幕間小咄 五
小少将率いる旧勢力を打ち破り、私達は陣幕へと戻って行った。それぞれが休息を取り、勝利の喜びを仲間と分かち合っている。
私は、光秀殿・長政殿と一緒に今回の戦を振り返っていた。
「もし信長様の救援がなかったら、危うい所でしたね」
「ええ。美濃から京までの道のりをあの短期間で……。果断にして即決、何という御方だ」
光秀殿は九死に一生を得たかのような顔をして信長様を褒め称えた。
「ああ、義兄上こそ、英傑なる御仁だ」
長政殿も感服しながら頷いた。私もお二方と全くもって同じ心持ちだが、彼らの言葉以上に相応しい言葉が出てこない。語彙力がない自分を恨む。
「なればこそ、義兄上と肩を並べる存在でありたい。いや、義兄上を超えたい、そう思った」
「長政殿……?」
長政殿の思いもよらぬ言葉に、光秀殿は眉をひそめて聞き返した。
信長様を超えたいということは、いずれ信長様に相対する存在になるかもしれないということ。
「案ずるな、光秀殿、名前。某の信義の槍が折れることはないさ。そなたらとの友情の柱もな」
長政殿はそう言うと、お市様の元へ向かって行った。その背中を不安気に見つめていると、隣に居た光秀殿が私に言った。
「名前は信長様を超えたいと思ったことはありますか?」
「そ、そんな! とんでもありません! 私如きが信長様を超えるなど……!」
両手をバタバタと振って必死に否定すると、光秀殿はくすりと笑った。
「あなたはむしろ、もう少し貪欲になっても良いのかもしれませんね」
「貪欲、ですか?」
「あなたの力は皆が認めています。もっと自信を持って良いんですよ」
そう正直に褒められると何だか照れてしまう。
貪欲か、そういえば私はあまり欲を持ったことは無かった。
戦場に出て自分の力を存分に発揮する。成功すればそれが私の力と自信になる。それだけで十分な気がした。
「……いえ、やはり、あなたはそのままで居て下さい」
「光秀殿……」
光秀殿がどこか淋しげに見えたのは、多分気のせいでは無いと思う。
そのままふらりと本圀寺へ戻って行くと、入れ替わるように半兵衛殿がやって来た。
「もうすぐ夕餉だってさ。ねえ名前さん。悪いんだけど、久秀さん達も呼んできてくれる?」
「わかりました」
半兵衛殿に使いを頼まれて私は首を縦に振る。
けれど私はその場から離れず、胸中で渦巻いていた"しこり"のような物を吐き出すように呟いた。
「……今回の久秀殿の策、半兵衛殿が賛成するとは思いませんでした」
「そうかな? 攻撃は最大の防御って言うし」
「というか、上手く行くと思ってませんでしたよね?」
「まあね」
ぼかすように話してもやっぱり"しこり"が大きくなるだけだと思い、私は単刀直入に聞いた。
すると、あまりにもさらりと答えたので、私は一瞬聞き間違いかと思ってしまった。
「臆面もなく仰いますね。お陰で大変でしたよ」
「あはは、ごめんごめん。でも、勝てば泰平、負ければ滅亡。それ自体は変わらないでしょ?」
「つまり、織田家が滅んでも構わない、と?」
「ちょっと違うかな。俺はあの男の動向を知りたかっただけなんだ」
だってさ、全然信長に従ってるように見えないじゃない? と言われて私は同意した。
信長様に従わないという点では半兵衛殿も同じだが、その真意は久秀殿とは違う。
半兵衛殿は従う相手を見極めて泰平を願っているけれど、久秀殿は己の運命を歪めた信長様にどんな手を使ってでも勝つ、という全くの別物だ。
「俺は秀吉様の補佐で忙しいし、久秀さんは名前さんに任すことにするよ」
「えっ」
