Act.3 紅茶一杯、夢いっぱい
「さて名前殿、本日の初仕事は紅茶を入れる事ですぞ!」
「はあ……」
給湯室にていかにもメイドらしい仕事を告げられる。挨拶の次は紅茶の淹れ方を教えて貰う。
紅茶を淹れる時はその都度水道水を汲んで沸かす。使用する茶葉は午前はアッサム、アールグレイ、ダージリンのいずれかで、午後は哀牙さんの指定したものだ。
哀牙さんは棚から茶器を取り出して台の上に並べていく。ガラス製のティーポットと、陶器製のティーカップ、そしてソーサー。
「今回はガラス製のティイポットで淹れましょう。これならジャンピングが見えますな」
じゃんぴんぐ? 多分、紅茶用語かな。はてなマークを頭に浮かべていると哀牙さんが、今お見せしましょう、とティーポットにお湯を注いで温めた。
「紅茶を入れる前にカップを温めるのと同じく、ティイポットもこうして温めるのですよ」
「へえ、そうなんですか」
「では茶葉を入れて下され」
ダージリンの缶を手に取り、ティースプーンで三杯分ーー私と哀牙さん、桐島さんの分の茶葉を入れた。お湯をカップの杯数分注いでから蓋を閉めると、一気に茶葉が舞い踊るように水面へ上がる。茶葉1つひとつを見ると細かな気泡が付いていた。
三分後、茶葉が浮き沈みを始めると「これがジャンピングですぞ」と哀牙さんが言った。茶葉が開いて気泡がなくなることによって起こる現象らしい。さらに数分後、ようやくポットの茶葉は落ち着きを見せ、哀牙さんは満足げに頷いた。
あとはティーカップに紅茶を注ぐだけ。最後の一滴である"ゴールデンドロップ"こそが最高の味わいであるとかなんとか。家ではいつも、市販のティーパックで淹れたり、紙パックのものばかり飲んでいるから紅茶を淹れるだけでこんなに時間を掛けたのは初めてだ。
ソーサーの上にティーカップとスプーン、その横には角砂糖の入った小瓶とミルクポット、哀牙さんはそれらを乗せたトレーを私に手渡した。
「役者は全て揃いましたな。では我は一足先にデスクにてお待ち申し上げる!」
哀牙さんは足早に給湯室から出て行った。この紅茶を入れたのはほとんど哀牙さんで、私は見ているだけだったんだけど……次から一人で淹れられるかなぁ。
給湯室のドアを開けて事務所に戻ると桐島さんは仕事に集中していて、哀牙さんは両肘を付いて手を組みながらこちらを凝視していた。だから怖いって。
作業音だけが聞こえる所内を、なるべく足音を立てずトレーを揺らさないように進む。そして紅茶と砂糖、ミルクをデスクに置いて「どうぞ」と声を掛けた。
「ありがとうございます、名前ちゃん」
「何、故、で、す、ぞ!?」
哀牙さんのあまりの視線の強さに恐れをなして、私は手前のデスクに座る桐島さんの傍に紅茶を置いた。一部始終を見ていた哀牙さんは抗議しながら席を立ち、私と桐島さんの方へ向かってきた。しかし私の目の前に来るかと思えばそのまま床へ大きな音を立てて転んでしまった。
何が起こったのかわからず地べたに倒れている哀牙さんに視線を落とすと、桐島さんの足がデスクの下から伸びていた。なるほど、彼女が哀牙さんの足を引っ掛けたのか。上司にそんな事していいのかな。でもグッジョブ。
「所長、新人にセクハラはいけませんよ」
「愚ッ! わ、我はそのような心算では……!」
「名前ちゃん怯えてるじゃないですか。笑顔ですよ、笑顔」
哀牙さんは華麗に立ち上がり、埃を手で払って服を整え、キリッとした表情で胸に手を当てながら私にお辞儀をした。何事もなかったかのような一連の動作には惚れ惚れしてしまう(棒読み)。
コレは失礼致しました、と哀牙さんが頭を下げるのでまたとんでもない。慌てて私も頭を下げたら哀牙さんの後頭部に額をぶつけてしまい、重ねて謝罪する。そんな私達を見て桐島さんはクスクス笑いながら、紅茶のカップをソーサーに戻した。
「名前ちゃん、紅茶美味しいですよ」
「あ、ありがとうございますっ」
桐島さんはこの慌ただしい間に紅茶を味わっていたらしく、感想を伝えてくれた。私の間抜けっぷりを特等席で見られたのは恥ずかしいけど、紅茶を褒めて貰えたのでプラマイゼロだ。いや、この紅茶を淹れたのは哀牙さんだ。私は運んだだけだった。
「では、次こそは我の番ですな! ささ、名前殿!」
ウキウキしながら哀牙さんは自分のデスクへ戻って行ったので、私も気を取り直して桐島さんの飲み終わった紅茶を片付ける。すると何故か桐島さんも一緒に給湯室へ付いて来た。
残った二つのカップに入った紅茶は少しぬるくなっていたので、「淹れ直しましょう」と桐島さんが提案した。彼女の淹れ方は先程の哀牙さんと全く同じだった。その寸分たがわぬ手際からは彼女の几帳面さが伺える。
「所長は普段からあんな調子で、イイ歳なのに独身だから構いたくて仕方ないんですよ。でも悪い人ではないので、適当に付き合ってあげてください」
「んんー、わかりました」
イイ歳なのに独身、か。そういえば哀牙さんは何歳なんだろう。30は越えてそうな気がする。服装といい髪型といい話し方といい、変な性格のせいでほとんどが謎に包まれている。
「私も最初は戸惑いましたが、今は特に……まあメイド服は、クスッ、着てませんけどね、フフフッ」
「き、桐島さん!」
笑い声を漏らしながら話す桐島さんに、私は改めて自分の格好が異質な事を思い出させられた。私だってメイド服を着る事になるとは思わなかった。事務員の桐島さんはじきに退職し、その代わりに私が……というわけなのだが、何故私は事務員ではなくメイドなのか。甚だ疑問である。
最初と同じ茶葉で紅茶を淹れて、今度はしっかり哀牙さんにお出しする。彼は嬉しそうな笑みを浮かべ、飲んでる間もずっと上機嫌だった。ふと哀牙さんが読んでいる新聞を見ると、全て英語で書かれていた。私は英語なんてさっぱりわからないけど、探偵はやっぱり英字新聞も読むものなんだと勝手に納得した。もしくはイメージ作りかな。
紅茶を飲み終えた哀牙さんは笑顔で私にお礼を言った。私の淹れた紅茶で誰かが笑顔になってくれるなら、この仕事も悪くないかもしれない……なんて思う私はきっととことん単純な人間なのだ。
(20120124 修正20160829)
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Smotherd mate