Act.6 正義の味方に会いに行く
秘書の桐島さんが居なくなり、哀牙探偵事務所は私と哀牙さんの2人きりになった。元々変人な哀牙さんだけど、桐島さんというストッパーが居なくなってしまい更に変人に磨きがかかったらどうしよう、と不安に思いながら仕事を続けて早1週間。哀牙さんは以前となんら変わらず、普通の変人だった。何を言ってるかわからないと思うけど私にもわからない。まあそんなこんなで今日もメイド服に着替えて哀牙さんに紅茶を入れる。
今日はアッサムティー。哀牙さんは角砂糖を1つ入れて、ティースプーンを前後に動かし溶かす。カップの取手をつまみ、こくりと飲んで一息付いた。毎回、哀牙さんのその流れるような動作が綺麗で見入ってしまう。それに哀牙さんはいつも美味しそうに飲んでくれるから、私も入れ甲斐がある。さて今日も張り切って仕事をするかなと、くるりと180度回った途端に背後から声を掛けられた。
「さあ名前殿。本日は外へ出ましょう」
「えっ、私もですか?」
「左様」
左様って貴方。では私服に着替えてきます、と言うと哀牙さんにピッタリ止められた。嫌な予感がする……と思ったら、やっぱり哀牙さんは私をメイド服のまま出掛けさせるつもりらしい。そんなの嫌でも周りの視線を浴びることになるだろうし、最悪おまわりさんのお世話になってしまうかもしれない、と断るが哀牙さんは一歩も引いてくれない。そもそもメイド服は制服であって、英国のヴィクトリア朝時代では自分が使用人であることを示すメイド服を着て外に出ることは避けていたみたいですよ、と自分がメイドになるにあたってネットでかじった知識をそのまま哀牙さんにぶつけると、よく勉強しておりますなと褒められた。違う、そうじゃない。
それに、哀牙さんの格好も十分奇異ではある。礼服であるタキシードを日常的に着こなし、上着のボタンの位置に赤い宝石を付け、それをカマーバンドに被さる様に金のロープが繋いでいる。だけではなく右目にルーペ、両手に白い手袋、一番目立つのはなんといっても首元に咲く大きくて真っ赤なリボンである。悔しいのはそれがとても良く似合っていることだ。
哀牙さんは端から見ればコスプレ野郎だが、それに隣り合う私も十分立派なコスプレ女になるのではないだろうか。私は哀牙さんのように肝っ玉が大きくないからメイド服で外に出るなんてとんでもない。そこまで言っても、だがしかし哀牙さんは未だ本気で、その強い眼力につい押し負かされそうになる。
「うう……せめて、ヘッドドレスとエプロンは外させて下さい。あと寒いのでコートも着たいです」
「愚……! しかしそれで名前殿が我と出掛けて下さると言うのならば、手を打ちましょう!」
哀牙さんのその言葉を聞いて、もしかして私と出掛けたかっただけなのかな、なんて自惚れてしまう。いや、きっと何か大事な用事があって、いよいよ私も探偵として学ぶ時が来たんだ、と邪な考えを取っ払う。
更衣室のロッカーにエプロンとヘッドドレスをしまい、コートを取り出して羽織る。コートの長さは十分のはずだが、それでもドレスの方が長くてはみ出てしまう。まあでも、これなら私服に見えるので問題ないと思い、事務所へ戻る。
すると、哀牙さんもとうに支度を終えていた。ケープみたいな羽織りが付いたロングコートを着て、前後にひさしがあるハンティング帽を被っている。両方とも色は揃ってブラウン。これはもしかして……
「シャーロック・ホームズですか貴方は」
「クックック、如何なる難事件も我が全て白日の下に晒してみせましょう!」
ビシっと私に向かって手を伸ばし、ポーズを決める哀牙さんに、呆れを通り越して笑いがこみ上げてきた。彼はどんな時でも"探偵"を主張する事を辞めないらしい。まあ、なんだ、その、どこまで行っても彼らしくて、いいんじゃないかな(どうでも)。
