11.子羊と静寂の部屋
翌月、私は新たな職場での仕事が始まり、兄さんと狼さんは数日前に国際警察の本部があるフランスへ戻ってしまった。海の向こうだなんて遠いなぁ……いや、日本よりは近いか。そう思うと、またすぐに会えそうな気がしてきた。
それにしても、休みなんていくらあっても終わりが来れば短いとしか感じられない。でも今は、新しい職場に慣れるためにも頑張らないと。気持ちを切り替えて自分に気合を注入し、私も新たな職場へ歩み出した。
今までのこじんまりとしたバイト先と違い、それなりに広い店舗、大きな倉庫、従業員の数に圧倒される。けど同僚の皆は優しいし、あまり目にしたことがない珍しい布や材料の数々に感動を覚えた私は、我ながら現金だけどここでもやっていけそうだと思った。そうだ、ついでに狼さんに作るキルトの材料も探してみよう。
「はあ〜……疲れた……」
新しい職場での初出勤を終え、家に帰るやいなやドサリとソファに沈み込む。わかってはいたけど、やっぱり初出勤というのは精神的にも肉体的にもとても疲れる。うう、体が重い。ごろんと仰向けになって天井を見上げる。
この部屋にはこの前まで兄さんも狼さんも居て、三人であんなに楽しい時間を過ごしたのに、今はしんと静まり返っている。実家のように「おかえり」なんて、誰も言ってくれない。
……なんだか急に寂しくなってきた。そうだ、兄さんにメールをしよう。ついでに連絡先を交換した狼さんにも。二人とも忙しいだろうし、返事を待つような内容は控えて……と。
そしてメールを送信した直後、携帯が鳴った。
「わっ! って、狼さん?」
トノサマンのメロディが流れる携帯の画面を確認すると、狼さんの名前が表示されていた。慌てて通話ボタンを押して耳元に持って行き、もしもしと言うと、機械越しの狼さんの声が聞こえた。
『名前か。メール見たぜ。サンキュー』
「早いですね! びっくりしました! それにまさか、電話が掛かってくるなんて……」
『丁度時間が空いてたからな。それに、メールより電話の方が良いだろ』
いつもの調子で話す狼さんの声に、なんだか安心する。良かった、迷惑とは思ってなさそうだ。兄さんが言っていた『狼は思い立ったらすぐ行動し、チームワークを大事にする』という言葉を思い出す。確かにその通りみたいだ。
狼さん達は、本部へ戻ってから早速仕事が入り、忙しくしているらしい。二人は別の仕事のようであまり顔を合わすこともないそうだ。じゃあきっとしばらく会えないですね、なんて零すと、狼さんはやんわり否定した。
『またアンタのとこに、あのパイを食いに行く』
「気に入ってくれたんですか? 嬉しいな。今度はちゃんと母が作ったものを用意しておきますね」
『いや、俺は名前が作ったパイがまた食いたい』
一瞬、とんでもない事を言われた気がして焦った。な、な、何を言い出すんだろうこの人は。でも狼さんはそんな深い意味を持って言ったわけではないだろうし、彼は思ったままのことを口に出す素直な人だ。頭によぎった邪な考えを取っ払い、私は電話口の彼に返答する。
「わかりました! 更に腕を磨いて、いつ来ても大丈夫なように準備しておきます!」
『応、楽しみにしてるぜ』
通話を終え、再び一人ぼっちの空間に戻る。ふと気付けば、先程まで感じていた寂しさはどこかに消え去り、心にぽっかり空いた穴のようなものもいつの間にやら埋まっていた。きっと狼さんのお陰だ。心の中で彼にお礼を言う。想像上の彼は、あの大きな手でまた頭を撫でてくれた。
それにしても、こんなに早く電話が掛かってくるなんて……改めて思い返すとじわじわ笑いがこみ上げてくる。私も狼さんの"友人"として見てもらえてるのかな。あ、兄さんは"同僚"か。
また携帯が鳴り、見れば今度は兄さんからメールの返信が来ていた。二人とも忙しいはずなのに律儀だなぁ。内容は、兄さんも楽しい休暇を過ごせたことや、家の防犯をしっかりしておくこと、仕事を頑張りすぎないことなどがシンプルに書かれていた。良かった、兄さんもこの休みを楽しんでくれていたんだ。あまりに仏頂面が多かったから、少し心配だったんだ。もしかして狼さんが居たからかな。下の方にはまだ続きがあり、狼さんのキルトの完成を兄さんも楽しみにしていると追記されていた。これで頑張りすぎないわけがないよ、全くもう。
狼さんも兄さんも、いつだって私の努力を認めてくれる。結果だけじゃなく、その過程さえも見てくれている。自分を認めてくれる人が居るという事が、こんなにも幸せだなんて知らなかった。
「……早く会いたいな」
テーマパークで遊んだ時に撮った三人の写真をしばらく眺めた後、明日からの仕事も頑張ろうと気合を注入し、夕飯の準備に取り掛かった。
(20170608)
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Smotherd mate