幕間小咄 七
堺が信長様の領地となった翌月。
三好衆に本圀寺を攻められた事を危惧した信長様は、本圀寺を解体して義昭様の為に二条城を建国する事にした。
二月から築城を始めるということで、その普請を一任されたのが久秀殿と私だ。
信長様は濃姫様と蘭丸殿、光秀殿らと共に京へ移り、長政殿とお市様は小谷城へ戻られた。
私も光秀殿達と一緒に戻りたかったのだが、信長様直々の命令だ。汚名返上の為にも今度こそ久秀殿の目論見を先に食い止めねば。
けれど、目付役なんて言っているのは光秀殿や半兵衛殿だけで、信長様ご本人の目的は定かではなかった。
「名前、おるか?」
襖の外から声を掛けられ、開ける前に久秀殿が中へ入って来た。
私は手のひらを見せるように腕を伸ばし、「止まって下さい」と警告する。
「私から一丈以内に入らないで下さい」
「そんなに警戒するな。何も取って食おうとしてるわけではないぞ」
やれやれ、と首を振りながら私の言葉を聞かずに手の届く距離まで近付いてきた。まあ、最初から私の話なんて聞いてくれないとは思っていたけど。
私の頬に手を伸ばして触り、優しくさすってくる。そんな久秀殿の手は意外と硬くて、男らしさを感じた……が、ここまで私の言うことを聞いてくれないとも思わなかった。
「三好に付けられた傷もすっかり綺麗になったな」
「はい。久秀殿がくださった薬のお陰です」
「おなごの顔を傷付けるなんて打ち首だな。悪党の我輩とてそんな事はせんぞ〜花は愛でるものだからな」
「久秀殿は女性がお好きですからね。あんなに怒るなんてびっくりしましたよ」
ひと月程前、三好らへ怒りを露わにした久秀殿を思い出す。久秀殿は濃姫様やお市様など、美しい女性にも目が無いことは知っている。
「お主だからに決まっとるだろ〜?」
「私……?」
それはどういう意味だろう。
詳しく聞こうか迷っていると久秀殿は私の頬から手を離し、話題を変えた。
「どうだ? 多聞山城での暮らしは」
「大分慣れました。四層の櫓も素晴らしくて見惚れてしまいました」
私は今、久秀殿と一緒に多聞山城にて二条城の完成を待っていた。
大和の領主、久秀殿による治世の手伝いをしながら、たまに二条城の様子を見に行くのが最近の仕事だ。
「櫓より我輩に見惚れて欲しいものだがな」
「久秀殿が櫓になったら考えましょう」
お主は一時の会話ぐらい楽しもうと思わんのか、と責められる。久秀殿に見惚れろと言われても、まず数秒間目を合わせることが難しい。極悪人の面構えに何もかも見透かしているような目付きが相変わらず苦手だ。
「これからひと月ほど二条城の普請にあたるが、お主も来るか?」
「ええ、参りましょう!」
私は持っていた書物は即座に置いて、パッと明るく返事をした。書物とのにらめっこにもいい加減飽きてきたところだ。
「わかりやすいよな〜お主は」
「私は中より外の方が性に合ってるみたいです」
久秀殿は長慶殿に仕えていた時、右筆としてこれまでやってきたものだから慣れているだろうけど。
「蝶や鳥は籠の中におるより、優雅に外で舞う方が美しいのは我輩も同意だ」
私は城を籠とは思ったことは無いが、久秀殿はそう思っているのだろうか。もしくは、信長様の事を指しているのかもしれない……なんて考えすぎか。
二条城は施工が始まったばかりの頃にちょこっと見たくらいなので、ひと月経った今どれだけ進んでいるのか楽しみだ。
信長様も京に居らっしゃるので、ちょくちょくと二条城の進みや義昭様の様子を見に来ているらしい。
準備を終えた私と久秀殿は、ご子息の久通殿にお見送りをして貰う。
「では久通、我輩と名前はこれから蜜月の旅に行ってくるぞ」
「承知。道中お気を付けなされ。父上、名前殿」
「蜜月じゃないです普通に流さないで下さい!」
父子揃ってからかわれて、私は毎度のごとく二人に突っ込みを入れる。
多聞山城へ来て初めて久通殿と対面した時はあまり久秀殿に似ていないと思ったが、三人で共に過ごしている内に、ああやっぱり親子だ、と思う点がいくつもあった。
喋り方や立ち振る舞い、笑顔がどことなく似ている。既に家督を譲られており、政や折衝のやり方も久秀殿と通ずるところがある。それに私をからかう時まで。
まるで小さい久秀殿がもう一人居るような感じだ。そう思うと少し厄介だ。けれどこの父子は仲が良い。二人で楽しそうに話しているのを見ると微笑ましくなる。会話の内容はさておき。
