六条合戦 三
ハッと目を覚まして飛び起きた。寝床から体を起こし、軋む体を捻らせると、ばきぼきと関節が鳴った。
「うーん、よく寝たー……じゃなくて!」
いつの間にやら私は詰所内の一室にて眠りこけていたようだ。昨夜の記憶があまりない。装備を整えて外に飛び出ると、光秀殿と長政殿の姿を見付けたので急いで駆け寄った。
「遅れてしまい、申し訳ありません」
「名前、起きましたか。体は大丈夫ですか?」
「そなたはこの二日間、素晴らしい働きをしてくれた。もう少し休んでいても構わないよ」
光秀殿と長政殿が優しい言葉を掛けてくれるので、私はその気持ちをありがたく受け取って礼を返した。
「なかなかに可愛い寝顔だったぞ〜?」
すると後ろから近付いてきた久秀殿が、ゆっくりと歩み寄りながら私の顔をニタニタと眺め始めた。そう言えば、昨夜は久秀殿と話している最中からの記憶がない。
そう思っていると、久秀殿の衣からふんわりと甘い残り香が漂ってきて、昨夜の記憶が蘇る。
「お陰様で。ありがとうございました、久秀殿」
久秀殿にもお礼を言うと、うんうん、と頷いた。
現在の状況を確認すると、本圀寺には義昭様の元に濃姫様とお市様、半兵衛殿がおり、奪い取った二つの詰所それぞれには宗矩殿と高虎殿らが指揮を取っているらしい。防衛線が広くなったことにより有利に見えるが、それは断じてない。
信長様のおられる美濃から京までは三日掛かる。明日ないし明後日には信長様もお見えになるかもしれないが、この一日を守り切らなければ我々はお仕舞いだ。
重苦しい雰囲気の中、今後の動向を皆で話し合っていると一人の伝令兵が駆け付けてきた。
「伝令! 敵方に援軍の姿を確認! 旗印から、追の三好軍・筒井軍と判明!」
追い打ちをかけるように嬉しくない速報がやって来た。いよいよ不味い事態かもしれない。
落とした詰所に兵糧はある、武器もある。しかし火薬も兵も弓も体力も限りがある。
最悪、兵を退かせて京を脱出するしか……と、ひとり頭の中で錯綜をしていると、兵達が一斉に跪き始めた。
その先を見ると、愛馬に跨った我らが主君――信長様が家臣を従えて悠然と佇んでいた。
「クックック……。魔王、降臨、ぞ」
信長様の下にいる馬がいななく。
「死地に巣食う三好らを、討て」
一瞬、私は我が眼を疑った。
驚いた事に、三日は掛かるであろう距離を、しかも豪雪という最悪な環境を振り払って、信長様はここまで迅速に援軍に駆け付けて来て下さった。
ぞろぞろと兵卒を従えた武将が北砦に集結し、陣形を作り上げて突撃して行く。
信長様が山城、大和、河内などの畿内から多数の武将も呼び寄せて下さった事で完全に兵力差は覆り、織田軍はかつてない活気を取り戻した。
光秀殿は歓喜に震え、長政殿は信長様への畏敬の念を表す。
私は爛々と目を輝かせて、久秀殿に向き直った。
「さて久秀殿、参りましょう!」
「え? どこに? まさか戦の最中に我輩と密事をしたいのか? 嬉しい誘いだが、皆に我輩達の仲がバレて……」
「ち、が、い、ま、す!」
私は信長様方が援軍に来られたことにより、光秀殿達同様強い意気込みが胸の内に溢れていた。
「筒井や三好らとは、東大寺の大仏殿を仲良く焼いた仲じゃないですか。ねえ?」
「名前は我輩を焚き付けるのが上手いな〜。あんまり近付くと火傷しちゃうぞ?」
私と久秀殿はにっと笑い見合った後、遅ればせながら流れるように走る兵卒に混じって駆け出した。
西砦は既に南門も北門も開かれており、敵側は撤退を始めていた。
そこに居た三好三人衆――三好長逸、三好政康、岩成友通は私と久秀殿の姿を見つけると踵を返す。どうやら向こう側も久秀殿の首が欲しいようだ。
