金ヶ崎撤退戦 二
まさか最初にここまで到達したのがお市様だなんて私は運が悪すぎる。秀吉殿には後で一喝してやらねば。
「いきますよ、名前!」
すぐさまお市様の隊と交戦状態に入り、私はお市様を守るようにして囲う侍女たちを峰打ちしていく。こういう時に宗矩殿のように不殺の剣を扱えればいいのだが、力がある彼だからこそ成せる技だ。
やがてお市様の姿が見え始めると迷うこと無く私に向かって武器を振り回してきた。それを刀で乱雑に弾き、距離を置いて説得を試みる。
「周りをご覧下さいお市様! 既にあなたの仲間は戦える状態ではありません! ここは退いて下さい!」
「くっ……」
お市様の周りには傷付いた侍女達が膝を付いたり倒れ込んだりと見る方も辛くなる有り様だ。私は兵達に刀を収めるように伝える。これ以上はやりようがない。
「情けを掛けるというのですか……!」
お市様は歯を食いしばり、悔しそうな表情を浮かべた。このまま捕らえてしまうのは容易いが、信長様の前へ引っ張り出せばどうなるだろうか。命を奪うまではいかずとも、二度と愛する人の元へは戻れないだろう。何よりお市様にはこのような所で命を落として欲しくない。
「ええ。お市様だけでなく、長政殿の為にも」
そう返すとお市様はハッとして、侍女達に退却命令を出した。『長政殿の為』という言葉が響いたのか、それ以上の戦闘は避けてくれたようだ。
私達は退くお市様達の姿が見えなくなってから、他場所で戦っている仲間の方へ向かった。これから先も、こうしてお市様と対峙する時が必ず来るだろう。そしていつかは倒さなければならない。
この乱世では昨日の友が今日の敵になるのはよくある事だ。それは十分わかっている。
「わかっているけど、やっぱり辛いな……」
自分の甘さを自嘲するように吐き出した言葉は、静かに暗闇の中へ溶けていった。
更に後方へ戻るように駆けていくと、暗闇の中を灯籠と松明で照らしつつ敵を迎え撃っている半兵衛殿を発見した。兵達の背後で指揮を取っているようだ。
自分の隊に止まるよう指示し、私は単身で半兵衛殿の元へ駆け寄った。
「半兵衛殿! お助けに参りました!」
「助かるよ〜名前さん。……あれ? 久秀さんは居ないんだね」
「信長様に先導役を任されてますから」
「あ、そっか。で、名前さんは一緒に居なくて良いの?」
「良いんです!」
綺麗な笑顔でそう問われ、私は眉間に皺を寄せた。わかってて聞いてくるのだから反応に困る。半兵衛殿こそ軍師なのに、敵兵とこんなに間近で戦っていて良いのだろうか。
そんな心配もよそに、どうやら半兵衛殿は敵方が我々が援軍に駆け付けたことに気付いていないことをこれ幸いに思っているようだ。
「今、龍興様の軍と交戦中なんだよね」
斎藤龍興は濃姫様の甥だ。若干14歳にして家督を継ぐも家臣が付いてこず、酒と女に溺れて政務を怠り、家臣の半兵衛殿に十数名で城を落とされたという話は私も知っている。
その知謀を見抜いた秀吉殿は半兵衛殿に『織田の力になって欲しい』と誘い、半兵衛殿は信長様ではなく秀吉殿に仕えるという形で織田に来てくれた。
そして信長様は美濃を手中に収め、斎藤家は滅亡。龍興は何処かへ消えていったらしいが、まさか朝倉軍に加勢していたとは。
「でさ、俺の策に乗ってくれない?」
「はい。構いませんよ」
私は二つ返事で了承し、半兵衛殿の策に耳を傾けた。
半兵衛殿は兵を掻き分けるように前に出て龍興の視界に入り込む。
「久し振りだね〜龍興様」
