幕間小咄 十一
姉川での戦いで、長い間共に戦場をくぐり抜けてきた刀が遂に折れてしまった。むしろ今までよく持ってくれたものだと思う。共に戦ってきた相棒に感謝をし、馴染みの鍛冶屋へ預け、新たな刀を作る為の材料にして貰う。
それから十日後。
新しい刀を引き取りに行こうと城下町を歩く。わいわいと雑多に賑わう町並みは、戦という言葉とは程遠い。信長様による天下布武で戦国乱世が終わりを迎えた時、日ノ本中が争いから解き放たれて笑顔で溢れるのだろうか。そうしたらきっと、私が刀を手にすることも無くなるのだろう。
「おお、名前ではないか。何しとるんだ?」
「名前殿も散歩かなァ。一緒に食べる?」
「久秀殿と宗矩殿」
茶屋の縁台に並んで腰を掛け、三色団子をむしゃむしゃ食べている彼らを見て思わず固まった。城で二人の姿を見かけないと思っていたらこんな所で出くわすなんて。久秀殿は咀嚼していた団子をごくんと飲み込み、串を振った。
「何か用事でもあるのか?」
「先の戦で刀が折れたので、馴染みの鍛冶屋へ注文していたんです。それを本日受け取りに」
「それはそれは、おじさんもぜひ見てみたいねェ」
「そうだの〜我輩もお主を虜にする刀を作る男を見てみたいものだな!」
二人の意見が一致すると、茶碗に入っていたお茶をぐいっと飲み干して縁台から立ち上がった。……彼らに出会った時点で、こうなるだろうとは思っていた。しかしそれは迷惑だの諦めだのという感情ではなく、日常茶飯事だとすんなり受け入れられるものだった。
「で、どこの刀工に頼んでるんだい?」
「孫六さんです」
「おお、孫六兼元と言えば我輩も知っているぞ。だが四代目で終わっているはずではないのか?」
「ええ、表向きは」
孫六兼元は、刀工として名高い一族だが、彼らの作刀期間は短い。私が知っている孫六は七代目で、今は町の外れで身内だけの注文を請けている。彼の存在を知っている人はほとんど居ない。
町の外れにある、看板も何も出ていない普通の一軒家。戸を叩いて声を掛けると、少しして中から人が出てきた。手拭いを頭に巻いて作務衣をしっかり着こなす三十半ばくらいの男性は、私を見ると「ちょうど良いときに来たな」と言った。
「孫六さん、注文していた刀はどうですか?」
「おう、出来てるぜ。これがお前さんの刀だ!」
預けていた鞘にしっかりと収まっている刀を受け取る。柄を握り、ゆっくりと刀を抜いた。
木目を思わせる柾目肌の鎬地、少しばかり白けた三本杉の刃紋、鋭く光る刃は、まるで斬れないものはないという言葉を投げかけてくるようだ。
「素晴らしい出来栄えです。ありがたき所存にございます!」
「良いってことよ! で、後ろの二人はどちら様だい?」
刀欲しさに紹介が遅れてしまったことを詫びながら久秀殿と宗矩殿を孫六さんに紹介する。すると孫六さんは「へえ、あの柳生のねぇ!」と驚きの声を上げた。やはり柳生の名は広く届いているようだ。
「いつか拙者も刀を作って欲しいものだねェ」
「任せてくんな。とっておきのを作ってやるよ!」
孫六さんは胸をとんと叩いて誇らしげに答えた。
私は刀の代金と手土産を孫六さんに渡して、仕事の邪魔をしてはならないので早めに鍛冶屋を出て行った。
用事を終え、城下町の方へ戻ろうとすると何やら前へ進まない。どうしたことかと振り向けば、宗矩殿が私の着物の襟首を掴んでいた。猫みたいに扱わないで頂きたい。
「お嬢ちゃん、早速刀の斬れ味を試しにいかないかい?」
「抜け駆けはずるいゾ宗矩。我輩の切れ味を名前にも味あわせてやりたいというに」
久秀殿だけ別の話をしている気がするので、あえて突っ込まないでおく。宗矩殿の話に耳を傾けてみれば、どうやら近辺に修行場があるらしい。
「あまり人が来ないからねェ。修行にはうってつけさァ」
