幕間小咄 六
翌日の一月九日。
信長様は次に、三好衆の支援をした堺を攻めると言った。
堺といえば『会合衆』という裕福な商人が集まった組織が治めている自治都市だ。
大名に支配されず、貿易が盛んで、町の警備には浪人を雇っている自由な文化人の町。
「どうした? 浮かない顔をしておるな」
久秀殿が私の顔を覗き込んで聞いてくる。
そりゃあ浮かない顔にもなる。堺は私の出身地だ。
今は織田軍の侵攻に備えて物見やぐらをあげ、掘が作られて、蟻一匹通さないと言わんばかりに強固な構えを見せている。
出来れば戦いたくはない。この賑やかに栄えている町を人々の悲鳴や血で溢れさせたくはない。
私は信長様の前へ出て、恐る恐る申し上げる。
「信長様、ここはどうか私にお任せ願えないでしょうか」
「うぬは堺の生まれであったな。良かろう、愚民どもを従えてみせよ」
「ありがとうございます」
許可を頂き、私は堺の入口に立つ見張人に声を掛ける。
自分が堺出身であることを伝え、会合衆の数人を名指しして、話をさせて欲しいと申し出た。
見張りの者たちは半信半疑だったが、実際に私が名前を出した人達を連れて来れば嘘かどうかわかるだろうと、ひとまず私だけを町中に入れてくれた。
入ってすぐの通りで待っていると、やがて何人かの年配の男性がやって来た。
私が堺に居たのは小さい頃だったので、顔はうろ覚え程度だったが、彼らを見たらすぐに分かった。
昔よりも少し白髪が混じっていて皺も増えた。けれど商売人らしさは以前より強く出ている。
一人が前に出てきて、私に問い掛ける。
「アンタみたいなお嬢さんが織田の遣いかい? なんて名だい?」
「お久しぶりです、宗久(そうきゅう)さん。小さい頃は大変お世話になりました」
出てきた男性は今井宗久さん。父と同じ会合衆に属していて、私はよく遊んでもらっていた。
お茶について教えてもらった事もあるし、本当の父よりも父らしい事を沢山してくれた人だ。
私は懐かしさがこみ上げてくるけど、ぐっと我慢をして丁寧に挨拶をする。あえて名前は言わない。わかって欲しかった。
宗久さんは私の顔を不思議そうに見つめてくる。私も真っ直ぐに視線を合わせる。そのうち、ハッとしたように目を点にして口を開いた。
「アンタ……、アンタまさか、名前ちゃんなのかい!?」
宗久さんの言葉に周りがざわつく。
本当に生きているのか幽霊なのか、とにかく私の姿が信じられない、という風だった。
「……はい。今は織田家に仕えております」
「そうか、そうかい。良かったよ、生きていて!」
まるで本当の父のように私を心配してくる宗久さんに、私は胸が締め付けられる思いがした。
けれど今は思い出に浸っている場合ではない。
「どうかお願いです。織田に従って下さいませんか。無駄な争いはやめて、堺の民の為にもどうか」
「けどよ、二万貫を要求なんてあまりにも横暴だろう? 手前らでここまで堺を大きくしたんだ、それを大名なんかによお……」
「鉄砲はとても値が張り他の大名は手が出せませんが、信長様は堺にある鉄砲全てを手に入れる力があります。他国との貿易も増え、堺は更に繁栄するでしょう。輸入品も、唐物も硝石も今まで以上に商売になる。他の大名には無い財産が織田にはあります」
「織田と仲良く商売ってかい。だが織田が居なくても……」
「しかし、ここで従わなければ堺の民は間違いなく一人残らず殺されます。命無くして商売は成り立ちません。三万人の民の命を救えるのであれば二万貫など些々たるもの。そう思いませんか?」
視線を全く動かさず貫くような眼光で、ただ伝わって欲しい一心で真剣に言葉を放つ。
宗久さんはしばらく渋っていたが、やがて納得し、頷いた。
「確かにそうだな、商売にしろ何にしろ、命あっての物種だ」
「宗久さん……」
「名前ちゃんだって生きてたからお偉いさんに仕えることが出来たんだ。アンタの存在が語ってるよな」
ふう、と一息ついて、後ろの人達に声を掛けた。
「お前ら聞いてたかい、今日から堺は織田の領地だ」
「宗久さん、いいのかいそれで」
「仕方ねえよなあ、それにしても名前ちゃん立派になったなあ」
「今度ゆっくり茶でも飲みに来てくれよ」
意外にも温かい言葉を掛けてくれる彼らに、私は改めて懐古心がわいてくる。
彼らの言葉はそれほど後ろ向きではなく聞こえたので、やはり私自身が動いて良かった。