多聞山城主である久通殿に後は任せ、私達は京の二条城へ向かった。
道すがら、私はかねてより抱いていた疑問を久秀殿に聞いてみる。
「そういえば、久秀殿の奥方はどちらにいらっしゃるんですか?」
「病死した。この目でしっかり看取ってやった」
「そうでしたか……すみません、そうとは知らず……」
私は聞いたことを少しばかり後悔した。そんなにあっさりと言うものだから余計に辛くなる。自責の念にかられていると、久秀殿は私を励ますように明るく言った。
「よい。その後の方がもっと最悪だったしな」
「何かあったんですか?」
「昔なじみの果心居士という幻術士が我輩の妻に化けたんだぞ。信じられんだろう」
何という悪い冗談だ。死んだ人に化けるなんて夢見が悪くなる。けれど、不謹慎とは思いながらも久秀殿の言い方が可笑しくて私は微かに笑みを浮かべた。
「聞きそびれておったが、お主の父は何という名だ?」
「千宗易(せんそうえき)と申します。商人・茶人としてあちこち旅をしています」
「宗易だと? お主、あの茶頭の娘だったか!」
久秀殿は鳩が豆鉄砲を食らったような表情をして大声で言った。久秀殿は私が茶道や茶器の心得がある事にようやく納得がいったようだった。
父が茶人の間でどれだけ有名かは私も知っている。聞けば久秀殿も以前、茶会を開いた時に父を招いたらしい。
先日の堺の一件から信長様も茶の道に目覚め、父を含む会合衆を茶頭として重用しているらしいが、私は特に興味を示すことはなく、会いたいとも思っていなかった。
「お主も信長なんぞに仕えねば、茶人として名を馳せていたのかもしれんのにな〜」
勿体無い、と言われるが私は全くそう思わない。
あの日、置き去りにされた時から私は茶に触れることは無くなった。茶屋に入ったり茶器の店を通る度に父の名が耳に入るのがまた苦痛に感じた。
そんな私を再び茶の道に引き戻してくれたのは他でもない久秀殿だった。生まれというのはどこに行ってもきっと知らない内に自分に付いて回るのだろう。
「久秀殿も先程仰ったじゃないですか。蝶や鳥は籠の中でなく、外で舞う方が美しい、と」
返すと久秀殿は、そうだったな、と苦笑した。
二条城へ到着すると施工は大分進んでおり、半分ほど完成している姿を見て私は驚いた。
短い期間で竣工させる為に、常に2万人近くを動員させている上、石垣用の石材として近くの村や町から、石仏、板碑、灯籠等を徴集している、と久秀殿は言った。
確かによく見ると石垣にはそれらが組み込まれており、材料が置き場にもちらほら見える。
「この調子で行けば四月頃には完成するだろ」
「そうなのですか、築城はもっと年月が掛かるものだと思っていました」
「早い。が、作りはしっかりしとる。何せ我輩が普請にあたっているのだからな〜」
「へえ、それは楽しみですね」
大工の邪魔にならないよう私達はひとまずそこから離れ、近くの宿舎で寝泊まりをすることにした。
翌朝、久秀殿に誘われて城下町へ遊びに行くことになった。
楽しそうな町人の姿を見ていると、戦によって凝り固まった心がほぐれていくような気がする。
いくつものお店を見て回るが、やはり私も女なので可愛く装飾されたかんざしや手鏡、櫛には目を奪われる。
「欲しい物があれば何でも買ってやるぞ」
「い、いいです、自分で買えます!」
「もっと甘えろよ〜。男はおなごに甘えられたい生き物なんだぞ〜?」
うりうりと肘で突かれ、それをやんわりと押しのける。
何となく、久秀殿に甘えたら負けな気がして意地を張ってしまう自分が居る。
ふと、店の外に目を向けると焼き物屋が目に入った。
そういえば以前お気に入りの茶碗を割ってしまったから、丁度新しいものが欲しかったんだ。
「じゃあ、あそこで茶碗を見たいです」
「……それは駄目だ」
「何でですか?」
「駄目なものは駄〜目」
急に反対しだした久秀殿に私は違和感を感じる。
理由を聞いても頑なに教えてくれない。
そんな久秀殿に少し嫌気が差し、反発するように私は返した。
「もう良いです。自分で買いますから」
そう言って足を踏み出した時、久秀殿に腕を掴まれた。
「仕方ないな〜。……付いて来い」
久秀殿は私の腕を引っ張って無理やり反対方向へ歩き始めた。
強い力で握られているので抵抗もできず、私は仕方なく久秀殿と共に歩みを進める。