「生命の神秘を語るにはうってつけよな。お主は外でも平気な方か?」
「では折角なので参りましょう、宗矩殿」
私は宗矩殿だけを視界に入れ、頷いた。目の前の大男はその巨体に似合わぬ優しい笑みを浮かべ、共に歩き出した。
「我輩のこと、無視しちゃイヤ!」
久秀殿が手刀を繰り広げながら私と宗矩殿の間に割って入り、それぞれの肩に手を置く。この人は一番年長のくせして、一番可愛げがあるかもしれない。
人里離れた森の奥へ進み、大きな滝が流れる滝壺までやって来た。周りにはこれまた大きな岩石がゴロゴロしている。よく見ると岩や木には無数の刀傷があった。根元から上が無い木もある。宗矩殿の言う通り、ここには色んな修行者が来るようだ。
するとちょうど修行をしていた一人の男が私達に気付き、珍しいものでも見付けたかのように近寄ってきた。いや、私達ではなく宗矩殿に視線を向けている。
「アンタ、柳生のおっさんじゃねえか!」
「おや、宮本殿じゃないかァ」
二人は互いの名を呼び合った。どうやら宗矩殿の知り合いらしい。
彼は宮本武蔵殿。宗矩殿と同じく剣豪で、人を活かす剣を極める旅の真っ最中。
宗矩殿は人を殺さない剣、武蔵殿は人を活かす剣、方向性は違えど目指す先は似ているものだろう。
「武蔵殿もここで修行をしてたのですか?」
「ああ、そうだ。見てろよ」
武蔵殿は川に転々としている岩に飛び乗り、すぐに滝の下まで行ってしまった。意外と身のこなしが軽いようだ。そして刀を構え、深く息を吸い込み――
「でやあッ!」
掛け声と共に刀を垂直に振り上げると、頭上を流れる大きな滝が真っ二つに縦に割れた。その割れ目は滝の天辺まで届き、奥のごつごつとした岩肌までもが見えた。
やがて滝の割れ目は少しずつ閉じていき、元の一本の滝へ戻った。やり切った武蔵殿は同じように岩を飛び乗ってこちらへ跳んで来る。
「どうだ、これが俺の剣の腕だ!」
「すごいです! まさか滝を斬るなんて!」
「本当にすごいねェ。臆面もなく剣の腕をひけらかすなんて、傲慢な武芸者の鑑だァ」
「柳生のおっさんにゃ出来ねえ芸当だろうな!」
宗矩殿の毒舌に、しかし武蔵殿は意にも介さず得意気に返した。何となく不穏な空気を察し、久秀殿に助けを求めようと視線を送ると嬉しそうに片目を瞑るだけで終わった。眼と眼で通じ合うなどやはり俗説だったか。
「おじさん達は滝を割りに来たわけじゃないからねェ。お嬢ちゃん、あの岩なんてどうだい?」
「いやいや、滝も岩も斬るものじゃないですよ!」
宗矩殿が一際大きな岩を指すものだから、驚いて手と首を横に振った。せっかく孫六さんに作ってもらったのにいきなり刃毀れしては困る。しかし宗矩殿の冗談ではなかったのか、真面目な顔で説明を始めた。
「いいかいお嬢ちゃん。刀には何でも斬れる"点"があるんだよォ」
「ああ。そして森羅万象全てには、斬れる"線"みてえなもんがある」
「て、点? 線?」
抽象的な言葉に理解が追い付かない。剣を極めた彼らにはきっと私には見えないものが視えているのだろう。
仕方なく刀を抜いて大岩と睨み合うが、振るうにはやはり勇気が足りない。すると目の前にあった大岩が綺麗に真っ二つに斬れた。私はまだ何もしていないし、武蔵殿と宗矩殿も刀を抜いた様子はない。
「そうすると綺麗に斬れるって事だよね、武蔵?」
「小次郎、てめえ!」
二つになった大岩の間から、スラリとした長身の男性が現れてこちらへ歩み寄ってくる。小次郎と呼ばれたその男性は白塗りに赤い紅がよく映え、なんとも美しい顔立ちをしている。この方も宗矩殿や武蔵殿と同じ剣豪のようだ。
滝を割ったり岩を斬ったり……私の周りの"剣豪"は常識外れで恐ろしい豪腕ばかりだ。
「やっと会えたね、武蔵。さあ、斬り合おうか」