「今、お稲さんを呼んでくるから待ってなよ!」
その言葉に、どくん、と胸が脈を打った。
"お稲"というのは私の母親だ。けれど私はもう、私を捨てた父と母に会いたくはなかった。
そして兄弟にも合わす顔など無かった。
「いえ、まずは信長様に報告をしなければなりませんので」
「ちょっとくらい良いじゃねえの。顔を見せてやんなよ」
「申し訳ありませんが、今は……」
「……そうかい、わかった。じゃあ俺も、行くかねえ」
私の言葉を汲み取ってくれた宗久さんは、だが何か言いたそうな顔をしていたけれど、私は気にしないように歩きだす。
宗久さんもそれに合わせて私の後ろを付いて来てくれる。
門を開けて貰い、織田軍の姿が目に入った時、後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「――名前! 名前、なのかい……?」
その懐かしい声に、私は思わず足を止めてしまった。
昔よりも少し年が重なった女性の声が私の動きを止めたのだ。
「こっちに来て、顔を見せておくれ……!」
切なく乞うように吐き出される言葉に後ろ髪を引かれる思いにさせられる。
今更、母親面しようというのか。私が今まで、どんな思いで生きてきたのか彼女に想像が付くだろうか。
まだほんの子どもだった。自分で生きる力もない小さな子どもだった。そんな私が今まで生きてこられたのは、ここまでのし上がってこれたのは、私の"足掻き"と信長様の"力"あってのものだ。
それでも、私は今、無性に彼女に対して心を開きたくて仕方がない。こんな矛盾な気持ちが心に存在することが、私自身許せないし、捨ててしまいたい衝動に駆られる。
私は歯を食いしばり、半身だけ振り返る。決して心に隙を作らぬように、何を見たって動じぬように。
するとそこには昔見た母の面影がそっくりそのまま老いただけの、けれど綺麗な彼女がそこに居た。
いつの間にか追い越してしまった背丈。懐かしい柔らかな笑み。少しだけ彼女の姿が滲んで見えた。
「……人違いにございます。失礼します」
喉の奥から絞り出すようにやっとそれだけ言うと、私は前へ向き直り堺の町から離れて行く。後方から女性の嗚咽が聞こえた気がした。
宗久さんが私に何か言ったが、私は聞こえないふりをした。
「信長様、会合衆の一人、今井宗久殿をお連れしました」
「ご苦労、名前」
「はっ」
私は宗久さんを信長様の元へ連れて行き、後は二人の会話をただ聞いていた……いや、聞いてはいなかった。先程目にした母親の姿がずっと頭に焼き付いていて、人の話し声など全く耳に入ってこなかった。
後で光秀殿から事の次第を尋ねると、どうやら会合衆も和睦を求めていたらしい。
宗久さんは降伏として信長様に幾つかの茶器を献上し、信長様は彼を堺の大名に据え置いたとの事。
茶器を受け取った信長様は、表情には出さないがどこか嬉しそうに見えた、と光秀殿は言っていた。
自分の仕える人の傘下に入ることは喜ばしいことなのに、それが自分の生まれた町だと思うと少し複雑な気持ちになった。
織田軍は堺の町に受け入れられたが、私はもうこの町に入りたくないと思い、別の所で宿を探す。
一人になりたい気分だったが、何故か久秀殿まで付いてくるので仕方なく同行することになった。
「先程の女はお主の母親か?」
「……さあ」
堺の門前あたりでのやり取りを久秀殿にも見られていたらしい。
うまく誤魔化せるような言葉が見つからず、曖昧に返す。
「お主、会合衆にツテがあったのだな。我輩も奴らとはよく商いをしたもんよ〜勿論茶会もな」
「そうなんですか」
「で、何故堺で生まれたお主が美濃にまで来たんだ?」
「……色々ありましてね」
「母親とも不仲そうに見えたがな〜」
今触れられたくない話題を持ち出され、私は久秀殿を睨みつける。
面白半分で人の過去を探ろうなんて嫌な男だ。
「放っといて下さい。あなたに関係ないではありませんか!」
「だってお主、さっきから辛そうだもの。我輩、名前のそんな顔は見ていたくないぞ」
「っ……!」
素直にそう言われると強く言い返せなくなってしまう。久秀殿が私の事を気にするなんて、何だか調子が狂う。
私も失礼なことを考えたものだ。いくら今の自分が余裕を持っていなかろうと、これではただの八つ当たりだ。