「半兵衛、貴様! おのれ、斎藤を見捨て織田に付いた裏切り者め! 貴様の首はわしが獲ってやる!」
半兵衛殿の姿を捉えるやいなや、憤怒する龍興は猛々しく刀を振り上げた。半兵衛殿も手に持った羅針盤を盾のように構え、戦闘態勢に入る。
「無理だよ、龍興様じゃ。よくここまで兵を集められたな〜って感心はするけど、もしかして酒と色で釣ったの?」
「くっ……皆の衆、あの減らず口の裏切り者を狙え!」
龍興の言葉に、兵達が一斉に半兵衛に狙いを定めて襲い掛かってくるが、もちろん傍の兵がそれらを阻止する。少しずつ後退しながら龍興の軍との距離を一定に保つ。自分達が優勢と思っている龍興達はどんどん攻め込んで来るが、一人として半兵衛殿の兵を倒せずにいた。
「今だよ、名前さん!」
大分敵を誘い出したであろう時、半兵衛殿が合図を出すと、龍興軍の両側に潜んでいた私の隊が、敵兵を囲むようにして飛び出す。龍興軍は私と半兵衛殿率いる兵によってぐるりと円状に囲まれて逃げ場を失った。
「これぞ、縮小版十面埋伏の陣なり〜。んー、ちょっと兵が足りないから八面くらいかも」
「な、何ぃッ!?」
ようやく自分の置かれた状況に気付いたのか龍興は驚愕の声を上げた。
半兵衛殿とまだ敵対関係にあった頃の織田軍が、美濃を攻めた時に受けた計をそのまま元主君に使っている。それに気付かなかったのは、やはり当時から変わらぬまま龍興が将として未熟だからだろう。
そのまま私と半兵衛殿の隊の猛攻が始まり、少しずつ囲みが狭められていく。私達は円の中心に迫るように戦えばいいが、対する龍興達はどこから命を狙われるかわからず気が気でない。龍興は戦いに集中出来ないまま半ば呆然とし、彼の仲間達は続々と刀で斬られていく。次第に中央に居た龍興の姿が前面に押し出されてくると、半兵衛殿が一歩前へ出て憐れみながら口を開いた。
「変わってないね龍興様。すぐカッとなるところも、弱い所も」
「半兵衛、貴様はいつもそうだ! 知略に長けているのを良い事に人を見下し優越感に浸る!」
生意気な元家臣と駄目な元主君の言い合いは、久秀殿と三好三人衆を彷彿とさせた。しかし半兵衛殿は久秀殿と違って理路整然としていて清廉潔白な御仁だ。その知を己の我を通す為に使うことをしない。
「あれ、図星突かれて怒っちゃった? 龍興様ってば本当に単純だね〜修行が足りないよ」
けど相手を煽るような物言いが玉に瑕だと思う。それに乗る相手も相手だが。
「黙れ! わしは昔からそんな貴様が大嫌いだった!」
――龍興は口の減らない半兵衛殿に向けて刀を振るうが、その力任せな一閃を受け止めたのは他でもない私の刀だった。刃と刃がぶつかり合い、鋭い金属音が辺りに響いた。
『大嫌いだった』……その言葉を受けた瞬間、半兵衛殿の動きが少し鈍ったように見え、私は危険を察知して半兵衛殿の前に飛び出していた。
感情に任せて武器を振るうのもこの男が未熟である証拠に他ならないが、それよりも私の心に深く突き刺さったのはたった一言の罵りだった。私は我慢できず、鍔迫り合いをする龍興に向けて言葉を発する。
「あなたは憎むべき相手を間違っています。この策を打ったのは半兵衛殿ですが、嵌ったのはあなたが愚かだからです! 誰かを非難すれば皆があなたに道を譲ってくれると思わないでください!」
「なっ、……生意気な女め! 刀の錆にしてくれる!」
龍興が力任せに私をのけようとしたその時、後方から織田の援軍が続々と到着した。どうやら秀吉殿達のようだ。それを見た龍興は流石に敵わないと思ったのか、額から汗を流して一歩下がる。
