10.狼と風化した恋心
名前の荷造りが終わり、引っ越しの準備が完了した。二人の両親に別れを告げてアクビーは車を走らせる。実家からアクビーの家までの道のりは長いので交代して運転する事になった。それにしても、こいつらの両親には随分とお世話になったな。後で何かお礼の品でも送るか。
三十分程走っていると、ふと何かを思い出したかのように名前が口を開いた。
「ねえ兄さん、久しぶりにあそこに行きたいんだけど、寄ってもらってもいいかな?」
「ああ、レターウォールだな。わかった」
レターウォール? どんな場所だ? 名前に尋ねてみるが、詳しくは到着してから説明すると言われた。名前からして何となく想像つくような気もするが、着いてからのお楽しみということにしよう。
そうしてアクビーの運転でやって来たのは二人にとって馴染みのある場所。
そこは中世ヨーロッパの庭園のような、ひっそり佇む隠れ家のような不思議な空間だった。くすんだ石壁には苔が生え、太い木の幹や蔦が絡まっていて、どこかノスタルジックな雰囲気だ。
よく見れば石壁と蔦の間に沢山の手紙が挟まっていた。なるほど、だから『レターウォール』か。
「誰に宛てるでもない手紙を書いて、壁に挟むんです。見知らぬ誰かが読むかもしれないし、もしかしたら知ってる誰かの手紙を読めるかもしれない」
「へえ、他人の人生の一ページが読めるってわけか」
「狼さんって意外とロマンチックなことを言うんですね!」
おい、それはどういう意味だ。しかもアクビー、お前いま鼻で笑いやがったな。
聞けばこのレターウォールは口コミのみで広まり、知る人ぞ知る秘密のスポットらしい。
「少し席を外すよ」アクビーは一言断り、俺達から離れて行った。どこへ行ったのか名前に聞くと、手紙を書きに行ったんじゃないかと答えた。意外とアイツにも詩的なところがあるんだな。
「私もここにある手紙を、いくつか読んだ事があります」
内容は手紙によって様々で、嬉しかったことや悲しかったこと、仕事の愚痴、誰にも言えない恋、変わった夢を見た話、離ればなれになった家族、いつか見た前世、旅行に行った時のこと……など色々なものがあるという。手紙の数だけ物語があり、それを読んだ人だけが共有できる不思議な世界だ、と名前はレターウォールを見つめながら言った。
誰かに言いたいけど言えない、皆に話したけどもっと聞いて欲しい、そんな人々の思いがこの空間には詰まっているのだろう。
壁に挟まれた手紙を見ると、まだ真新しいものから随分とボロボロになったものまで置いてあった。痛んだ手紙は読めなくなる前に回収され、本にしてまとめて倉庫に保管されているらしい。まるで人生の短編集だ。
自分の秘めた思いを手紙にしたためて、陽の光を浴び、雨に濡れ、風に吹かれ、誰かに読まれ、いつしか忘れられていく。それはまるで、確かにそこに人が居た気配を感じさせる廃墟や海に流されたボトルメッセージの存在にも似ている、と俺は思った。
「更に先に進むと鍵付きの手紙もあるんですよ」
名前に案内され、植物のアーチをくぐり抜けた先は輪の形に並んだ柱――庭園によくあるガゼボがあった。四方は生け垣に囲まれ、上からは木漏れ日が差している。
ガゼボの柱の間は通り抜けられるようになっているが、一箇所だけ壁になっていて、そこにガラス製の薄い箱が不規則に掛けられている。空っぽの箱もあれば、封筒入りの手紙が入った箱もあった。それぞれに南京錠が付いており、鍵は全て種類が違うようだ。
「ここは恋人や家族、大事な人へ宛てた手紙が保管されています。そして読んで欲しい人に鍵を渡すんです」
「へえ、それはまた古風なもんだな」
「ここでラブレターを書くとその恋は必ず成就するらしいですよ」
「ソイツはすげえな。アンタも誰かにラブレターを書いたことがあるのか?」
名前は目を見張った後、数秒置いて小さくこくりと頷いた。結局、鍵は渡せませんでしたけどね、と淋しげに笑う名前の横顔を見て、俺は少し躊躇ったが、それでも聞かずにはいられなかった。
「……アクビーか?」
一瞬、名前が目を見開いた。どうやら申し訳ないことに俺の予想は当たったようだ。だが俺の不安な気持ちとは裏腹に、名前は穏やかな笑みを浮かべた。
「私はまだ子供だったから、憧れと履き違えていたんです。もちろん今は大事な兄ですよ。……でも、誰にも言わないで下さいね」
人差し指を口元に当ててふわりと笑う名前は、まさしく過去の思い出話をするようにさらりと言った。名前自身はすでに区切りが付いた事だったのだろう。おかげで『聞いてはいけないことを聞いてしまった』という気持ちは少しばかり払拭された。
彼女の恋は、あの手紙のようにとっくに風化していたのだ。
本人が気付く間もなく終わりを迎えていた過去の恋など、今更俺が気にしたって仕方がない。だが何故だろうか、じりじりと胸の奥が焦げ付くような、もどかしい感情が湧いてくるのは。
俺はそんな感情を振り払うように首を横に振り、そっと名前の頭を撫でた。するとまた柔らかく微笑むものだから、俺の方が慰められたような気持ちになった。
(20170526)
[
←
|
title
|
→
]
Smotherd mate