「……すみません。でも、今は……」
「そうか。じゃあ酒でも飲んで嫌なことは忘れようぜ〜。宗矩は別の宿を取らせているから安心しろ」
久秀殿は私の手首を掴むと、すたすたと歩き出した。
私はそれを振り払う気も起きず、今は久秀殿にされるがまま付いて行く。
「逆に安心出来ないのですが……」
「その時はその時よ。むふふ」
そして久秀殿と宿を取り、共に酒を酌み交わす事になった。日は既に落ち、格子窓から白く輝く月明かりが漏れてくる。
久秀殿なりに私を元気付けようとしてくれているのだろう。
最初は乗り気ではなかったが、いざ酒を飲み始めると今日は何だか酒が進む。
織田の話に始まり、光秀殿の話に移り、茶の話になり、やがて堺についての話になった。
「故郷は懐かしかろう?」
「……そうですね」
どうせただの私の身の上話。酒の肴には丁度良いかもしれない。
「……先刻の女性は、私の母親です」
「だろ〜?」
久秀殿に個人的な話をするのはまるで敵に塩を送っているみたいで少し躊躇ったが、今後誰かに話すことも無いだろうし、今は誰かに聞いて欲しい気分だった。
このひと時だけは酒の力を借りてしまおう。壁に話すと思えばいい。
そして私はぽつりぽつりと話し始めた。
私は堺で生まれ育った。
私の父も宗久さんと同じく会合衆に属していた商人だった。父はいつも忙しくて家に居ないことが多く、母は私達子どもの世話に追われていた。
やがて物心がつくようになると私も兄妹と同じく父の仕事を手伝うようになる。しかし、まだ子ども故に自分が何をしているかわからず、言われたことをしていただけ。
会合衆の人達は仕事の合間に私と遊んでくれることもあり、中でも宗久さんが一番優しくしてくれた。
対して父は私に無関心だった。失敗すれば怒られてばかりで褒められた記憶がない。何をするにしても徹底していて、細かい点にもよく気が付く人だった。今にして思えば商売人としては当たり前の事だろうけど、子どもの私にはただ厳しくて頑固な父という印象でしかなかった。
父と居る時は怖くて目を合わせる事ができず殆ど俯いていた私は、父がどんな顔をしていたかなど記憶にない。
会合衆は茶の道も極めており、茶道が世間に大きく広まっていくと、それを嗜むものは教養があると言われるようになった。
茶会を開けば兄妹ともども準備に追われ、たまに参加させてもらうこともあったが、当時、小さかった私には茶の何が良いのかもわからなかった。けれど色んな人が詳しく私にあれこれ教えてくれるので嫌でも知識は身についていく。
初めてお茶を点てて自分でそれを飲んだ時に、やっとそこで茶の良さが分かった。今までは商売に付いてのあれこれや銃の組み立て方、貿易云々についてばかり学ばせられたが、そこでようやく私も茶について前向きに考えるようになった。
私が十歳になる頃、父と一緒に近江へ行くことになった。
火縄銃を宣伝して世に広めようということで、兄弟の中でも一番身軽でそれなりに銃の扱いも出来る私が付いていくことになった。
近江のそばまで来た時に事件は起こった。
酷い土砂降りの雨の日だった。私と父は川の上にある一本の心もとない橋の前まで来ていた。
川は雨によって水かさが増し、とてもじゃないが渡れない。一旦近くの町に戻って雨宿りをしようと決めた時、荷駄車から銃が入った包みが落ちた。
道脇に転がったそれを慌てて追って拾おうとすると、雨でぬかるんだ土に足を滑らせ、私は崖下へ落下した。死ぬほどの大怪我にはならなかったが、足をくじいたようで登れそうにない。草木で切ったのか出血もしている。上を向けば木々に邪魔をされて父の姿どころか空すらも見えない。
父は私の名を叫んで、助けに行くから待っていろ、と言ってその場から離れた。私は暗い森の中に置き去りにされて、心細くて堪らなかった。早く助けに来てほしかった。
寒さに身を震わせて辺りを見回すと小さな洞穴を見つけたので、そこで雨風を凌いだ。けれど、一日、二日……遂には五日。木の実で飢えを凌ぐが、いくら待っても父は戻って来なかった。次第に私は絶望し、捨てられたのだと確信した。近くの農村では口減らしと言って、子どもを家から追い出す事をしていると聞いていたので、私もきっとその類なのだろうと勝手に納得した。