私が久秀殿の目付役である事も彼は知っているようだった。と言うより、今回の件で『二人で一組』という形が出来上がっている、と言われた。
もしかしたら私も、光秀殿と同じく苦労人な立場なのかもしれない。
「信長め、やりおる。我輩も認めよう……だが」
「いやらしい目だねェ松永殿。蛇が鳥の巣にある卵を狙う目だァ」
「私には郭公に見えますね」
ひそひそ話をしていた久秀殿と宗矩殿の元へ突然現れた私に、二人は驚いて肩を震わせた。
「お主、今どこから現れた?」
「まるで忍びみたいだったねェ」
「一時期、忍びになろうと思って学んだことがありまして」
「騎射といい忍びといい、お主は武に関しては多才だな〜」
騎射というと、私が焙烙兵から火薬玉を奪った時のあの弓矢の扱いの事を言っているのだろう。
「で、どうして郭公なんだァい?」
宗矩殿の問いかけに私は郭公の習性について話し始めた。
郭公は他の鳥の巣にある卵を一つ落とし、そこに自分の卵を産み付ける。
そして、その巣の親鳥に自分の子どもを育てさせる。
「……というのを"托卵"って言います」
ちなみに、郭公の卵は孵るのが早く、他の孵化待ちの卵を落とすこともある。
「へェ、じゃあ拙者がその卵って事かなァ?」
「いえ、その行為というより、郭公のずる賢さが……ですね」
「なるほどォ。松永殿にぴったりだァ」
宗矩殿は楽しそうに声を上げて笑ったが、対して言われている久秀殿は眉を顰めながら口端を片方だけ上げて私に言う。
「随分とはっきり言うでないか名前〜」
「でもお気を付け下さい。"托卵"は成功する確率が低いそうなので」
追撃。宗矩殿が勢い良く吹き出した。
「三年前に比べたら皮肉がうまくなったな。成長を感じるぞ〜」
「ありがとうございます……って、そうだ。そろそろ夕餉らしいので、参りましょう」
すっかり言伝を忘れていた。
慌ててその旨を伝えると、そういえばお腹減ったなァ、と宗矩殿が呑気に言った。
さて本圀寺へ戻ろう、と歩き出そうとしたら宗矩殿に肩を叩かれた。
久秀殿は先に歩いて行くが、私は足を止めて宗矩殿の隣で立ち止まる。
「名前殿と居る時の松永殿は、いつも楽しそうだよォ」
「そうですか? からかわれているだけですが」
「そうさァ。松永殿は名前殿を気に入ってるんだよォ、おじさんもだけどねェ」
気に入られている、のだろうか。しかし、長年の付き合いである宗矩殿が言うのなら、きっとそうなのだろう。
「一日目なんか、名前殿、閉じ込められちゃっただろォ? あの時の松永殿の慌てぶりは、今まで見たことなかったねェ」
それは初耳だ。
普段から落ち着いていて、私の前じゃ余裕たっぷりの久秀殿が慌てるだなんて想像が出来ない。
「……信じられないです」
「おじさんも信じられなかったよォ」
その言葉に、私は自惚れのようなものを感じた。
二日目の夜も、寝れなかった私を眠りに誘ってくれたのは久秀殿だし、三好衆と対峙して怪我をした時も私より衝撃を受けて、怒って、心配してくれた。
戦中の思い当たる節を探っていると、前を歩いていた久秀殿が、私達が来ない事にやっと気付いて振り返った。
「おい、何しとるお主ら。早く行かんと我輩が全部食べてしまうぞ?」
「あ、はい。今行きます」
「待ってよ松永殿ォ」
『気に入られている』という事実が素直に嬉しく、けれど少し歯がゆくも感じた。
夕餉を終えて本圀寺周りで散歩をしていると、大きな釣鐘の前で久秀殿を見付けた。
「久秀殿、何をなさっているんですか?」
「おお名前、良いところに来た! 今回の戦で、本圀寺は解体されるだろう? だから最後に信長様にこの鐘の音を聞かせてあげたくてな。連れてきてはくれんか?」