三好三人衆と言えば、久秀殿が仕えていた三好長慶殿の死後、久秀殿と三好の政権争いをしていた連中。
何故同じ主君に仕えておきながら争いが起こったのかと言えば、きっと馬が合わなかったのだろう。久秀殿の評判は私もいくつかは聞いていたが、実際に会ってみるとどういう人物かをより如実に理解した。
そして、彼が尊重し忠義を貫いたのは後にも先にも長慶殿だけだとも。
「おのれ久秀〜! 戦場にまで若いおなごを侍らせおって!」
「いいご身分だな久秀ェ!」
「その巫山戯た頭を斬り落として盃にしてくれるわ!」
彼らの恨み言がなにやらおかしい。
私は何だかなあ、と思って首だけ動かして久秀殿を見る。
「あの、……久秀殿?」
「見ろ名前。刃を交える前から負け犬の遠吠えが聞こえるぞ」
確かに私の耳にもきゃんきゃん吠えているようにしか聞こえないが。
三好らは刀を握ってじりじりと詰め寄ってくる。
「名前、我輩が守ってやるからな。しっかり抱き付いているんだぞ! そりゃもう柔い肉という肉を押し付けるようにな! あ、でもそんな事されたら我輩、戦闘どころじゃなくなっちゃう!」
「ああ……久秀殿すら敵に見えてきましたよ……」
斬り掛かってくる刃を弾き返して峰で打ち込む。彼らを討つのは私の役目ではない。だが弾いても弾いても彼らは怒りのままに斬り掛かってくる。
「我輩達がいちゃついてるのを見て腹を立てておるぞ、楽しいなあ、名前。ほらもっと近う寄れ!」
「楽しんでるのは久秀殿だけですって……、うッ!」
久秀殿に突っ込みを入れているといつの間にか刃先が目前に迫っていた。
咄嗟に避けたが頬に鋭い痛みが走る。じんわりと熱くなり、生ぬるい鉄の匂いがした。
「名前!?」
「大丈夫です!」
久秀殿が私の声に振り返ると、私の頬から流れる赤い血に気付き、目の色を変えた。
「貴様ら……よくも我輩の名前の顔に傷を付けてくれたな!」
「ひ、久秀殿……?」
今までとは違う久秀殿の迫力に圧され、三好らは震えた。
「許さん、蹴散らしてくれる!」
その時、私の頭に浮かんだ言葉は、『最初からそのくらい本気で掛かってくれれば良かったのに』という切実な思いをはらんだものだった。
それくらい久秀殿は一分の隙もなく三好衆をぎたぎたに叩きのめし、やがて織田軍らがここまでやって来ると彼奴らはすごすごと引き下がって行った。
「我輩と名前の、愛の勝利だな! ほれ、傷を見せてみろ」
久秀殿が私の顔にそっと触れて、まじまじと悲しそうな目で見つめる。痛みはあるけどそこまでじゃない。しかし久秀殿は私以上に何故か衝撃を受けていた。いつになく真剣に感じたので、私は紛らわそうとおどけてみせた。
「これくらい舐めとけば治りますよ、安心してください」
「だが自分じゃ出来んだろ? 我輩が舐めてやるよ〜」
「うわっ、やめてください、汚い!」
「汚いとか言うな! 普通に傷付くではないか!」
前言撤回。
やっぱりただの変態おやじだ。
「じゃ、次は"美女"に会いに行きましょうか」
「名前以上に美しいおなご、この世に居る〜?」
「とぼけないでくださいよ、大悪党殿」
褒めたつもりはないけど、久秀殿は嬉しそうに「むふふぅ」と笑った。
敵本陣に居た女性は、雑賀孫市の言っていた通り確かに美女だった。風変わりな着物、綿飴のようにふわふわとした桃色の髪。軽薄そうな外見とは裏腹に、憂いを帯びた口調で言葉を放つ。
「男どもはみんな勝手に不幸に落ちちゃった、か。結局、頼れるのは自分だけね」
あれ……この女性、見覚えがある。というか、この派手ないでたちは忘れようもない。
