。天蓋付きのベッドなんて初めて見た。もう少し傍で眺めようと近付くと、手前にあったミニテーブルにぶつかってしまった。その上に置かれた花瓶が落ちる直前に何とかキャッチ。良かった、割れていない。これもまたお高いのだろう。しかし、中の水が床に溢れてしまった。エプロンからタオルを取り出し、床に膝をついて拭き始める。
「……ん?」
よく見るとこの水、床の間に滑り落ちている。不思議に思ってベッドの下に潜り込み、床を探ると小さな隠し扉を発見した。しかし鍵がかかっている。もしかして秘密の日記とかがあるのかな。いや、だったらデスクとかに隠した方が取り出しやすいし、わざわざベッドの下なんて。
……怪しい。私は手袋を着けて哀牙さんから借りた探偵道具の1つ、ピッキングツールをポケットから取り出した。どんな形状をしているかは企業秘密。それを鍵穴に差し込むと扉は簡単に開いた。探偵道具って怖いなぁ。
隠し扉の中はそんなに広くなかった。黒い鉄製の箱を見つけ、持ち上げて取り出す。よく見ると、9つの番号のボタンがあり、箱と連動しているようだ。今度は4桁の番号を入力か。ますます怪しくなってきた。
ポケットからスプレーとミニライトを取り出す。これも哀牙さんから借りたものだ。スプレーをナンバーのところに吹き付けて、この特殊なライトで照らすと……4つのボタンが淡く光り出した。数字を色んな順番で押していく。何度か挑戦した後、鍵の開いた音がした。逸る気持ちを押さえながらゆっくり箱を開ける。
「こ、これは……!?」
何枚もの紙が束になって収まっている。どの紙にも同じ文字、そして金額が書かれていた。こんなものが1枚あるだけでも、私にとっては恐怖なのに。
……そう、私がそこで見つけたものは、数十枚に及ぶ請求書だった。
(20170302)
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Smotherd mate