その満面の笑みが逆に怪しく感じる。
私は訝しむ表情で久秀殿に言った。
「また変な事を企んでたり……」
「信用しろよ〜。それに、お主も聞きたいだろう? 明日から解体が始まるんだぞ?」
「……わかりました、お待ち下さい」
私は久秀殿に言われ、信長様を鐘の前までお連れした。
久秀殿は丁寧な口調で信長様に話し掛ける。
「信長様。今宵は良い月ですなあ。この寺の鐘はこんな趣に合う音色を奏でるそうで」
そう言うと、久秀殿は鐘の下に立った。
「叩いてみて下され、我輩がまず鐘の音色を試しに聞いてみましょう」
促され、信長様は撞木(しゅもく)の縄を引っ張り、鐘を勢い良く突いた。
重い金属音が長々と鳴り、腹の底に響いてくる。そういえば、本圀寺の鐘の音色は初めて聞いたな。
「ああ、なんと無価値な音色! 信長様もぜひこちらで……」
もしかしてそれは信長様の真似だろうか。
久秀殿は大げさに言いながら、今度は信長様を鐘の下に来るよう促す。
「良き音色、か。ならば名前、うぬも鐘の下で聞くが良い」
「え」
が、まさかの私への飛び火。
「言うことが聞けぬ、か?」
「う……。は、はい……」
嫌な予感がするけど、信長様には逆らえるわけもなく、足早に鐘の下へ行く。
「来るな」と目で訴える久秀殿を睨み付けながら私は隣に立った。
すぐに信長様は、再び撞木を引っ張った。それを見て久秀殿は震えながら悲鳴を上げる。
「あ、そんな……ダメッ! あああ――ッ!」
ゴ――ン……という低くて鈍い音が響いた後、ブチッという紐が千切れるような音がしたかと思えば、私達の真上から釣り鐘が降ってきた。
鐘が落ちた衝撃で地が揺れて、視界が真っ暗になる。
「な……何!? 何ですか!?……まさか久秀殿のせいですね!?」
「チ、チガウヨー。ワガハイ、ナニモシテナイモンッ」
「嘘がへったくそですね! 本当に何してくれてんですかあなたは!」
掴みかからんばかりの勢いで久秀殿を責め立てると、慌てて手のひらで私の口を覆った。
そ、そうだった。外にはまだ信長様がいらっしゃる。
静かになったのを待っていたかのように、外から信長様の声が聞こえてきた。
「久秀、この信長を謀り、屠らんとしたか」
ごくり、と久秀殿が唾を飲み込んだ。
「名前、久秀の無価値な謀り、見抜けずか」
ごくり、と私も唾を飲み込んだ。
嫌な汗が出てくるし、心臓が嫌に鼓動を激しくする。このまま火でくべられたりしたら、間違いなく死ぬ。というか、そういう拷問があった気がする。
「くっくっく。……許す」
そう仰った後、信長様の足音は遠ざかっていった。やがて地を踏む音が聞こえなくなり、私は大きな安堵の溜息を吐き、久秀殿は堂々と悪態を付いた。
「くそっ、信長め! また我輩の運命を狂わせおった!」
「本当にもう私の前では隠す気ないんですね!? あと大声で喋らないで下さい、頭に響きます」
私と久秀殿だけの狭い空間……と言っても真っ暗闇なので何も見えない。
私は探るように手を伸ばし、鐘の表面にぴたりと手を当てた。冷たい。押してみても当たり前だがビクともしない。
「はあ……どうしよう……」
私は体の力が抜けて、ぺたんと座り込む。
久秀殿と閉じ込められるなんて色んな意味で危ない。けど、信長様は私が久秀殿の企みに手を貸したとは思っていないようだ。
『見抜けずか』というのは、久秀殿の目付役であるにも関わらず罠を見逃してしまった私へのお叱りの言葉だろう。
それだけが今の私には救いように感じた。
「もう……どうするんですか、これ……。私達の力でこんな重いのをどかせるわけないですよ……」
