12.羊と平和なひと時
名前や狼と過ごした日々から実に三ヶ月が経っていた。あれから名前とはメールのやりとりをたまにしている。仕事の方は順調で、なにより趣味を活かした仕事だから楽しくて仕方がないらしい。やはり彼女の背中を押してよかったと改めて思った。
久しぶりにボルジニアへ帰国し、タクシーに乗って空港からそう遠くはない自分の家へ向かう。空港でも見かけたが、どうやら世間はクリスマスに向かっているようで、街中にも見上げるほどの巨大なツリーにプレゼントや夜景の広告、サンタ衣装に身を包んだ店員やイルミネーションで溢れている。そんな浮かれた様子を端から眺めていると、自分には縁のないイベントだとつくづく思う。
家に着いてチャイムを鳴らす。鍵を持っているのだからそのまま入れば良いのだが、いきなり私が上がり込んでは驚くだろう。玄関ごしに足音が近付いてくるのが聞こえ、ガチャッとドアが開いて名前がひょっこり顔を出す。
「おかえりなさい兄さん!」
「ただいま、名前」
変わらない彼女の笑顔を見てホッとする。誰かに出迎えて貰えるというのはこんなにも嬉しいものだったか。掃除の行き届いた廊下を見て、私が居ない間もしっかりやってくれていたようだと安心する。壁には彼女の新作のキルトが飾られていた。相変わらずこちらも楽しんでいるようで良かった――のも束の間、リビングに入ると見慣れた男がテーブルに座ってブルーベリーパイをバクバクと食べていた。
「狼、なぜ君がここに居るんだ」
「ようアクビー久しぶりだな。まあ座れよ」
まるで我が家のように振る舞う狼に少しばかり口元が引きつる。君に言われなくとも座るさ。名前に話を聞くと、狼は週一でここに来ているらしかった。何故それをもっと早く言わないのか問いただすと「知ってると思った」とあっけらかんと言われてしまった。家主が不在の間に足繁く通って陥落しようなどといい度胸だ。というか国際警察が暇だと思われるじゃないか、全く。
名前が私の分もパイを取り分けて「コーヒーを入れてくるね」と席を外した。テーブルを挟んで席につき、正面に居る男を目を細めながら見つめる。
「狼、ボルジニアでの仕事を率先して入れているらしいじゃないか」
「ブホッ……ど、どうしてそれを!」
「君の部下から聞いた。随分とこの国が気に入ったようだな。いや、気に入ったのは……」
「待てアクビー誤解だ! 本当に偶然なんだよ!」
「偶然? 君の言う偶然とは『兄が不在の隙に妹の居る家に入り浸ってパイを貪り食う』ことか?」
「それは違う、パイ以外に飯も食ってたぜ……ってそうじゃなくて、ちっと厄介な案件があんだよ。ここじゃ言えねえけどな」
狼の目付きが変わった。どうやら仕事というのは本当だろう。「あとで聞こう」とだけ返すとタイミングよく名前が戻ってきたので話は一旦置いておくことにした。
サクサクのパイ生地に、酸味のきいたブルーベリーとソース、間に挟まれたクリームチーズは爽やかで、上にかかったシュガーパウダーは優しい甘味がある。やはりこのパイにはほろ苦いコーヒーがとても合う。私が帰ってくるのに合わせてわざわざ母親が持って来たのだろうか。名前に尋ねると「ううんそれは……あっ、そ、そうなの!」と、いかにも何かありそうな返事をした。とりあえず「わざわざ悪いな」と言うと狼がわざとらしいくらい大きく溜息を吐いて呆れた。
「おいおい、そこまで鈍感なのか? 名前が作ったに決まってんだろうが」
「これを名前が? 本当か?」
「ああ。俺は初めてお前んちに来て食べた時に気付いたけどな」
「驚いたな。すごく美味しいよ」
「ほ、本当? 良かったー!」
名前は不安そうな表情から一転して嬉しそうに顔を綻ばせた。そんな彼女を見て、狼は頬杖をつきながら「俺が褒めた時より喜んでるな」と面白くなさそうに呟いた。そうか、狼と名前が初めて出会った時のも彼女が作っていたのか。あまりに慣れた味だったから気が付かなかった。悪いことをしたな。
「兄さん、仕事はどう? 無理してない?」
「それは私のセリフだよ」
名前の言葉にフッと吹き出す。人のことばかり気にかけて自分の事は二の次な彼女は、きっと昔からなのだろう。それも平和な証拠だ。私の仕事は表で悪を取り締まる派手なものではなく、裏で証拠を密かに集めたり裏組織の摘発の準備を整えたりする事。一応拳銃の携帯は許可されているが今までに発砲したのは訓練の時だけだ。平和な今は、その日が来ないことを密かに祈ろう。
自分について話すことは得意ではないので、今度は名前に話を聞くことにする。それから名前が話した内容は、仕事のこと、同僚のこと、一人暮らしのこと、料理のことなど……話題はどんどん移り変わっていった。名前はコロコロと表情を変え、身振り手振りを加えながらも、話が途切れることはなかった。途中、一緒に聞いていた狼が「よっぽど兄貴と話したかったんだな」と苦笑した。
(20180312)
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Smotherd mate