幕間小咄 八
多聞山城に来て初めての夏。
日差しが容赦なく地と肌を焼き、蝉が忙しなく鳴き続けて耳が痛くなる。まさか二条城が完成した後、この時期までずっと久秀殿の政務の手伝いをする羽目になるとは思わなかった。
私は中での仕事が苦手なもので、専ら外で働いていた。
大和の町を見回り、小悪党が居ればお縄頂戴、橋が壊れれば大工と一緒に直し、湯屋に赴いて町の女性と世間話、子どものいじめには仲介に入る。
気付けば私は町人と顔なじみになり、たまに茶屋では団子をおまけして貰ったりもした。
暇な時や疲れた時は久秀殿が茶を点ててくれて、そんな生活にも大分慣れ……いや、慣れちゃ駄目だろう。いくら信長様の命とはいえ、これでは久秀殿に仕えている気分だ。ああ、もし織田に戻った時にお役御免になったらどうしよう。
肝心の目付役の仕事は特に問題無し。どころか、最近の久秀殿は政務で忙しそうにしているだけ。怪しい動きなど見せる様子もなく、平和そのものだった。
堺の町が信長様の領地になって数日後、私は久秀殿に茶に誘われた。いつものように気楽に楽しもうと思った時、ある事に気付いた。
久秀殿が以前から使っていた唐物茶入の九十九髪茄子がそこに無く、別の茶入れが置いてあった。どうしたのかと聞くと、宗久さんが信長様に茶器を献上した時に久秀殿も一緒に差し上げていたらしい。吉光の短刀"薬研藤四郎"も添えて。
元気がなさそうに見えたので、今日は私が茶を点てましょう、と申し出た。すると久秀殿はいつもの調子で「我輩を慰めてくれるのか? なら寝所へ行こう〜」と言い出したのでとりあえず無視をして茶を点てると、一応喜んでいたようなので安心した。
このまま元気を取り戻してくれれば……なんて思っていたら久秀殿が懐から九十九髪茄子を取り出し……は? え、どういう事? 問いかけてみれば、信長様に献上したものは偽物との事。何という悪人。隠していたのは私の反応を見たかっただけだ。まあでも久秀殿はこの茶入れを大事にしていたし良いか、と寛容な心で納得した。
久秀殿は私と大分年が離れているが、"父親"という感じはあまりしない。どちらかというと"人の振り見て我が振り直せ"という偶像に近い気がする。
以前光秀殿に言われた『色々教わるものもある』というのは、もしやそういう意味でかな、と思った。
久秀殿と共に過ごしていると、なんだかんだでこの人の良い所も見えてきた。
茶に関しては一級品。茶だけでなく料理の腕もある。一度、懐石料理をご馳走になった。どの料理も美味しくて、もくもくと頬張っていると久秀殿に「お主は本当に美味しそうに食べるな〜。我輩も作った甲斐があるものだ」と頬をつつかれた。
久秀殿に猿楽に連れて行かれた事もある。内容が全て理解出来たわけではないが、見ている分には楽しめた。更に、見事な生け花を作り出すかと思えば和歌も詠み医学の知識まである。芸術と学問に関しては何でもござれの教養人だった。
このように、久秀殿は私とは全く正反対の人間だった。
本圀寺に居た時は他にも人が居たから久秀殿と接する機会が殆ど無かったけど、多聞山城に来てからはぐっと距離が縮まった気がする。これまでの数ヶ月間、私なりに久秀殿を観察した結果が大体こんな感じだ。
そして私は今、女中が用意してくれたかき氷を久秀殿に渡しに行く所。ご丁寧に器は2個あり、もちろん私と久秀殿の分だ。
「久秀殿、おりますか?」
お盆を持ちながら襖の奥へ声を掛けるが返事はない。このままでは暑さで折角の氷が溶けてしまう。私はお盆を片手に持ち替え、襖を静かに開けた。
「……あれ?」
しかし久秀殿の姿は無かった。失礼とは思いつつ室に上がり込むと、あちこちに本が散らばっており机の上にも書きかけの書物が置いてあった。
そういえば、久秀殿は本も書いていると耳にしたことがある。どんな本を書いているのだろう、と机の脇にお盆を置き、書を手に取って読んでみる。
だがそこに書かれている単語の羅列は、私が目にしていいものとは到底思えない内容だった。
……た、た、玉茎って、男性のアレだよね。交合って……、精汁って……!