そんな日本のシャーロック・ホームズに連れて来られたのは、湖が広がるひょうたん湖公園。さらに付いて行くと広場へ辿り着いた。特設された大きいステージの前には折りたたみ式ベンチがいくつも設置されている。そこには沢山の親子連れが所狭しと座り、ワイワイと賑わっていた。ステージ上部を見やればでっかい看板に書かれている『大江戸戦士トノサマン "トノサマンVSアクダイカーン 〜義と愛と紋所〜"』という文字が嫌でも目に入る。湖の上にはご丁寧に、巨大なトノサマンバルーンも浮いていた。会場付近には警備員とボディガードも数名立っている。主催側の気合の入れ方が嫌でもビシビシと伝わってくる。
後方の空いているベンチへ行くと、哀牙さんはサッとハンカチを取り出して敷いた。そこに座るよう促されるが、私はお嬢様のような慣れない扱いに戸惑った。私がまごついていると哀牙さんは遠慮なさらず、と一言添えて私が座るのを待った。それに応えておずおずと腰を下ろすと、哀牙さんも私の隣にそっと座った。冷たい風が吹いて思わずくしゃみをすると、哀牙さんは持っていた紙袋から保温ボトルを取り出し、蓋を外してそこに中身を注ぎ私に手渡す。どうやらここへ来る前に紅茶を入れておいたらしい。哀牙さんの準備の良さに驚きを隠せないまま、お礼を言って紅茶を受け取り、湯気の立っているそれを喉に流し込んだ。ああ、温まる。甘い香りと微かな生姜の味。哀牙さんはこの時の為にハチミツジンジャーミルクティを淹れたと言う。あまり飲まない味だけど、哀牙さんが淹れたというだけで何だか特別美味しく感じる。素直にそう伝えると哀牙さんは嬉しそうに笑った。
いよいよトノサマンショーが始まると、最初は半ば呆れていた私だが、いつの間にか夢中になって見入っていた。隣の哀牙さんがあまりに楽しそうにしているから、私まで何だか気持ちが浮ついてしまう。中盤あたりで哀牙さんが私に話しかけてくるが、周りの声がうるくて全く聞こえない。何ですか、と耳を寄せるとボソボソと耳打ちをしてきた。それはショーに関する至って普通の感想だったが、すぐ耳元で哀牙さんの声が延々と私の鼓膜を震わせているせいで、ドキドキして内容があまり頭に入ってこなかった。それにしても長々と喋り続けるものだから、いい加減恥ずかしくなって私は「そうですねっ」とだけ返し、慌てて顔を離した。気を取り直してステージへ顔を向けてはいるが、先ほどの耳元への感覚が残っていて集中できない。何とかしようと脳内で奮闘している間に、トノサマンの勝利によってショーは終わりを迎えていた。
少しずつ周りが帰路へ向かう中、哀牙さんは私の手を引っ張ってトノサマンの舞台へと連れて行く。何事かと尋ねれば、これから写真撮影があるのだと言った。まさかとは思いますが、この子どもたちの列にいい年した大人が混じってあまつさえトノサマンと撮影をするつもりですが、と言うと「名推理ですぞ」と褒められた。いや、ですからね。それは流石に御免被りたいと必死に足を踏ん張っているが、哀牙さんは人差し指を立ててこう言った。
「好きなモノを好きであると表現する事に、何故恥じる必要がありますかな?」
確かにその通りなんですけども。子どもから大人にまで愛されているトノサマンとはいえ、子どもに混じって写真撮影までするのは私にとってはいかんせんハードルが高い。やはり一歩踏みきれずにいると哀牙さんが私の手を離した。そして、わかりました帰りましょう、と寂しそうに言葉を放つ。その哀愁ただよう背中が寂しそうで、そうさせてしまったのは私だと思うと罪悪感を感じた。仕方なく、私は意を決して彼の腕を掴み、舞台へと歩き出す。哀牙さんもすぐに調子を取り戻し、意気揚々とステップを踏み始めた。ああ、これは……嵌められた。でも哀牙さんが嬉しそうだから良いか、と私は観念し、バッチリの笑顔で哀牙さん・私・トノサマンの3人で記念撮影をして貰ったのだった。
(20120131 修正20160924)
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Smotherd mate