「龍興様、道が開けました! 早くお逃げ下さい!」
「くそっ……、くそっ! 貴様ら、覚えておれ!」
配下の兵が命懸けで切り開いた道、そこに倒れている兵の亡骸を踏み越えながら龍興は戦線離脱を始めた。敵が去って行くと、秀吉殿が半兵衛殿の肩をガシッと掴み心配そうに顔を覗き込んだ。
「半兵衛、無事か! 危ないマネしおって!」
「この通りピンピンしてますよ。名前さんが守ってくれたお陰で」
「そうじゃのうて、軍師がそんなに前へ出たらいかん!」
「んー、でも、龍興様は俺が倒さなきゃ、って思って」
その言葉に私も秀吉殿も閉口した。
龍興は横暴で我儘だが、あれでも半兵衛殿の元主君。何も考えず対峙したわけではないのはわかる。半兵衛殿なりの"けじめ"というものを付けたかったのかもしれない。
「そうだ、秀吉殿。お市様が朽木領の近くに居たのですが、なんとか退いて貰いましたよ」
「おお、名前ならやってくれると思っとったぞ! 助かる!」
ぎく、という焦った表情を見せながら私に感謝の意を伝える秀吉殿に、何かしら一言物申してやりたいと思ったが、半兵衛殿が丁度割って入る。
「きっと名前さんにしか出来なかったよ。織田への恨みをこれ以上重くさせないで退却させるのは」
「そうじゃな! 半兵衛の言う通りじゃ!」
半兵衛殿の助け舟にすかさず秀吉殿も乗っかり2人して私を持ち上げる。終わったことをぐちぐち言っても仕方ない、私は2人の言葉を前向きに受け止めることにした。
「まあ良いですけどね。半兵衛殿もこのまま退却なさって下さい、顔色が優れませんよ」
「そうじゃ半兵衛、ここはわしらに任せて下がれ!」
「あのね、秀吉様。軍師は主君の側に居るものなんです。全員を無事に退却させる事が、軍師である俺の務めですから」
未だ織田の背後を狙う浅井・朝倉連合軍の勢いは全く止まる気配が無い。まだ逃げ切れていない重臣の方々がおられる。そこには信長様のご子息、信忠様も命をかけて戦っていらっしゃるのだ。
結局秀吉殿が折れ、此処からは二手に分かれる事になった。お二人は信忠様と丹羽殿の援軍に、私は榊原殿と光秀殿の援軍に向かう。
「ありゃ? そういや名前、松永殿がおらんようじゃが」
「もう、秀吉殿まで! あの人は信長様に先導を任されているんですってば!」
「な、何を怒っとるんさ……半兵衛、わしは何か言ったか?」
「ほら秀吉様。お尻を叩かれる前に退散退散」
半兵衛殿が秀吉殿の背を押しながら奥へと進んで行ってしまった。……そんなに私は久秀殿との組み合わせの印象が強いのだろうか。けれど今は、素直に喜べない。この現状を招いたのは久秀殿だと思うと、そして目付役としての任を全うできなかった私のせいだと思うと、……今は兎に角全員を無事に脱出させねばならないという意地が私の心を満たしていた。
数刻後、私は光秀殿の隊と合流。どうやら敵は秀吉殿達の方面に集中しているらしく手薄だった。私は重臣の榊原殿を見つけ、代わりに戦線に立つので退却して頂くように申し上げると礼を言って馬に乗り駆けて行った。
「名前がこちらへ来てくれたという事は、信長様はご無事なのですね」
「はい、今は朽木領を抜けて京まで下っているはずです」
光秀殿は私の言葉を聞くと少し安心したような表情をしたが、何かに気付いたかのようにハッとすると私の肩を掴んだ。
「名前、危ない!」
「っ!!」
