Act.17 姿を消した美術品・下
バタバタと慌ただしく廊下を走り、息子達の部屋に居るであろう哀牙さんを探す。次男の言二(ゆうじ)さんの部屋で彼を発見し、私は三見子(みみこ)さんの部屋で見つけた請求書を勢い良く突き出した。
「哀牙さん、見て下さいコレ!」
「これは……請求書、ですかな?」
「はい! 長女の三見子さんの部屋で見つけたものです。1枚や2枚ではありません。しかも、厳重に保管されていました!」
私が持ってきたのはほんの数枚だが、三見子さんの部屋で見つけた請求書は軽く30枚は超えていた。ベッドの下の隠し扉やパスワード制の金庫の旨も報告する。
私が思うに猿西家の美術品紛失事件は、三見子さんがこれらの請求の支払いをする為に盗み、売り捌いてお金にしていたのではないだろうか。
「お手柄ですぞ、名前殿!……が、しかし! 探偵はいかなる時も冷静さを失ってはなりませぬ。まずはこの請求書の裏付け調査を致しましょう」
「わかりました!」
そうだ、まだ請求書が見つかったというだけで、盗んだという証拠はない。ひとまず客室に戻ろうと廊下に出る。長い廊下を突き進み、角を曲がった時、津留村さんと鉢合わせた。
「おや名前さん、そちらの方は?」
「あっ、その、ええと……! 奥様のご友人の志井 タケオさんです!」
私のネーミングセンスの無さに哀牙さんが小さく吹き出した。すみませんね、椎茸の印象が強くて。
「本日の来客予定は無かったはずですが……」
津留村さんは内側の胸ポケットから手帳と万年筆を取り出した。左手でペンを持ち、手帳に『来客:志井さん』と記入する。
「その万年筆、語居さんも持ってましたね」
「ええ。これは猿西家に勤めている使用人に渡されるものなのです」
なるほど、じゃあ猿西家の使用人全員がこの万年筆を持っているのか。「長く勤めればその内貰えるだろう」と言われるが、哀牙さんの視線が怖かったので乾いた笑いで誤魔化すしか出来なかった。
その後、私達は客室へ戻り、今まで集めた証拠や調査資料を元に犯人を割り出すべく推理を始めた。
屋敷の全員が寝静まった午前0時、ダイニングの床が小さく軋む。壁際に連なる棚や暖炉の上には、昼間に使用人に手入れされた芸術品がずらりと並んでいる。その中の暖炉の上に置かれた壺が何者かの手によって宙に浮き、ニヤリと笑みを浮かべた。
――瞬間、室内の明かりが一斉に点く。シャンデリアの明かりに目が眩み、持っていた壺を慌てて小脇に抱えた。
「数々の紛失事件の犯人はアナタですな?」
声の主へ振り返ると、そこに立っていたのは我らが名探偵、哀牙さん。私も彼の隣に立ち、犯人の姿を目に焼き付けた。
ダイニングの扉が開き、室内に猿西家の人々や使用人達が入ってくる。全員が全員、犯人の姿を見て驚いていた。奥様は悲しげに犯人に問い掛ける。
「どうしてあなたがこんな真似を……三見子!」
「ち、違う……私は……!」
顔面を蒼白させながら三見子さんは首を横に振る。しかし脇に抱えている壺が何よりの証拠だ。哀牙さんは盗難の証拠を現行犯で証明する為に、今夜の犯行を待っていたのだ。
「何でそんな事を……!」
「三見子、本当にお前なのか……?」
家族が三見子さんに言葉を投げる。けれど彼女は、自分のしでかした事の重大さにようやく気付いたのか、ただ震えるばかりで何も答えない。
すると哀牙さんがゆっくりと彼女に近付いて、持っていた壺をそっと取り、再び暖炉の上に戻した。
「全く、粗末な計画を"犯行"と言われるのは、"犯行"という言葉が哀れに思えてくるものですなあ」
哀牙さんが皮肉交じりにそう言うと、その場に居た皆が口を閉じた。いよいよここからは名探偵の哀牙さんの見せ所だ。
「我こそは孤高の名探偵、星威岳哀牙! お集まりの皆々様には、我が今宵のミステリイをご案内致しましょう」