そんな……、こ、この内容はまさに男女の、そのようなアレじゃないか。読めば読むほど自分の顔がじりじりと熱くなるのを感じるのだが、私にとってはとても刺激のある内容で、いけないと思いつつもつい目で追ってしまう。
久秀殿は前々から助平な人とは思っていたが、まさか本を書く程とは思わなかった。
「な〜にしとるんだぁ〜?」
「ひゃあああああいっ!!」
急に耳元で声を掛けられた私は驚いて飛び跳ね、手に持っていた本を落とした。今まで生きてきた中で一番驚いたのではないかというくらい心臓が激しく脈を打ち、顔が一気に熱くなって涙目になる。
振り向けばそこにはにたにたと笑って私の様子を伺う久秀殿が居た。
「お主もこういう事に興味があるのだな〜。我輩と試してみるか? んん〜?」
「し、し、しません! 何言って……!」
「耳まで真っ赤にして初い奴だな。経験ないのか? ん? どうなんだ〜? そこんとこ我輩はぜひ聞きたいものだなあ〜」
腕を組んでじろじろと私の顔を楽しそうに見てくるが、私は恥ずかしくて久秀殿と目が合わせられず、話題を逸らそうとかき氷を指差した。
「言う必要ありません! もう、そんな事よりかき氷持ってきたんで、勝手に食べて下さい!」
「まあ待て。別にただの趣味で書いたわけではないぞ? いわば生命の神秘の書だ。ついでに淫事に夢中になって体を壊さぬよう、我輩が兵共の健康管理の為にだな」
「え……そうなんですか?」
そう言われて再び本に目を移し、今度はしっかりと一文一文を読み進めていく。やっぱり少し恥ずかしくなってしまうが、確かに年齢ごとの回数や、女性の気持ちを重視する旨などが書かれていた。
「これはまだ書き途中でな。"誰か"が手伝ってくれれば捗るんだがな〜?」
「……へー……」
「あ〜どこかにおらんかな〜? 我輩と生命の神秘について熱く語れる若くて可愛いぴちぴちの"誰か"が!」
「……そですねー……」
「いい加減気付けよ〜、名前ってば鈍いんだから!」
「わかってて応じない事にも気付いてくださいよ、久秀殿ってば鈍いんですから!」
私が溶けかけのかき氷を差し出すと久秀殿はそれを受け取って腰を落とし、私にも座るように促した。ゆっくりと私も畳に座り、かき氷に匙を突き刺す。冷たい氷で熱に浮かされたその頭を冷やして欲しいものだ。
「この氷と名前、どちらが冷たいかな」
「比べるのが間違いですよ」
かき氷を口に運べばしゃり、という歯ざわりのいい音と共に冷たさが口内に広がる。上にかけられた蜜のほのかな甘味に顔がほころび、一口食べるごとに夏の暑さに負けそうだった体が元気を取り戻していった。
「ところで名前。夜は外に出る用事があるのでな、お主も用意しておけ」
「何処かに行かれるのですか?」
「むふふ、それはまだ秘密よ〜」
久秀殿が目的地を言わずに私を連れ出す時は、大抵は驚かせてくれたり面白いものが待っている時だ。
今回もきっとそうなのだろうと、少しだけ楽しみになった。
夕暮れ時、久秀殿に言われた通り浴衣に着替えて自室で待つ。
襖越しに声を掛けられて居室から出れば、そこには紫の帯を巻いて暗灰色の浴衣に身を包む久秀殿の姿があった。
「おお、綺麗だぞ名前。このまま悪代官ごっこでもしたいくらいに」
「着た意味がないじゃないですか」
「脱がされる楽しみというのを教えてやらんとなあ?」
「宗矩殿あたりでお願いします」
「想像してしまったではないか、気色が悪い! とっとと行くぞ!」
言い出しっぺは久秀殿だろうに、と思いながら、機嫌を損ねてずんずんと進む久秀殿の後を追う。城から出てそのまま城下町へ行くと太鼓の音が聞こえてきた。
大通りに出ると、普段よりも外灯がたくさん付いており、提灯がずらりと空中にぶらさがっている。
男性は法被を着て腰から太鼓を提げてそれを叩きながら行進し、女性は鮮やかな浴衣を着て優雅に踊っていた。
「わあ、盆踊りですね!」
「お主はこういうのが好きそうよな。どうだ? 楽しいか?」
「はい! とってもワクワクします!」
「名前のそういう素直な所、我輩はだぁい好きだぞ〜」
大好き、と言われて少しドキッとする。久秀殿はいつもの軽い調子で言っただけなんだから深い意味はないだろうに。
