16.子羊と事件の終わり
いつも通り仕事をしていた日の午後、兄さんが私の勤務先へやって来た。目的は私の職場へ挨拶と見学──ではなく、"ボルジニアのマユ"について捜査をする為だ。昨日の話でいくと、まずは兄さんが潜入捜査をして裏付けを取り、後日狼さんが店に踏み込む流れだ。
同僚と挨拶を交わして店の奥に居る店長に紹介する。「軽く店内を案内してきますね」と告げて、私と兄さんは地下倉庫へ向かった。
例の得意客への商品は、昨日私が置いた場所から全く動いていなかった。誰かが触った形跡もない。兄さんにマユの入った缶を指し示すと、手袋を着けてそれを手に取った。慎重に缶の蓋を開けると中には昨日と同じまま、白いマユがぎっしりと詰まっていた。兄さんはそれを一つ手に取ってまじまじと確認する。
他の商品も見せて欲しいと言われ、布や糸を手渡す。一つずつ触って確認してはまた別の商品を手に取る。三枚目の布を手にした兄さんの動きが止まり、縫い糸を引っ張って中を開いた。どうやら二重になっていたようで、中から透明の袋に入った一枚の紙が出てきた。それはボルジニアのマユであることを示す証明書だったが、国から発行されたものではなかった。
「兄さん、これって……!」
「ああ、やはりな……名前、すまないがここの店主は……──危ないッ!!」
兄さんが躊躇いながら私に話そうとしたが、何かに気付いて突然私をかばうように伏せる。同時に破裂音のようなものが響き、驚いて兄さんの顔を見れば息を荒くして苦しそうに顔を歪めていた。嫌な予感がして彼の体を確認すると、腕からじんわりと血が滲んでいた。
「ウッ……!」
「兄さん! 大丈夫!?」
「大丈夫だ……私の後ろに隠れていろ、名前」
「おやおや、狙いが外れてしまったようだ」
兄さんが起き上がり、私を背中に隠す。地下倉庫の出入り口には店長が立っていた。こちらに向けられた銃口からは白い煙が出ており、たった今私達に向けて発砲されたのだとわかった。
「て、店長……?」
「"こういう仕事"をしてるとイヌのニオイはすぐにわかるのさ。名前、君は非常に働き者でいい子だったが、運が悪かったね。知られてしまった以上、兄妹仲良く死んでもらうことにしよう」
撃鉄をガチャリと起こして再び銃口を私に向けるが、兄さんが壁になってくれる。私は命を失う恐ろしさから、ただ兄さんのスーツに滲んだ血がどんどん広がっていくのを見ることしか出来なかった。
……こんなはずじゃなかった。……どうして、こんな事になってしまったの? 私のせい? 私があの客の荷物を運んだから? 兄さん達に話してしまったから? ぐるぐると、どうしようもない後悔ばかりが頭をよぎる。
嫌だ。怖い。足が震える。こんな所で死にたくない。兄さんに守られるばかりは嫌だ。それなのに、足が竦んで動かない。臆病な私は、ただ兄さんの背中にしがみついて震えることしか出来ない。
誰か、助けて……助けて、狼さん!
「──そこまでだッ!!」
バン、と倉庫のドアが勢いよく開け放たれる。外の光を背負って現れたのは、たった今心の中で呼んだ人物──狼さんだった。
傷付いた兄さんの背中越しに彼の姿を見た瞬間、涙が溢れた。私の胸の奥から、なにか熱いものがこみ上げてくる。自然と兄さんの背中を掴む手に力がこもった。
その後の展開は早かった。
狼さんが流れるように店長を床に組み伏せ、部下らしき人たちが次々と店内に踏み込み、現場は取り押さえられた。
救急車が到着したので、怪我を負った兄さんを支えながら一緒に乗り込む。部下に指示を出していた狼さんが一旦手を止め、そばに来て兄さんの怪我を確認する。命に別状は無さそうだ、よく妹を守ったな、最高の兄貴だぜお前は、などと賞賛を送られるが、兄さんは表情一つ変えずに狼さんに言った。
「すまない、狼。あとは頼んだ」
「ああ、任せとけ」
短くそれだけ告げると寝転がって静かに目を閉じ、深く溜め息を吐いた。傷が痛むのだろう。兄さんの額には汗で細い髪の毛が張り付き、元から透き通るような白い肌も今は少し青白くなっている。一刻も早く病院へ行かなければ。私は目元を赤く腫らしながら、踵を返そうとする狼さんに深々と頭を下げた。
「あ、あの……ありがとう、ございました……!」
まだ現状に頭が追い付いていなくて、お礼を言うのが精一杯だった。ただ狼さんが助けに来てくれたことが本当に奇跡みたいで、信じられなくて、そして嬉しかった。
「……名前が無事で本当に良かった」
今までの騒ぎがまるで嘘のように狼さんが優しく言った。大きな手を私の頬に添える彼の瞳の温かさに、緊張の糸がぷつりと切れた私は再び涙をこぼした。頬に伝う雫を彼の親指が拭い取ってくれる。私は何も出来なかったのに、兄さんを助けることすら出来なかった役立たずなのに、もう何も心配はいらない、よく頑張ったな、と狼さんはひたすら声をかけてくれた。
その大きな手に自分の手をそっと重ねると、不思議と震えが止まった。……狼さん。私は、狼さんが好きです。今すぐ彼の胸に飛び込んでしまいたい。強く強く、抱きしめて欲しい。
伝えたい言葉を、気持ちを、ぐっと飲み込んで、私は狼さんにお礼を言って離れ、兄さんと共に救急車に乗って行った。
(20190322)
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Smotherd mate