見て分かる通り、哀牙さんてばすっごくウキウキでノリノリだ。この瞬間の哀牙さんはいつも輝いていて、何故だか私まで誇らしくなる。
「まず取り出したるはこの請求書! 三見子殿、貴女の部屋で見付けたものです」
「そ、それは……!」
哀牙さんは私が発見した請求書を取り出して皆に見えるように広げる。それを見た三見子さんはしっかりと反応し、周りはざわついた。
「請求書!? お前、まさか金に困って……」
「そんなに金の無駄遣いを……」
「あいや待たれよ! これはフェイクなり!」
哀牙さんは周りの言葉を遮って説明を始めた。
「名前殿が請求元に電話で確認したところ、このような請求書は発行していないそうで」
昼に請求書を見つけて客室に戻った後、私は哀牙さんに言われて請求書の電話番号に電話を掛けた。その会社は実在していたし、現在も営業中だった。更に詳しく聞いた所、三見子さんの会社と関係がある事を知った。
「三見子殿、これらの会社は貴女の会社と取引があることがわかりました。何らかの方法で未記入の請求書を手に入れたのでしょう。だがこれは、万が一にも三見子殿が犯人と見破られた時に我々のミスリイドを誘う為、用意された罠ッ!」
推理が当たっていたのか、三見子さんは恐れを抱くように哀牙さんを見つめた。ではその罠を用意したのは誰なのかというと……その先を私は知らない。
「ズヴァリ、この事件には真犯人が居る! それこそが、美しき推理が我に囁く真実ッ!」
「し……真犯人!?」
「誰なんだ、それは!」
"真犯人"という言葉にどよめきが起こる。哀牙さんは、三見子さんは実行犯で、計画犯である真の黒幕が存在すると言った。
「この請求書を見た時にすぐ気付きましたぞ。どの字も筆跡が似たり寄ったり。更に右下がりの文字、慣れぬ筆で書いたであろうペン先の引っ掛かった跡はまさしくサウスポオ……左利きの証ですな」
左利きと聞いて思い当たる人物は、1人居る。それは今日、私達の前で手帳を広げ、万年筆で文字を書いていた人物――に、哀牙さんは人差し指を突きつけた。
「津留村殿、貴方しかございませぬ」
名指しされた本人は、周りの驚愕の声をものともせず涼しい顔をしている。ちなみに語居さんが右利きなのは、一緒に美術品の拭き掃除をしていた時に私が確認した。
「つ、津留村!? お前が!?」
「……確かに私は左利きですが、それだけで犯人と断定なさるのは、些か失礼ではありませんか?」
「いいえ、証拠はそれだけではありませぬ」
哀牙さんは腰に手を当て、ふんぞり返りながら自信ありげに言った。
「本日の昼下がり。我の来訪を記入するべく貴方は手帳を取り出しましたな」
「ええ、しましたが?」
「その時に見えたのですよ。……本日の犯行を示唆するメッセエジが」
哀牙さんの言葉に、津留村さんは僅かに顔に苦渋を滲ませた。頬に一筋の汗が伝う。
「本日の日付に『D-R5p』、5日前に『L-L3d』と書かれておりましたが、どういう意味かな?」
「ただの個人的なメモです。大したものでは……」
「津留村、見せてみろ。大したものでないのなら良いだろう?」
旦那様が津留村さんにそう言うと、彼は小さく舌打ちをして手帳を差し出した。中身を確認すると哀牙さんの言う通り、確かに暗号めいた文字列が書かれていた。
「奥方殿によると5日前、『リビングの左から3番目の皿』が盗まれた。手帳の暗号は『L-L3d』。そして今夜、『D-R5p』……『ダイニングの右から5番目の壺』が長女殿の手に渡っている。偶然とは思えませぬな」
「ま、まさかこれは……!」
「ご想像の通り、DやLは部屋を。R・Lは左右。数字は順番。壺はpot、皿はdish、絵画はart、それぞれの頭文字を指していたのです」
