17.狼と別れの時
あの事件から一週間が経った。あの店はしばらく捜査のために営業停止になり、店長は逮捕され、裏取引のルートや繋がりを洗い出している。その内閉店になるだろう。他の従業員は手当を貰ったり次の仕事を見つけているところだ。
入院させられたアクビーはようやく日常生活を送れるくらいに回復したし、名前の事情聴取も片付いてきた。いつも通りフルーツ山盛りのバスケットをお見舞いの品にアクビーの病室を訪問する。俺が行くときはいつも名前が居て果物を剥いてやったり話をしたりしてるんだが、どうやら今日は姿が見えない。
「今日は名前は来てねえのか」
「さっきまで居たが早めに帰った。……狼、これを君にと預かっている」
アクビーは俺に小さな鍵を手渡した。形状からして家の鍵じゃなさそうだ。だが、どこかで見覚えがある。どこだっけ……そうだ、確かこれは三人で行った手紙の──レターウォールの鍵だ。ただ壁に挟んである手紙と違い、鍵付きの手紙は誰かに充てた特別なもののはず。つまり、名前は俺に何か特別な手紙を書いたってことか? 妙な期待をしてしまい口元が緩んだが、変わらずアクビーが真剣な眼差しを向けていたことに違和感を感じた。
「で、名前はどこだ?」
「……居ない。名前はもうこの国を出ていく」
「おい、そりゃどういう事だ!?」
「……あの事件の後、母はとても怒っていた。当たり前だ、娘があんなに危険な目に遭ったのだから。私が回復するまではこの国に居ることを許してもらっていたが、今日の便で母と共に帰国する。君が名前と会えるのは今日で……いや、昨日で最後だった」
「何だと!?」
アクビーの思いがけない言葉に衝撃を受けた。何を言ってるのか、一瞬理解が出来ないほどに。
話によると、毎日お見舞いに通いながら少しずつ帰国の準備を進めていたらしい。そしてまたボルジニアに来ることはないだろうと。この一週間、今日以外は名前と顔を合わせていたのに何故俺は気付かなかったんだ。自分の能天気さが腹立たしい。だが名前を前にすると仕事で荒んだ心が和らいで、いつもの鋭さや嗅覚がすべて鈍っちまうんだ。
「何でもっと早く……いや、名前が口止めしたんだろうな。それで、何時の便だ!?」
「ボルジニア国際空港、18時35分発の便で──狼!」
要点だけ聞いた俺はすぐさま病室を飛び出した。今は17時半。空港まで30分。一分たりとも時間を無駄には出来ない。頭の中でぐるぐると同じ言葉が回っている。名前に会わなければ。空港に行って名前を見つけてどうするかなど考えていない。だが、体が勝手に動く。手紙? そんなもん後回しだ。名前のことだ、どうせ今までの感謝と別れの言葉を丁寧に書き連ねているに違いない。そんなものを読んだって、時間が勿体なかったと後悔するだけだ。俺の心がひたすら締め付けられるだけなんだ。
信号も法定速度も無視して車を飛ばしたい気持ちに駆られるが、なんとかそこは死守して空港に到着した。今は18時過ぎ。18時35分の日本行きの便ならまだ搭乗は始まっていないはずだ。人混みをかき分けて名前の姿を探す。名前の体格は外国人に比べて小柄だ。すぐ見つかるはず。すると、搭乗ゲートより少し離れている大きなガラス窓の前で、外の風景を眺めている名前の姿を発見した。母親の姿は見えない。別の場所に居るのだろう。
俺は逸る気持ちを抑えて、深呼吸しながら一歩一歩近付いて行く。彼女の表情はとても寂しそうで、今にも泣いてしまいそうだった。手を伸ばせば届きそうなほどの距離まで来た。呼吸を整え、一拍おいて声をかける。
「名前。日本に帰るな」
「えっ……ろ、狼さん!? ど、どうしてここに!? まさか、もう手紙読んだんですか!?」
「いや、まだ読んでねえがアクビーに空港に居ると教えてもらった。そして……もう戻ってこねえともな」
「その話は、ええと……」
名前の顔に困惑の色が浮かぶ。その先の言葉を聞くよりも先に、俺の口が開いた。
「どこにも行くな。この先ずっと一生、俺がお前を守ってやる! 今回みたいな危ねえ目には二度と遭わさねえ! 俺はお前が好きだ!! 名前と一緒に居ると、すげえ楽しくて幸せで……とにかく、俺は名前じゃなきゃ駄目だ!! だから俺のそばに居ろ!!」
「え、ええと、あの……その……」
もっと格好いいセリフでスマートに告白したかったのに、それしか言葉が出てこなかった。心臓がバカみたいに飛び跳ねてやがる。くそ、落ち着け、俺。
今までにされたことないであろう熱烈なアプローチを受けた名前は、目を見開き顔を真っ赤に染めてダラダラと汗を流す。多分、名前から見た俺の表情も彼女と全く同じだろう。だがその表情からはもう困惑の色は見えず、予想外かつ期待以上の嬉しい言葉に何という言葉で受け入れればいいのか決めかねてるようにも見えた。
少しの沈黙のあと、名前は大きく頷いた。
「──はい! ずっと狼さんのそばに居ます!」
一世一代の告白が大成功を収め、ついに名前が俺のものになった嬉しさのあまり、勢いよく彼女を抱きしめた。周りからは拍手と歓声が鳴り響いてやまない。
「言ったな。覚悟しろよ、名前。俺はもう我慢なんてしねえからな」
「えっ、あの、せ、せめて心の準備を……んっ」
名前の唇にそっと自分の唇を重ねる。ふんわりとした柔らかな弾力に理性が飛びかけた。目を合わせているとどうにかなっちまいそうだ。気持ちを落ち着けようと視線を少し下げると、名前は俺がクリスマスにプレゼントしたロケットペンダントを首から下げていた。手に取って蓋を開くと、そこには丸く切り取られた俺の写真が入っていた。
「こ、これは……日本に行っても、狼さんと一緒だから大丈夫って意味で入れてただけで……!」
恥ずかしさのあまり顔を背ける名前がまた可愛くて、
「安心しろよ、本物がずっと一緒だ」
ああ、俺はもう、一生コイツを離さないと心に誓った。
(20200612)
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Smotherd mate