幕間小咄 十
信長様に追い付くべく、私と久秀殿はただ必死に京へ向かって馬を走らせた。兎にも角にも信長様の下へ急いで戻らなければ、先導役を命じられた久秀殿は――……いや多分、許されるだろう。
ようやく信長様のお供が見えたので、敵と間違われぬよう名乗りながら近付く。お供の者は私達に気付くとすぐに信長様の陣幕へ案内してくれた。丁度ご休憩されていたようだ。
信長様の前に跪き、金ヶ崎での事を報告する。久秀殿は特に何も言わず私の後方に立っていた。
「信長様、後方の敵はあらかた退けました。残る長政殿の軍勢は秀吉殿の隊が応戦しております」
「ご苦労、名前。次は久秀と共に先導役を命ずる」
「はっ!」
いよいよ私まで先導役に命じられてしまった。仕方ない、これも久秀殿の目付役としての任だ。
陣幕を出て青鳥を預かってくれていた兵に声を掛ける。青鳥は私を見るやいなや耳をピクリと反応させて尻尾を高く振った。
「私と走りたかった? よしよし、これからは一緒に行こうね」
青鳥の艶やかな黒毛を撫でる。
「我輩も一緒だぞ〜むっふふぅ!」
後ろから気色の悪い声で話しかけてくるのは言わずもがな、あの悪党。というか何故この男は信長様から一言も叱責を喰らわなかったのか。
「我輩という悪はどこにでもおる。影のようにな」
「影武者ですか? しかし宗矩殿では身長が……」
「背の話はやめい! お主、果心居士の名は覚えておるか〜?」
果心居士とは、以前久秀殿が言っていた幻術士だ。何でも亡くなった奥方に化けた事があるとかないとか。各地へ旅しているらしく、今回も朽木領付近でたまたま見かけ、先導を宗矩殿と幻術士に任せたという。何とも都合よく居たものだ。
「あなたって何でもありですね」
「狡賢い悪こそ世に憚るものよ〜」
信長様が騙されてしまう程の幻術士か、一度見てみたい気もする。久秀殿が戻ってきたので去ってしまったようだけど、またいつか久秀殿の悪巧みに付き合わされるんだろうな。
半刻ほど休憩を取ってから、私と久秀殿は京への道を馬に乗って駆けて行く。しばらく走っていると久秀殿が急に馬を止めたので、慌てて私も静止する。
「どうしましたか?」
「名前、信長様を呼んで来てくれんか」
「へ? 何故ですか?」
「事態は一刻を争うぞ! さあ早く〜!」
理由を話さない久秀殿に疑問を抱きつつ、その切迫した様子を見て、私は青鳥を転回させた。もしかしたら私には言えない事だろうか、わからないけど今はとりあえず信長様をお呼びすることにしよう。
来た道を戻るように、私は信長様の元へ青鳥を走らせた。
***
「……見つけたぞ、これは使える」
名前の姿が見えなくなった後、久秀は馬から降りて数歩先にある大きな穴に近付いた。まじまじと見つめて嬉しそうに口端を歪める。
その大きな穴は以前、久秀が信長の為に掘った落とし穴だった。この穴があるということは、京はもう目前ということでもある。
「信長がすっぽり入る良い穴ですね〜!」
暗闇のせいか名前は気付かなかったようだ。好機とばかりに久秀は持っていた爆弾の筒を解体して中の火薬を穴に放り込む。
「そこに火薬をぶち込みますっ!」
本圀寺の釣り鐘の時と同じように悪知恵を働かせる久秀。この穴に信長を突き落とせば今度こそ自分の天下がやってくると思っている様子だ。
少しして名前が信長を連れてやって来た。待ってましたと言わんばかりに久秀は薄っぺらい笑顔を作り、信長に先に行くように促す。
「信長様、もうすぐ京へ着くでしょう。我輩達はここで追手を食い止めますので、お先に……」
「久秀、先に行け。うぬに先導役を命じたはず」
「はっ、ですがその、京は目の前ゆえ先導の必要もないかと」
久秀の不自然な返答に名前は苦笑を浮かべた。久秀が何を企んでいるのか大方気付いているのだろう。
「先に行け。予の命が聞けぬか?」
「…………」
ついに久秀は言葉を失った。すると信長は久秀の背中を押し始めた。それもすごい力で。
「あ、そんな……ダメッ!」
久秀は足をくの字にして穴の手前でなんとか踏ん張り続ける。落ちそうでなかなか落ちない久秀に業を煮やした信長は、その光景を呆れながら眺めていた名前に声を掛けた。