前のページをめくると、数日ごとに似たような文字列が書かれていた。見事に全ての日付が、美術品が姿を消した日と一致していた。
「これはセエルスマンや空き巣が玄関の表式に残すマアキング――例えば『SW 8-17R』=『独り暮らし(single)の女性(woman)、8時から17時まで留守』という暗号と全く同じ手法なのですよ」
「こ、こじ付けですね。それに、これは美術品が紛失した後に書いたもので……!」
「苦しい言い訳は無用! 我は今夜の事件が起こる前にその暗号を見付けたのですぞ? わざわざ暗号にするのは自分以外にバレぬ為! 全ては貴方が事件の黒幕だと、証拠が物語っているッ!」
「ぐうううっ!」
哀牙さんの怒気のこもった強い言葉に、津留村さんは強風に吹かれたように背を反らした。ゆっくりと体勢を戻し、肩と頭をガクンと落とす。哀牙さんはさらに追い打ちをかける。
「さて、実はこのような手口を使って甘いマスクで若い女性を騙し、自らは手を汚さぬ犯罪グルウプが我々の界隈では有名になっておりましてな」
「…………」
「津留村殿。あなたはその犯罪グルウプが1人。違いますかな?」
「……やはり、ただの来客ではなかったのですね」
津留村さんはゆっくりと顔を上げ、つまらなさそうに拍手をした。手のひらがぶつかり合う音が室内に虚しく響く。とっくに追い詰められているというのに、彼の顔は薄ら笑いを浮かべていた。
「素晴らしい推理ですが、探偵さん。貴方の話は全て憶測にすぎない。決定的な証拠が欠けている、そうは思いませんか?」
確かにこの男の言う通り、彼が美術品を三見子さんに盗ませ、大金を得ていたという決定的な証拠がない。しかし哀牙さんはすでにこれこそが真相であると言わんばかりに揺るがない。
「その余裕、実に素晴らしいですな。しかし、貴方が話さずとも――……彼女はどうでしょうか?」
哀牙さんの視線は津留村さんから三見子さんに移る。彼女は自分に再び注目が集まり、ビクッと体を揺らした。
「三見子殿、貴女はこの男に唆されてこれまで盗みを働いてきた。どうかな?」
「わ、私は……騙されていたの……?」
「いいや違うさ、三見子。俺はお前を心から愛している」
三見子さんは戸惑い、冷や汗をかきながら親指の爪を噛む。本当の事を言うのが怖いのだろう――家族の目の前で罪を認めるのが、心を許した男に裏切られていたという事実を目の当たりにするのが。けれど真実はもう目の前まで来ている。私は彼女の後押しをしようと言葉を放った。
「三見子さん、哀牙さんの話が本当なら貴女は共犯者じゃなくて被害者です。家族と犯罪者のどちらを取るべきか、今、決断をする時です!」
すると彼女はハッとして、戸惑いから決意の表情に変わった。
「……ごめんなさい。私は先斗……いいえ、津留村に言われて、美術品を盗んでいました……。請求書は全て、偽物です……」
「や、やめろ! くそっ、このメイドもどきが!」
三見子さんの告白に津留村さんは愕然とし、近くに居た私に掴みかかってきた。振り払えない程の強い力で手首を捕まれ、顔を歪ませながら噛み付かんばかりに吠えかかってくる。
「お前はあの探偵の駒だったんだろう! 全部台無しにしやがって!」
『――名前殿、我が教えを覚えておりますかな?』
本来なら恐怖心で頭が回らないはずなのに、哀牙さんが教えてくれた言葉が自然と脳内再生された。
『……の時は、手首の付け根を顎から……』
『ですが、もし腕を掴まれてそれが出来ぬ場合は──』
私は腹を決めてグッと歯を食いしばり、頭を振りかぶって──真犯人の顔面めがけ、思い切り頭を振り下ろした。ゴッ、と鈍い音がして、自分の額に重い痛みが走った。……あいたたた。思ったより痛かった……!