連れて行かれた先は大きい問屋。
何故こんな所へ、と疑問に思っていると久秀殿がお店の方に声を掛けた。
「おーい、我輩だ。アレは届いとるか?」
「おや、松永様。届いてますよ、少々お待ちを」
奥へ行ってしまった店主を少し待って出てきたものは手の上に乗せられるくらいの木箱。
久秀殿はそれを受け取って私に渡す。
「本当は城に戻ってから渡そうと思ってたんだがなあ」
「え……、開けてもよろしいですか?」
「当たり前だろう? お主のものだ」
許可を頂いて恐る恐る蓋を開ける。
品物を包んでいる上品な浅葱色の布をゆっくりと開いていくと、中から茶碗が出てきた。
漆黒に染められた内と外、その上に斑紋が広がっている。釉(うわぐすり)のおかげで、まるで満天の星空のようにきらきらと輝きを放つ。
「これは……?」
「油滴天目茶碗。お主用にと頼んだのよ。どうだ、気に入ったか?」
天目茶碗は宇宙の様な柄が素晴らしい、と茶人の中でも重宝されている品だ。
明の南宋時代に作られ、どういうわけかこちらへ渡ってきて、今では数寄者が喉から手が出るほど欲しがる代物。
そんな価値のある物を私に贈ってくれるなんて、まるで現実離れしている。
「う、受け取れません……!」
「いいや〜、それは聞かんぞ。手にした時点でそれはお主の物だ。潔く受け取って我輩の頬に口付けをするがいい」
正直、口付けしても良いと思ってしまった。それ程の喜びを今私は感じている。
宗矩殿が言っていた「私を気に入っている」という言葉が頭に蘇る。
「……ありがとうございます!」
私は嬉しくて堪らなくて、満面の笑みで久秀殿にお礼を言った。
すると久秀殿も嬉しそうに笑顔で返してくれる。
「お主の満開の笑顔が見れただけで我輩は十分だ。いつもそのように笑っていてくれよ〜」
「ぜ、善処します……」
何だか気恥ずかしくなり、私はそっぽを向いた。
この人と居ると、自分がわからなくなる。
信長様に対しては激しい憎悪を感じるのに、それ以外に関しては無関心。けれど私に対しては優しいというか、どこか甘いところがある。
一言じゃ表せられない何かを私は久秀殿に感じていた。それは決して悪い意味ではない、と私は思っていた。
市月になり、いよいよ二条城が完成した。
義昭様はすぐに移り住み、私と久秀殿はそのお手伝いをした。
と言っても久秀殿は何もしないからほとんど私が働いていたし、義昭様は「義輝の仇が此処に居るのが不愉快極まりない」と言って久秀殿を散々睨み付けていた。
もし信長様が義昭様に釘を差しておかなかったら久秀殿は首を斬られていたかもしれないが、久秀殿の事だ、簡単に殺される人間ではないだろう。
「さて、我輩達も愛の巣へ帰るとするか」
「岐阜城へ帰りたい……」
「多聞山城も良い所だぞ〜」
確かに良い所だけど、信長様や光秀殿達はどうしているのか気になる。文のやり取りも定期的にしているが、やはりこの目で確かめたい。
それに、小谷城へ戻られた長政殿とお市様も元気にしておられるだろうか。
「そうだ、久秀殿。寄りたい所があるのですが」
「お主からとは、珍しい申し出だな。良いぞ」
そして私達は多聞山城への道を少し逸れて別方向へ向かいだした。
辿り着いた先は本能寺。
3年前に長政殿と共に植えた桜の若木の様子を見たくて久秀殿にお願いをしたのだ。
若木はそれなりに成長し、幹も以前と比べて大分太くなっている。
桜は見事に花開き、ひらひらと舞う薄紅色の花びらが幻想的で美しい。
「わあ、見て下さい久秀殿! すごく綺麗……」
「ほお、結構なものだな」
「長政殿とお市様にも見せて差し上げたいです」
「そうだな、見れたら幸せだろうになあ」
「久秀殿、次は皆で来ましょう!」
「構わんよ。その時が来れば……な」
久秀殿の言葉はいつもどこか悪い意味をはらんでいる気がして、でもそれを問いただそうとしても大体流されてしまう。
けれど今は、この美しい桜の前では野暮なことを考えたくない。
いつかまた、皆でこの大きな桜を囲って笑い合いたい。その時はきっと、信長様が作り出す泰平の世であるように、と私は心の中で静かに願った。
(20161027)
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Smotherd mate