Act.18 メランコリック・ゴオルデン
世間の皆々様、ご機嫌麗しゅうございます。
我こそは孤高の名探偵、星威岳哀牙!……だったのですが、最近は『孤高』と名乗れなくなりつつありますな。
何故ならば、喜ばしいことにこの哀牙に従順にして可憐なるメイド殿が誕生したのですから。
彼女の名前は苗字名前殿。今年始めにひょんなことから我がスカウトし、見事華々しくメイドとしてデビュウした100年に1人の逸材! 彼女はとても真面目で、この探偵事務所の為に精一杯働いております。のんびり屋かと思いきや、たまに的を得た発言をなさる……なかなか侮れぬお嬢さんだ。
名前殿と麗しの日々を重ねて早4ヶ月。世間は黄金週間――そう、ゴオルデンウィイクに差し掛かっておりました。
名前殿は一人暮らし故、ご実家へ里帰りをされた。我も探偵事務所を休みにし、つつがない日々を過ごしている真っ最中。どうせ何処へ行こうとも混雑しているのだ、この地上の楽園から一歩たりとも出るつもりはない。
優雅にクラシックのレコオドを流したり、埃を被ってしまったヴァイオリンを拭いたり、トイレ掃除をしたり、ロッカアルウムを整理したり、新たな薬品を開発したり、クロスワアドを解いたり……仕事中はあまり触れられぬものに手を伸ばす。気付けばクロスワアドは一冊終えてしまった。この哀牙の頭脳に掛かればいとも容易いものだ。
さて、紅茶でも飲みますかな。
椅子から立ち上がり、給湯室へ向かう。……はて、この事務所はこんなに広かったか。紅茶の缶の蓋を開ければ中には茶葉がギッシリ詰まっている。
自分以外の物音は何も聞こえぬ上、茶葉の減りも遅い。ああ全く、何が『ゴオルデン』か。
「……寂しいものですなあ」
レコオドを止めて自然と出た言葉は我自身にとっても少し予想外で、今自分は何と言ったのかもう一度頭の中で反芻した。そうか、この心の中にぽっかり空いた穴のようなもの……これが"寂しさ"であるのか。
気持ちを紛らわせようと本を読んでも全然頭に入ってこず、意識して活字に視線を落としても目が滑ってしまう。毎日カレンダアを眺めては、名前殿の出社まであと何日と溜息を吐く。大晦日の新年カウントダウンよりよっぽど待ち遠しい。こんなことならやはり仕事を入れて気を紛らわせるなりすれば良かった。
事務所の端から端へ行ったり来たりを繰り返していると、自分の肖像画の隣に掛かっているトノサマンと我と名前殿の3人で映っている写真が目に入った。額縁の中の彼女は困ったように照れながら笑みを浮かべていて、見る度に口角が上がってしまう。
「あと2日の辛抱ですな」
顎に手を当て、あの日の事をしみじみと思い返しながら頷いていると、事務所のドアがコンコンとノックされた。ドアには「休暇中」の札が掛けている上、すでに空は夕焼けに染まり事務所内も赤く照らされている。依頼人が来るわけがない。名前殿との思い出に浸る我に水を差す、迷惑千万かつ不届きな輩など居留守を――使うわけにも行かず、気を紛らわせるには丁度良いか、と渋々ドアを開けた。
すると目の前の人物は、我を視界に捉えると嬉しそうに笑みを浮かべた。
「あ、良かった。居ましたね哀牙さん」
「んなっ!? なっ……名前殿!?」
そこに立っていたのは先程まで我が脳内を埋め尽くしていた名前殿本人であった。良い意味で期待を裏切られ、我が心臓が早鐘を打つ。……ええいドクドクとやかましい、もう少し静かにしておれぬのか!
気取られぬよう平静を装い、いつもの笑顔を作る。
「クック、名前殿は慌てん坊ですなあ。ゴオルデンウィイクはまだ終わりではありませぬぞ?」
「そんなの知ってますよ……」
なんと呆れられてしまった。ジョオクのつもりだったがジト目で睨まれるだけに終わり、プチショックですな。
気を取り直し、何故予定よりも早くこの地上の楽園へ舞い降りたのか問うと、元々今日こっちに戻ってくる予定だったと答え、手に持っていた袋を持ち上げて我に手渡した。
「これ、母から地元のお土産です。生モノだから早めに渡さないといけなくて」
「ほお、これはありがたい!」
「それでは貴重なお休みの所、失礼しました」
「お、お待ち下され名前殿!」
用件のみ終えてそそくさと帰ろうとする彼女を引き止めると、きょとんとしながら振り向いた。
「……ゴオルデンウィイクは楽しめましたかな?」
「はい。皆で買い物に行ったり、遊んだり。とてもリフレッシュできました!」
生き生きとした笑顔を見せる名前殿を目にして、ゴオルデンウィイクの存在を許すことにした。彼女が楽しめたのならそれで良い。
だが名前殿は何やらそわそわしている。とりあえず彼女がどう出るか待っていると、おずおずと口を開いた。
「あの、実はこれもお土産なんですけど……」
そう言って名前殿は腕に提げていたブラウンの紙袋から箱を取り出した。開けるように促され、その場で中身を確認するとティーカップのセットだった。フチの部分は花弁のように柔らかく波打ち、取っ手部分は茎のようで、その先には赤いバラが可愛らしく咲いている。造形が細かく、実にお洒落だ。
「哀牙さんみたいだなって思って、つい買っちゃいました」
「これはこれは……その心遣い、誠に感激でありますな……!」
まさか彼女から贈り物を頂けるとは思わなかった。それも、我をイメエジした代物など大層願ってもいないものだ。口元に手をやりなんとかニヤけを隠そうとするが名前殿には見抜かれているようだ。
「せっかくセットなのですから、我と名前殿で使いませぬかな?」
「えっ、私も使っていいんですか?」
「無論です。ぜひお揃いで飲みましょう」
「じゃあGW明けはそのカップに紅茶を淹れますね」
嬉しそうにはにかむ名前殿のあまりの可愛らしさに頭を撫でるなり何なりしたくなったが、拳をギュッと握るだけに留めて何とか堪える。用事を終えた名前殿は荷物を持ち直し、小さく会釈した。
「それでは、私はそろそろ……」
「あいや待たれよ名前殿!」
せっかく我が願いが叶ったのだから、もう少しだけ夢を見たい。なにせ世間はゴオルデンウィイク。ならば我にも、ゴオルデンなる日が一日くらいあってもバチなど当たらぬはずだ。
「どうかしましたか? 哀牙さん」
「宜しければ、これから我と一緒にディナアでも如何かな?」
「え……、良いんですか? 休日なのに」
「勿論。ああ、もし他に用事があるのなら無理にとは言いませぬが」
「いえ、大丈夫ですよ。階段の下で待ってますね」
名前殿は二つ返事で快諾し、階段を降りて行った。
それから、我は急いで事務所の戸締まりをし、頂いた生モノは冷蔵庫へしまう。ティイセットは箱から取り出して、いつでも使えるように棚へ並べた。名前殿が我を思って買ってくれたのだと思うと自然と心が踊り、半ば死にかけていた心が生き返った気がする。
そしてステップを踏みながら鼻歌交じりで名前殿の元へ向かった。
(20170604)
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Smotherd mate