「がアっ、あ……!」
鼻を中心に頭突きを食らった津留村さんは、私以上の痛撃を受け、足をもつれさせながらよろめく。
「このアマッ……!」
鼻から鮮血を流して再び殴りかかってくるが、その拳が私に届くよりも先に哀牙さんの右ストレートが津留村さんの顔にめり込んだ。首を変な方向に曲げながら床に倒れ、そのまま気を失った。
「その薄汚い手で
我の名前殿に触れないで頂きたいッ!」
哀牙さんは乱れた衣服を整えながら地に臥せっている津留村さんに言い放つ……けど、聞こえていないと思うな。
こうして、津留村は長男と次男によって取り押さえられ、その後やってきた警察に逮捕された。哀牙さんの言っていた通り、彼はとある犯罪グループの1人だった。両親は三見子さんをかばおうとしたが、自ら『津留村に手を貸した』と告白し、共に連れて行かれた。しかし詐欺の被害者でもある彼女はそう重い罪に問われることはないだろう。
その晩は警察からの事情聴取の後、奥様の計らいにより猿西家に一晩泊めて頂く事になった。
そして翌日、私達は猿西家の門前でご家族と向き合い、挨拶を交わす。
「ありがとうございました。三見子が事件に関わっていたのは悲しいですが、あの男から娘を助けてくださり本当に感謝しています」
「クックック。なあに、この哀牙の灰色の脳細胞と可憐なるメイド殿に掛かれば何のその!」
「はい! 本当に見事な推理でした哀牙さん!」
「それにしても、名前さんもメイドとして見事でしたわ。良ければこのまま猿西家で働きませんこと?」
え? 私が? 本当のメイドに?
……まさか、奥様直々にヘッドハンティング(?)をしてくるとは思わなかった。けれど私は、
「嬉しい申し出ですが、私は"哀牙探偵事務所の"メイドですので……」
お辞儀をしながら丁重に断ると、奥様はその回答がわかっていたかのように優しく笑う。隣の哀牙さんは私が誘いを断ってホッとしていた。
「ええ、そうですわね。また何かあった時は依頼をお願いするわ。名コンビのあなた達に」
"名コンビ"と言われ、思わず頬が緩む。哀牙さんの隣に立つことを認めて貰えた気がして嬉しくなった。
そして私達は猿西家を後にし、探偵事務所へ帰ること。
「哀牙さんの推理、とても凄かったです。感激しました!」
「何をお言いかな、名前殿。貴女の働きのお陰で我は彼奴を追い詰めることが出来たのですぞ?」
興奮冷めやらぬまま哀牙さんに思いの丈を伝えていると、まさかの言葉を貰って言葉が止まる。
「名前殿が屋敷内の人物を調査し、あの請求書を見付けることが出来なければ……この謎は一本の道筋を辿れなかったでしょう」
「哀牙さん……!」
猿西家の奥様に名コンビと言われたかと思えば、今度は哀牙さんに自分の働きぶりを褒められて、照れてしまう。だんだん顔が熱くなってきた。
最初は潜入捜査なんて自分に務まるのかと不安だった。けど哀牙さんが居たから、きっとこんなに頑張れたんだ。
「それに、彼奴の顔面に喰らわせた一撃は実にブラボオでしたな」
額は大丈夫ですかな、と顔を覗き込まれたかと思えば、そっと私の前髪を分けて指先で触られた。突然の接触に心臓が飛び跳ね、慌てて一歩下がって哀牙さんから離れる。
「あっ、そ、その……哀牙さんの一発も、綺麗に決まって格好良かったです!」
「……いやはや、我もKOされそうですな」
そう言い、哀牙さんは手を自分の方に戻して顔を背けた。どちらともなく再び事務所へ歩きだす。私の角度からは彼の表情が伺えないけど、微かに耳が赤く染まっているのがわかった。
ねえ、哀牙さん。
私はずっと、あなたのメイドで居ますよ。
あなたが私を必要としてくれる限り。
流石にこんな事、とてもじゃないけど恥ずかしくて言えないので、今は心の奥に留めておこう。でも、もし伝えられるようになった時は……今よりもずっと、哀牙さんの近くに居るんだろうな。
(20170317)
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Smotherd mate