「名前、久秀を押せ」
「はっ!」
名を呼ばれた名前はハッとして、信長と共に久秀の背を押した。流石に二人分の力には勝てず、久秀は足を滑らせて穴の中へ落ち――る瞬間、咄嗟に腕を伸ばして名前を掴んだ。突然の事に均衡を失った名前は久秀の体重を支えきれず、また振りほどく事も出来なかった。
「我輩達の運命は共にあり――っ!」
「ちょっ、離してくだ……あああ――ッ!!」
そのまま名前と久秀は、悲鳴を上げながら穴に落ちていった。
大きめの爆発音が轟き、爆煙が吹き上がる穴の底に向かって信長は呟いた。
「久秀、この信長を謀り、屠らんとしたか」
やかましいわい、と久秀は歯を食いしばる。
「名前、久秀の無価値な謀り、見抜けずか」
あーまたこの流れか、と名前は眉間に皺を寄せる。
「くっくっく。……許す」
そう言って、信長は陣幕へ戻って行った。
***
久秀殿に腕を引っ張られ、無理やり私まで爆風を浴びせられた穴の中は快適とは程遠い空間だ。
今の体勢は非常に窮屈で仕方ない。久秀殿は嫌味ったらしくも親切に私の下敷きになり、爆発を極力浴びせないよう抱き締めている。いつもの元気があればこの男の腕などさっさと振りほどいて穴から脱出するところだが、あちこちの援護やら高虎殿との交戦やらで疲れきった体にこの粗末な罠……もう無駄な労力は使いたくないし、動きたくもない。
「……ホント、いい加減にしてくださいよ」
「本当よな〜! 我輩、嫌んなっちゃう!」
「それは私の台詞です!」
全く、どうしてこう下らないことばかり考えるのだろうか。しかも大体私まで巻き添えになっている。今回は予測していたにもかかわらずこのような結果になったのは、まだツメが甘かったのだろう。
「どうせまたこんな事だろうと、あなたに命令された後に忍び寄って陰から見てましたよ……」
「なにい〜? そんなに我輩と離れたくなかったのか〜!?」
「違います!」
どこまでも前向きにとらえる久秀殿を否定する。どちらかと言うと離れたい。久秀殿と居るとろくな事がない。
「もう、そろそろ離してください!」
爆風も爆煙も収まったというのに、久秀殿は私の頭と背中から腕を離そうとしない。この男の胸元にずっと頭を押し当てられている状態なのも、いかんせん心臓が落ち着かない。
「我輩、もう少し名前とこうして居たいの」
「あなたが可愛く言っても気持ち悪いだけです」
いつもと同じように辛辣な言葉を浴びせる。それでも更にふざけた言葉を返してくるのが久秀殿なのだが、何故か今は何も言ってこない。
「……忘れたのか?」
「えっ?」
唐突な低音。久秀殿の真面目な口調に思わず声が漏れた。
「我輩の名を忘れたか、と聞いておる」
「そんな事は……」
やはり気付いていたようだ。久秀殿は鋭いお方だから、些細な変化にも容易に感付く。
だから、私が意図的に『久秀殿の名を呼んでいなかった』事にも早い段階で気付いていたのだろう。
「なら名を呼べ。お主にも誰にでもあるように、我輩にも我輩だけの名がある」
「…………久秀、殿」
「それで良い」
納得したのか、久秀殿の口調が少し柔らかくなったと同時に私を固定していた腕の力を弱めた。
「叱咤も平手打ちも結構。だが名前よ、お主に名を呼ばれぬ事が、ここまで堪えるとは我輩とて思わなかった」
そうはっきり言われると、自分がとんでもなく悪い事をしていたような気にさせられる。久秀殿の方がよっぽど悪質な裏切りをしでかしたというのに。
……情にほだされてはいけない。私の体の下で同じく熱を持ち、心音が混ざり合うこの男は、やはり悪人に他ならないのだ。
私の主を、命の恩人を殺そうとする男の言う事などそう簡単に受け入れてはいけない。そうやって突っぱねようとする度に自分の心がギュッと締め付けられる気がした。
「私とて、久秀殿に裏切られた時は……」
「我輩、名前の事は裏切ってないもん」
「は、はあ!? 何をおっしゃいますか!」
「『思うは勝手』とは言った。後はお主が勝手に決めつけただけよ」
久秀殿が小谷城に単身で行き、長政殿をたきつけた時の事を思い返す。
あの時、私が久秀殿に言った言葉は……、
――私までも裏切ったのですか……?
