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賑やかなコーヒーショップで一人、フラペチーノに口をつけながら特に目的もなくスマホをいじる。無造作に指を動かすも画面なんて見ていない。今私の頭の中を占めるのは、哀牙さんだけだった。
この街に戻ってきた直後に哀牙さんに再び会ってしまうなんて、世間は狭すぎる。お陰で昔の事を思い出してしまった。
あの人と過ごした日々が無駄とは思っていない。彼の論理的思考や生き様は、私の生き方に随分と影響を与えていた。仕事で壁にぶつかった時、大事な選択の時、人と衝突して辛い思いをした時、彼ならどうするだろうか。頭が勝手に彼の行動を基準に、最善の選択をしてしまうのだ。今となっては何のありがたみもないそんな固定観念が、ようやく薄れてきた頃だったのに。
「失礼、相席しても?」
「ええどうぞ――いえ、やっぱりすみませんけど」
「一度了解したではありませぬか。他に席は空いておらぬゆえ、失礼しますぞ」
そう言って、声を掛けてきた人物は私の真正面の椅子に腰を下ろした。
最初から哀牙さんだと気付いていれば頷いたりしない。私は左手にあるスマホの電源ボタンを軽く押してスリープモードにし、何か一つでも文句を言ってやろうと口を開いた。
「その強引な所、相変わらずですね」
「強引で無くば探偵業は務まりませぬ」
「なるほど。探偵さんには私の居場所なんてバレバレってことですか」
「我は私情の為に仕事を用いるなど致しませぬ。気分転換の先に偶々貴女が居ただけのこと」
いちいちそうやって正当な言い分を並べるところが癪に障る。だから私もつい棘のある言い方をしてしまうのに。……本当は喧嘩なんてしたくない。意地を張ってしまう今の私は、何て可愛げのない女だ。
しかし自分の気持ちを押し付けて別れた手前、私は彼に対して一ミリでも付け入るスキを与えてはいけないと、冷たい態度を取るしかなかった。
「じゃあ私が出て行きます」バッグを持ちプラスチックのカップを片手に立ち上がろうとすると、「待たれよ名前殿。我は貴女に話がある」と哀牙さんに止められる。仕方なくバッグを膝の上に置いて少しだけ彼の話に付き合うことにした。……私には話なんてないけど。
「元気にしておりましたかな?」
「別に普通です」
「仕事の方は順調ですか?」
「それなりに」
「その……新しいお相手などは?」
「哀牙さんに関係ないじゃないですか」
突き放すように返しては興味のない質問を重ねてくる。それが本当に私と話したい内容とは思えない。
新しい相手なんて聞いてどうするの? それを知って何か変わるの?
段々機嫌が悪くなる私に反比例して、哀牙さんが話し掛けてきた時に見て取れた自信は萎んでいくのがわかった。「話なんてないんじゃないですか」と誰に言うでもなくボヤくと、哀牙さんは困ったように薄い笑みを浮かべた。
「少し世間話でも、と思いましてな」
「なら、話は終わったようですね」
どう考えても話題の選択ミスだ。彼らしくない。世間話なんて、今の私達には最も必要ない物だ。そこから何かを広げようと、何かに繋げようと試みたのはわかる。でも私は、哀牙さんと関わりを持つこと自体に懸念を抱いていた。
同じ悲しみは、もう味わいたくないから。
「もう私に構わないで下さい」
そして、私の事は忘れて下さい。
あなたを見るだけで沢山の思い出が鮮明に蘇ってしまうから。優しくされると、期待してしまうから。
あなたを突き放すことでしか、自分を守ることが出来ない。
「そうですか……貴女の中では、既に終わったことなのですな」
一段落がついたところで、私は膝の上に置いたバッグを手にして今度こそ席を立った。
今の状況はまるで一年前に彼に別れを告げた時と全く同じだ。どうして二度もこんな気持ちを味合わなければならないのか。
そしてやはり、彼が私を追い掛けてくることはなかった。
***
出先から事務所に戻る途中、通り掛かったコオヒイショップにて名前殿の姿を見付けた。
何度見直してもやはり彼女だ。幻の類ではない。又とないチャンスだと思い、即座に店内へ足を踏み入れる。
彼女は我と居る時はいつも紅茶を飲んでいたが、成程こういうものも好むのか、と初めて知った事実に多少の胸焼けを覚えた。
注文を済ませ、偶然を装って相席を頼む。こちらに目をやらずに了承するも、相手が我と気付くや否や手のひらを返された。しかし一度了承したのだからそこは受け入れて貰わねば困る。何せ店内は満席。だというのに我はテエクアウトを選ばなかったからだ。
平静を装い、何か話そうと口を開くが大した話題が出てこない。名前殿を見つけた喜びのあまり、心も準備もせずに勢いのまま行動を起こしてしまったせいだ。名前殿に新しい相手が居るかなど知りたくもないのに、ずっと気になっていたせいかつい口から飛び出てしまった。その質問を耳にした瞬間、彼女の表情が一層険しくなった。やってしまった。自分の失態を誤魔化すようにカップを口元へ運び、ストローを噛み潰す。
その後、名前殿は会話を切り上げてすぐに席を立ってしまった。五分と共に居られなかったが、追いかけようにも『しつこい』と思われるのは我の本意ではない。あまりにも何の成果も得られなかった自分に対し呆れを通り越して情けなさすら覚える。今の彼女には何をすれば良いのか、我には何一つわからなかった。
誰も居なくなった向かい側の席は、酷く空虚だ。そこに名前殿が居たという印はどこにも残っておらず、まるで最初から我一人でこの席に座っていたような気さえしてくる。
少しずつやり直せたら良いと思った。
すぐ元に戻れずとも、ゆっくりとお互いに歩み寄れたら、と思った。
だが彼女にその気はないらしい。それはもうわかりやすいくらいに拒絶されているのが、今回の無謀なる行動でよく身に沁みた。
彼女が我と同じ街で生きているのならば。
同じ空の下で息衝いているのならば。
ただ彼女の幸せを願えるのならば……それだけで、もう十分なのかもしれない。
……十分? 何が十分なものか。未だに彼女を忘れられぬから、彼女と共に歩みたいと願ったから、我はこの店に足を踏み入れたのではないか。
一度や二度、いや三度四度躓こうとも、名前殿にハッキリ『大嫌い』と言われるまでこの想いは止まることを知らぬ。
名前殿。
我は貴女を諦め切れないのだ。
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Smotherd mate