「そうだなあ。でも我輩、名前とこんな狭い所で二人きりだなんてドキドキしちゃう」
このまま外に出れずに久秀殿と餓死……なんて最悪な未来を想像してしまった。
誰か助けに来てくれないかな。光秀殿とか、気付いてくれないだろうか。
「私もドキドキしてますよ。生死がかかっているので」
「本当? じゃあ、我輩としちゃう? い・け・な・い・事」
「謀反の事ですか? 懲りないですね」
「いけずだなあ、お主は」
誰のせいでこうなったと思ってるんですか、という言葉を今後も言う機会がありそうな気がする。
次から次へと問題を起こして、私はただ巻き込まれるだけの被害者の立ち位置だ。
「さて、そろそろ出んと。息が苦しくなってきたな」
「そうですね、ちょっと絶望して現実逃避をしていましたが、何とかしなければ」
布の擦れる音がして、久秀殿が立ち上がったのだろうと思い、私も同時に立ち上がった。
「ぬおっ!?」
「ぎゃあっ!!」
途端、多分なにかに躓いたであろう久秀殿が私の方へ倒れてきた。背中から地面に崩れるようによろめいて、頭を打つと思ってと目を瞑るが、久秀殿が私の頭に手を添えてくれていたおかげで痛みはあまり感じなかった。
「……このままでいっかも」
「良くないです! 早くどいてください!」
倒れ込んだ久秀殿は私の上から一向にどこうとしない。
それどころか、肩をぎゅっと掴まれて首元に生ぬるい吐息がかかってくる。
「お主、いい匂いだな〜。はあはあ……」
「ぎゃああああ! 誰か助けてえええ――!」
いよいよ貞操が危うくなり、全身全霊の力を込めて叫んだ瞬間、鐘の上半分がすっぱり綺麗に切られて大きな音を立てながら外へ転がった。
何が起こったのかはわからないが、月明かりと新鮮な空気がまるで恩恵のように感じた。
「……お宅らさァ、場所くらい考えた方が良いんじゃないかなァ」
真っ二つにされた鐘の切れ目から、ぬっと顔を出したのは宗矩殿。どうやら彼の居合い斬りによって事なきを得たようだ。
久秀殿の力が弱くなったので、私は彼を押しのけて立ち上がった。
「ありがとうございます宗矩殿! 本当に助かりました! ほんっとーに!」
私は涙ながらに宗矩殿に感謝の意を伝えると、宗矩殿は私をひょいと抱えて下半分だけ残った鐘の中から出してくれた。
まるで赤ん坊のように軽々と抱き上げられ、びっくりして少し固まってしまった。
「そんなに松永殿と二人きりが嫌だったんだねェ」
地面に下ろされ、解放感溢れる外に出れたことに安心していると、あやすような優しい手つきで宗矩殿が私の頭を撫でてくれる。
「違うぞ宗矩。嫌よ嫌よも好きのうちと言うだろ〜? お主が来なければ、今頃、我輩と名前は……」
「無いです、絶対無いです! もう二度とごめんです!」
私は全力で否定して、その場から逃げるように走り去った。
暗闇とは言え、月明かりがある。
私はこの赤くなったであろう顔を隠すために2人から逃げたと言っても良い。
肩をギュッと掴まれ、久秀殿の鼻先が首元に触れた時の感触が残っている。
頬に彼の髪が触れて微かな香油の香りがした。柔らかく控えめな髭が鎖骨に当たって少しくすぐったかった。
まだ胸が早鐘を打っているのは、心を乱してくる彼のせいなのか、力強く精一杯走ったせいなのか。
いや、明日にはきっと忘れている。私は歩幅を少しずつ狭くして、熱を帯びた顔を冷ますように夜風に当たりながら自室へ向かった。
(20161018)
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Smotherd mate