――思うは勝手よ。さりとて我輩は己の運命に従うまでだ。
……成程、あの言葉はそういう意味だったのか。しかしこれは誤解しても仕方ないと思う。
という事は、久秀殿は私を裏切ったわけではなかった……いやいや、何を言っているんだ私は。信長様を裏切っている時点で私や光秀殿含む、織田全体を裏切っているのと同じなんだ。
しかしどこか安心している自分と、やっぱり許してはいけないという自分の心がぶつかり合う。
「宜しいですか、久秀殿」
「むう?」
久秀殿の胸元に両手を置いて上体だけ起こす。端から見ればまるで私がこの男を押し倒しているように見えるだろう。しかしここは狭い穴の中だ、他に見ている者も聞いている者も居ない。
「私があなたの件を報告しなかったのは、あなたに悪人のまま死んで欲しくないからです。『しでかした』ではなく『成し遂げた』と誉れになる事をして欲しいと思っています」
根っからの悪人に何を甘っちょろい言葉を吐いているのか。だが、何とも思われようとも構わない。私は自分の心を貫く。
「小豆袋に鉛玉を仕込んだお主もよく成し遂げたものよな〜」
「はて、何のことでしょうか?」
どうやら宗矩殿が話していたらしい。もちろん久秀殿はお市様の小豆袋に入っていた鉛玉の真意に真っ先に気付いたようだが、私は首を傾げてとぼける。
「しらばっくれるか? ならば仕置きが必要のようだな〜!」
久秀殿が私の頭を両手でガッと押さえるやいなや自分の顔に近付けようとする。咄嗟に、久秀殿の胸元に当てていた腕に力を込めて抵抗する。
「ちょっ、何をなさるのですか」
「知れたこと、お主の口を吸うたるのよ! 観念しろ〜!」
「やっ、やめてくださっ、うわっ、いやっ」
「ほれほれ〜、あと少しだぞ〜?」
必死に抵抗してはいるが、やはり力で敵うわけがなく少しずつ久秀殿と顔が近付いていく。雰囲気など全然ない。こんなのは嫌だ――と、全力で抗っていると、背中側に何かが通されたような感覚がした。急に久秀殿との距離が空いたかと思えば、私は宙ぶらりんの状態になっていた。
「全く、懲りないねェお宅らは」
背後から聞き覚えのある声がしたので首だけ振り向くと、穴の上で仁王立ちしている宗矩殿がこちらを覗き込んでいた。足元にはご自慢の長い大太刀があり、それを私の着物に通して柄の部分を踏み、私を久秀殿の魔の手から解放してくれたようだ。そのまま穴の外まで上げて貰い、ようやく穴から出る事が出来た。それほど深くないとはいえ、宗矩殿の大太刀の長さと豪腕っぷりには感嘆の吐息を洩らしてしまう。
「誤解ですが助けて頂きありがとうございます!」
「名前殿が無事で良かったよォ。松永殿はそのままで良いかい?」
「良いわけがあるか! 全くお主はいつも我輩と名前の甘美な時間を邪魔しおって……」
穴の中で何か言っているが、私と宗矩殿は平然と無視を決め込む。
「仔細ありません。宗矩殿、私と共に先導役を務めて頂けませんか?」
「おじさんで良ければ喜んで」
「ありがとうございます、助かります」
「宗矩! 貴様! 早く我輩も助けんか!」
戦前の殺伐とした気持ちは互いに忘れ、私は宗矩殿と行動を共にすることにした。木に繋いであった久秀殿の馬に乗るように促すと、宗矩殿は遠慮なく馬に跨った。
「さァて、行こうか名前殿」
「はい。あ、信長様にも報告しなければ」
「コラ! ダメ! 我輩を置いてっちゃイヤ!」
穴の中から何か聞こえてくるが、多分気の所為だろう。大丈夫、人間はそう簡単に死にはしない。むしろこれが私からの仕置きですよ、久秀殿。宗矩殿は完全に悪乗りだろうけど。
こうして、信長様は無事に京まで帰還する事が出来た。約一名遅れて来たが元気そうだったので特に問題なし。
その後、光秀殿や家康殿、秀吉殿らも戻られたが、光秀殿は未だ長政殿の裏切りを信じられず、どこか気が抜けているようだった。
これからの方針は美濃に戻り軍勢を整えてから浅井・朝倉両軍を討伐する事に決まった。
浅井との戦、そう簡単に終わりを迎える事は出来ないだろう。
(20170202)
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Smotherd mate