そう叫ぶやいなや私を強く引っ張ると反対に光秀殿が前へ踏み出た。私の背後から斬り付けてきた者の刀と光秀殿の刀がぶつかり合い、互いを反発するように弾く。急襲してきた敵は大きく後ろへ跳んで体勢を整え、私もすぐさま鞘から刀を抜いて構えを取る。
「浅井家家臣、藤堂高虎! あんたら全員、ここで果てて貰う!」
高虎殿の大きな声で発した言葉からは尋常ではない強い意志を感じた。三好衆に本圀寺を攻められた時は共に戦った仲間が、今は己の主君の為、私達に刀を向けている。私を本気で斬るつもりなのだろう。
高虎殿とは反対方向から砂利を踏みしめる音がし、目をやれば――采配を握り、白い装束をまとい、帽子を目深に被っている男が現れた。
「浅井の将、大谷吉継。織田追撃の命を受け、参上」
見事に挟み撃ちを食らったようだ。私と光秀殿は背中を合わせてそれぞれの敵と向かい合うと、光秀殿は前を見据えたまま私だけに聞こえるような声量で言った。
「私はあの男を、名前はそちらをお願いします」
「はい!」
私の相手は真正面に居る高虎殿だ。光秀殿とほぼ同時に駆け出し、各々の敵と武器を交える。
「あんたの実直な戦いぶりが、いつか自らの命を落とすと言ったはずだ」
「本圀寺の時に助けて下さった命を、今度は奪うというのですか?」
「確かに俺もそれは望んでいない。あんたの力は認めている。だから俺はあんたを捕らえて浅井家に降らさせる!」
高虎殿にしては割りと慈悲のある考えなのだろうが、何故そうなった、とも突っ込みたい気持ちに駆られた。しかし私は例え捕らえられようとも浅井に仕えるつもりは無い。
こちらへ踏み出した高虎殿の、決意と忠誠心が鋭い刃となって秋雨のように降り注ぐ。その刃を全て受け止めきれず、私は体の中心のみを守るように弾きそれ以外は目もくれないようにした。受けきれなかった刃先がかまいたちのように私の肩や腕を斬り付けていく。着物が破れて血が滲む。痛みを感じる余裕もなく攻めてこられ、このままでは押し切られてしまう。
高虎殿の思い通りになるのは嫌だ。
織田家から切り離されるのは御免こうむる。
それにあの人にもまだ、文句を言い足りない。
「どうした、動きが鈍くなってきたぞ!」
「あっ……!」
ギン、という鈍い音が響くと同時に刀が私の手から離れて宙を舞い、後方に勢い良く飛ばされて地に突き刺さった。――しまった……! 余計な事を考えていたせいだ……。慌てて脇差を抜くが少々心許なく感じる。光秀殿はもう片方の相手で手一杯で助けに来れるはずもない。
脇差を握る手が震えている。情けない。
「このまま捕らえさせて貰う!」
それでも容赦なく高虎殿は私に向かって刀を振り下ろし――まずい、反応が遅れた――遠くで私の名を呼ぶ光秀殿の声が聞こえた気がする。脇差で受けようと両手で構えるが、高虎殿の剛気さに押されて思わず目を瞑る。重い金属的な衝撃音が辺り一面に響いた。……しかしそれは私が受けたものではなかった。
一体何が起こったのかとゆっくり目を開くと、私の目の前に真っ先に入ってきたのは――大きな蜘蛛があしらわれた、広い背中だった。
「むっふふぅ、悪党推参!」
そ、そんな……嘘だ!……信じられない……。
だって、この人は先導役として信長様とともに京へ向かっていたはずだ。此処に来るはずがない、現れるはずがないのに。
けれどそれよりも認めがたいのは、憎んでいた男に助けられた事ではなく、この見慣れた背中を視認した途端に胸の奥から湧き上がる喜びの感情だった。
(20161206)
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