我々織田軍が三年前に上洛した際、本圀寺にて交戦した三好軍の中に居たはずだ。その後、義輝将軍を殺害した久秀殿が我々の軍に下ったわけだが。
三好軍と言っても、その時はまだ松永・三好連合軍だった。
その繋がりがあまりにも決定的で、嫌になるほど理解してしまった。
「この合戦は紛れもなく織田の勝利です。お引き取り頂けませんか?」
「そうしてあげたいのも山々なんだけど、ここまでされて引き下がったらカッコ付かないじゃない?」
「やめて! 我輩の為に美女2人が争うなんて我輩……、我輩、耐えられないっ!」
これまでの戦いで尽く"緊張感"という帳を縦横無尽に粉々にしてきた久秀殿に、私はそろそろ我慢の限界だった。
「誰のせいだと思ってるんですか、誰の!」
「そうよ、悪党さん」
「美女二人に責められるなんて、我輩ってば果報者!」
駄目だ。久秀殿を介した所で埒が明かない。
ならば信長様がいらっしゃる前に私が、と刀を握って構えを取った。
「引かぬと言うなら力尽くしかありません、戦いましょう、小少将殿」
「いいわよ。来なさい、コムスメちゃん」
双方が武器を手にして斬り掛かったその時、銃声が大きく響いた。
私も小少将も動きを止めて音のした方に顔を向けると、昨日撤退したはずの雑賀孫市がそこに居た。上空に向けて構えている銃口からは、たった今発砲した事を証明するかのように煙が吐き出されていた。
「さ……雑賀孫市! 何故ここに!」
私は彼の再登場に驚いて刀を下ろす。得意気な笑みを浮かべている孫市は小少将を抱き寄せると、そのまま腰を落として担ぎ上げた。
「悪いな名前ちゃん。ここらで勝利の女神は攫わせて貰うぜ」
「なっ……!? ちょ、ちょっと、離しなさいよ!」
小少将は足を振って抵抗するが、孫市は特に気にしていない。
「……コムスメちゃん、次は邪魔の入らない所で2人きりで、愉しみましょうね」
「はい」
「淫靡な香りがするぞ! 我輩も混ざりたい!」
久秀殿が間に入ってくると、小少将は目を細めてじっと久秀殿を見た。
「……悪党さんは、とぼけるのがお好きね」
「はてさて、何の事やら」
「うふふ、それでいいの。じゃあ、またね」
そして小少将は孫市に連れられて姿を消した。彼女とはいずれまた戦うことになりそうだ。あの雑賀衆共々。
人や馬の、無数の足音が近付いて来る。既にここには我々織田軍以外の生存者は居ない。
防衛戦から始まったこの窮地は、信長様の英雄的進軍によって見事に勝利を収めたのだった。
光秀殿と長政殿は口々に信長様を崇め始め、久秀殿はそれを聞いて「つまらん、実につまらん」と、最早私の前では隠そうともせずにボヤいていた。
少しずつ人混みから離れていく久秀殿の背中を追い掛けると足を止めたので、私も同じく止まった。その背中に忠告するように私は口を開いた。
「久秀殿、此度の戦の件。信長様はお許しになるでしょうけど、もし許されなくなった時は……」
「くっく。それこそが我輩の運命だ」
「ええ、そして私の運命も、そこで潰える事でしょう」
久秀殿は私の言葉を聞いて振り返った。
眉間に皺を寄せて、理解しがたいという表情を浮かべている。
「お主、正気か? 我輩の為にその生命を捨てると言うのか」
「いいえ、誰でもなく私の為に。捨てるのではなく、一人の運命を天に還すのです」
「……全く、度し難い事だな。だがお主のうんざりするほど摯実なところ、嫌いではない」
勝利を手にして皆が笑って喜んでいるというのに、私と久秀殿だけが雪景色の中、やがて訪れるであろう未来を見据えていた。
(20161015)
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Smotherd mate