私だけがこの空気に慣れられず、どうも歯がゆくてたまらないので久秀殿を盆踊りの輪に誘おうとして手を伸ばせば、慌てていたせいか久秀殿の手を握ってしまった。
「あっ……、その、私は共に踊ろうと思って……!」
「むふふ、お主も大胆になってきたな〜」
久秀殿は私の手を握り返してくる。その手の大きさと力の強さに、つい久秀殿を異性として意識してしまう。
手を離そうとするが、久秀殿は私と己の手の指を交互に絡ませてより密着させてくる。その手のひらから久秀殿の熱が綿密に伝わってきて、私の指先が少し震えた。
「この人の多さだ、はぐれんようにしっかり繋いでおれよ〜」
「いや、その、困ります……」
「我輩はそれが見たいのよ。だからこのままだ」
「うう……」
強く言われ、私は抵抗できなくなってしまった。二人の密着した手のひらの間に熱がこもり、じんわりと汗をかく。何だか羞恥心のようなものを感じる。久秀殿は私の困った様子を楽しむのが好きなようで、やっぱり意地悪だ。
「さて、川辺に行くぞ」
「何かあるのですか?」
「それは見てのお楽しみだ」
ほくそ笑む久秀殿に手を繋がれたまま、私達は川の方へ歩いて行った。
一緒に歩いていると周りの人達の視線が繋がれた手に集中しているみたいで、私は気が気でなかった。
大きな川の傍まで来ると灯りは殆どなく、隣に居る久秀殿の顔がやっと見れるくらいだ。草むらからは鈴虫の鳴き声がして、さらさらと流れる川のせせらぎに心が落ち着く。
周りにはたくさんの人がおり、川原の前に立っている三尺程の竹筒を抱えた男達を今か今かと心待ちにして見ている。
これから何が起こるのだろうと心を躍らせながら私も待っていると、竹筒の下から出ている導火線に火が付けられた。じりじりと迫る導火線がやがて筒まで到達すると、大きな音と共に竹筒の先から勢い良く火花が噴出された。
上へ吹き上がる火花はやがて土砂降りの雨のように川原と竹筒を抱えた男達に降り注ぐ。宵闇に輝く火の粉の美しさに、私は感嘆の声を上げた。
「これは手筒花火と言ってな。火薬はこういう使い道もあるのよ〜」
「初めて見ました! 桜や梅とは違い、火の花もまた美しいものですね!」
「そらそうよ。一瞬で燃え尽きるからこそ美しい。人の生もまた花火の様なものだな」
「久秀殿の場合、"花火"というより"爆発"って感じですけどね」
くすくすと笑っていると、久秀殿は繋いだ手を少しゆるませて指先で私の手のひらをくすぐり始めた。
そのこそばゆい感覚に驚き手を離そうとするが、反対側の手でしっかりと手首を掴まれていてそれは叶わなかった。
「あはっ、ちょっ、待っ……ひゃっ! やめて下さいっ」
「良い声で啼くではないか。ほれ〜、むずむずするだろ〜」
「わ、わかってるなら……くふっ、やめて、下さいよ! ちょっ、もうっ!」
私はくすぐりをやめない久秀殿の指先をギュッと握って力を込める。
「あ痛たたた! 指がもげる〜!」
「そんなに怪力じゃありません!」
「爪が食い込んでおる、爪が!」
何度もイタズラされてきているんだ、ちょっとくらいやり返してもいいだろう。
私は指を掴んだまま久秀殿の慌て顔を楽しんでいると、少し遠くから女性の声が耳に入ってきた。
「見て、あそこの恋人。可愛いわね〜」
「年の差ってやつかしら、微笑ましいわ」
「うちの人もあれくらい構ってくれれば良いんだけどねー」
年の差がある恋人なんて周りにはどこにも居ない。つまり、きっと、多分、おおよそ、紛れもなく、私達の事だ。
私は顔を真赤にして久秀殿の手を離すと、久秀殿は再び私の手を握った。いつにも増して楽しげな表情で私の顔を覗き込んでくる。私は恥ずかしくて視線を合わせられず、空いている手を顔の近くに寄せて口元を隠しながら目を泳がせた。
「そろそろ城に戻るか? 我輩のかわい〜い恋人ちゃん?」
「こ、恋人ではないけど戻ります……!」
私の気持ちを察してか、久秀殿は帰城を提案してくれた。
もしかしたら、私が久秀殿の事を分かってきたように、久秀殿も私の事を分かってきているのかもしれない。
……なんて自意識過剰な事を考えながら、私は隣を歩く久秀殿に繋がれた手の温もりに安心感を覚えていた。
(20161101)
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Smotherd mate