ここに居ても野垂れ死ぬだけだと思い、一緒に落ちてきた銃を拾い集めてただ歩き続けた。何日も彷徨っていると鷹狩をしている者達に出会った。聞けば尾張の者だという。そんな遠いところまで来てしまったのかと思っていると、その者が私の持っている銃に気付いた。そして私は、ある人物の前に連れ出された。
その御方こそが今の主君、信長様だった。
私は幼心に思った。ここで上手く取り入らなければ命は無い、と。
信長様は銃に大変興味を持つ変わり者だった。私が持っていた銃は尾張にある物とは型が違った。私は子どもとは思えない銃の知識や製法を信長様に伝えると、実際に私に作らせた。完成した銃で私が試し撃ちをすると、難なく成功した。
そうして、私が織田に銃の技術を伝える事を条件に、織田家に仕える事を許された。この時ばかりは、自分が父の娘で良かったと感謝をしたが、それだけだ。
それから堺に来ることは一度もなかったし、戻ろうとも思わなかった。
私を拾って生かしてくれた信長様に、恩義としてこの一生を尽くすことだけを考えていた。
「だから私は、生まれ育った堺よりも信長様の下へ居た年月の方が長いのです」
「お主もなかなかに、悲惨な人生を送っとるな〜」
くい、と酒を煽り、吐息を漏らす。
こんなに長々と話すつもりは無かったのに、今日の私は何だかいつもより舌がよく回る。
きっと堺に戻ってきてしまったせいだろう。
「すみません、話すだけ話したら眠くなってきました……」
「寝てもいいよ? 我輩が介抱してやろう」
緊張の糸が切れたのか、話し終えた途端に欠伸が出てくる。
頬杖を付いて瞳を閉じると、眠気がやって来るので、すぐにまた目を開いた。
今日はもうお開きにしたいところだが、久秀殿は構わず喋る。
「しかし、お主の母親の様子を見る限りでは『捨てた』ようには見えんかったがな」
私もそのように見えたが、口には出さない。
私は織田に仕えた時点で家族は居ないものだと思うようにしていた。
それに今では光秀殿や蘭丸殿が私にとって家族に近しい存在だった。
「なら……助けに来て欲しかった、です……」
重い瞼が段々と下がってきて、私はそのまま台に凭れるように目を閉じた。
そのまま心地良い睡魔が襲ってきたので、私は緩やかに深い眠りへ落ちていった。
翌朝、目が覚めると私は布団の中に居た。むくりと上体を起こして、昨夜の事を思い返す。
確か昨夜は久秀殿と一緒にお酒を飲んで、私の生まれの話をして……と、順番に思い出していると布団の中に自分の物ではない温もりを感じた。
慌てて布団を勢い良く捲ると久秀殿が私の隣で寝ていた上に、私の腰あたりに腕を回していた事に気付いた。
「ひ、久秀殿!? 何してらっしゃるんですか!」
「……んん〜? むっふふ……おはよう、名前。昨夜は楽しかったなあ〜?」
久秀殿は目を開けると、早速いやらしい笑みを浮かべた。
「う、嘘です! 何もしてません! 悪い冗談はやめて下さい!」
私はすぐに布団から出て久秀殿から距離を取る。
久秀殿は体を起こし、私が寝ていたであろう箇所を手で撫でている。
「お主を布団に運んだのは我輩だぞ〜? ついでにお主と共に寝させて貰っちゃった」
「な、な……な、なんて事を……!」
「案ずるな。我輩は熟睡をしているお主を襲う程けだものではない。可愛い反応が見れんからな〜」
「そ、そういう問題ではありませんっ! わ、私はお先に失礼します!」
私はそう言って、夜着のまま自分の荷物を持ち、走って宿を後にした。
人の視線も気にせず私は慌ただしく町を駆け抜ける。
一昨日は久秀殿と鐘に閉じ込められて押し倒され、昨夜は久秀殿と同じ布団で寝てしまうなんて、私は一体何をしているんだ。
我が道を突き進む奔放な久秀殿と居ると、今まで真面目に生きてきた自分の心が翻弄される。
話すつもりもなかった事を話したのはきっと、久秀殿が私の前で信長様への叛意を隠さなくなったこともあると思うが。
久秀殿が無遠慮に私に近付く度に、気を許しすぎた、隙を作りすぎたと情けない気持ちにさせられる。この弛み切った己を戒めねば気が済まない。
だけど今は一先ず熱い湯に浸かって、痛むこの弱い頭をすっきりさせねば、と私は湯屋へ向かった。
(20161025)
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Smotherd mate