15.羊と事件の始まり
三月下旬、ボルジニアはサマータイムに入った。日照時間が長くなったとはいえ寒さはまだ続いている。春の息吹などどこにも感じない。
チャイムを鳴らし、ただいまと声を掛ければ出迎えてくれるのは可愛い妹――ではなくピンと髪の毛を立てたムキムキの筋肉バカだった。
「君、私が帰ると高確率で居るな。ここは誰の家だ?」
「お前とお前の妹の家だろ。わかってるっての」
「そんなに正当性が欲しければとっとと言えばいいだろうに。私は特に反対しない」
「うっ……」
全く……。私達の仕事は迅速さと正確さが大事だというのに、この同僚はそれを忘れてしまったようだ。いや、仕事と私的な人間関係を同列に並べるのは良くないな。だが名前がコイツを拒否しないのも敬遠しないのも、きっとコイツと同じ感情を抱いているからではないだろうか。妹ゆえに気にかけてしまうが、先に進むのも踏み止まるのも彼らの自由だ。第三者がアレコレ口出すものではないし、私は温かく見守っていよう。
玄関先での簡単な挨拶を済ませた後はいつも通り皆でテーブルを囲む。そういえばね、と名前が携帯を取り出して写真を見せてきた。
「見て見て、これ何だと思う?」
それは円柱型の缶の中にいくつもの白い卵のようなものが詰まっている写真だった。手前にはそれを一つ摘んでいる名前の手が写っている。卵にしては小さいし形も変だ。拡大すると、どうやら糸のような細いものがグルグル巻きにされている。ハッとして、私と狼は目を合わせた。
「私の職場、布や糸はよく見るけどマユは珍しくて、思わず写真撮っちゃった」
やはり間違いない。これはボルジニアのマユだ。
国内に多発している不治の病"チリョーレス症候群"の特効薬になるが、処方を変えれば即座に有害物質となる危険物。以前ブラックマーケットにも流れた事案がある。それからは国外への持ち出しは禁止されており、国際警察である我々もそれを厳しく取り締まっているため、国内の人間ですらあまりその存在を知られていない。
そんなものが何故妹の携帯に収まっている。胸の辺りがざわざわと危険信号を発するが、平静を装って詳細を尋ねる。
「名前、これは君の職場にあったのか?」
「うん、そうだよ。仕事中に見つけたの」
名前の話によると、店の得意客への品を倉庫に運ぶ途中で品物を落としてしまい、慌てて拾って缶の中身は無事か確認するとマユが入っていたらしい。缶には"ボタン"と書かれていたのに中身が違って不思議に思ったが、マユは傷一つ無かったのでそのまま倉庫に運んだという。得意客は明後日取りに来るのでマユはまだ倉庫に保管されている。
私と狼の様子が急に真剣になった事に気付いた名前が、同じく真剣な顔付きで尋ねてきた。
「どうしたの二人とも……そんな怖い顔して……」
「…………」
「ねえ、もしかしてこのマユ、兄さん達と何か関係あるの?」
「いや……その……」
口ごもる私を尻目に、狼が「任せろ」と口を開いた。
「この写真のブツは"ボルジニアのマユ"と言って、俺たち国際警察が目を光らせている厄介な代物だ。アンタの店にあるなら既に布製品でなければおかしいし、その"得意客"ってのがどういう奴なのかで大分問題は変わってくる」
「狼!」
「隠したって仕方ねえだろ。今どんなに取り繕ったって必ず後で真実を知る。名前は今、重要な証人だ。大事な妹を守りたければ腹括れよ、アクビー」
……そうだ、私は大事な家族を守る義務がある。例えそれが彼女にとって辛い未来になろうとも、私は自分のやるべき事を優先しなければいけない。
狼は名前に、ボルジニアのマユについて詳しく話した。名前は時折目を見開いたり、小さく声を上げたりしたが、最後まで静かに話を聞いていた。彼女の表情はどこか悲しげに見える。それもそうだ、自分の職場がもしかしたら犯罪に足を突っ込んでいるのかもしれないのだから。
"得意客"について聞くと、どうやらボルジニアの人間ではなくアレバスト王国からやって来たらしい。いつも数々の国で現地の多様多種な名産品を仕入れては行く先々で卸売をしているという。その話を聞いてますます嫌疑は濃くなっていく。
私の顔は相当険しかったのだろうか、だんだん名前も不安そうな表情を見せ始めた。
「名前、まだ違法取引がされていると決まったわけじゃない。その真相を探る為にも明日、君の職場に行っても良いかい?」
「う、ん……それは、いいけど……もし店長が不法に所持してたら、お店や職場の人達は……」
「すまない、それはまだわからない。それを確かめる為にも君の力が必要だ」
「……わかった。うん、協力するよ」
「ありがとう……名前」
突然の事で動揺するのも仕方ないというのに、彼女の決断は早かった。いや、断れなどしないだろう。そうさせているのは我々だ。だからこそ、これ以上何と声を掛ければいいのかわからなかった。
だが私がやることは変わらない。大事な家族を守る──ただそれだけだ。
(20180425)
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Smotherd mate