「今は取り込み中だ。名前の修行の邪魔をするんじゃねえ!」
「誰、そのコ? 斬っても良い?」
「良いわけねえだろうが!」
じろりと視線が私に移る。彼の凍て付くような冷たい瞳に睨まれて、私は金縛りにあったように固まった。
すると、そんな緊張感をぶち壊す罵声が小次郎殿の向こうから聞こえてきた。
「居たぞ、あそこだ!」
「てめえ、よくも仲間を斬りやがったな!」
「生かしちゃおけねえ!」
見れば浪人達がこちらに向かって走っていた。ひしひしと殺意を感じる彼らの怒りに、武蔵殿は溜息を吐きながら小次郎殿に問い詰める。
「おい小次郎、アイツらに何しやがった!」
「やだなあ武蔵。ここに来る途中邪魔だったから、ちょっと斬ってあげただけだよ?」
『ちょっと斬ってあげただけ』って……それでは辻斬りと変わらないではないか。さも当然のように人斬りを肯定する彼の言葉にぞくりとした。
「ほれ、名前よ。斬れ味を試す機会だぞ?」
「物騒な事言いますね、久秀殿も」
浪人達は私や武蔵殿も小次郎殿の仲間と勘違いし、遠慮なく斬り掛かってきた。孫六さんが作ってくれた刀を握ると、これが私の新しい武器だと改めて認識する。
幾度となく刀を握り、振るい、刃を交え、敵を退けてきた。それでも私は人を斬る為に刀を握っているのではない。
……きっと、"生きる為"だ。
乱世を終わらせ天下統一、泰平の世を創り出す、などという夢を見るのは私の役目ではない。"今を生き抜く"ことが、信じる人の手足となって道を切り開くことこそが、私の運命だ。
「だから私は、こんな所で死ぬわけにはいかないんですよ!」
後ろから斬り掛かってきた刀を弾き、相手に刃先を向ける。正面の男――小次郎殿は、よもや私が彼の殺気を見抜くとは思わず、目を見張った。
「どういうつもりですか、小次郎殿」
「残念、このまま君も綺麗に斬ってあげようと思ったのに。名前、だっけ? 覚えておくよ」
小次郎殿はくすくす笑いながら、全く悪びれずにそう言った。褒められたと言えるのかはわからない。冗談にも聞こえず、仮にそうだとしても笑えない。
「困るの〜お主。我輩の名前を傷物にするのは許される事ではないぞ」
久秀殿が保護者面しながら手に持った鎌で小次郎殿を威嚇する。庇ってくれるのは嬉しいが、仲間割れをしている場合ではない。
だがいつの間にか浪人達は全員追い払われていて、異変に気づいた宗矩殿と武蔵殿がやって来た。
「お三方、穏やかじゃないねェ。おじさんも混ぜておくれよォ」
「下品な笑い声だ……可哀想に、僕が斬ってあげないと」
今度は不敵に笑う宗矩殿に、小次郎殿は剣先を突きつけながら言い放つ。この人にとっては「斬ってあげる」が挨拶代わりなのだろうけど、言われた側は喧嘩を売られたようにしか思えない。
「ねえ、武蔵もそう思わない?」
「いい加減にしろ、小次郎! 剣ってのはなぁ、そんなもんじゃねえんだよ!」
「場も弁えずそこかしこで刀を抜いてたら捕まっちゃうんだよ、僕ゥ」
ビリビリと肌を指すような空気に耐えきれず、私は少しずつ後退していった。申し訳ないが、後は宗矩殿と武蔵殿に任せよう。この二人ならなんとか出来るだろう。
小次郎殿の矛先が自分で無くなったことに安堵し、私は久秀殿と共に少し離れた木陰へ移動した。腰を下ろし、一息つきながら体の力を抜いた。
「久秀殿の傍が一番安全そうですね」
「買い被るな。我輩が一番危ない奴だぞ〜? それとも"でれ期"と言うやつか? 可愛いのう〜」
「ち、違います! そういう意味では……!」
普段は温厚そうな宗矩殿さえもあの調子なのだ。隣には居辛い。少なくともこの面子の中では、久秀殿が一番命の危険を感じない。……別の危険は感じるけど。
「滝も岩も斬れんでいい。お主はそのままで、我輩の隣におれば良いのよ」
これだけ幾度もぶつかり合っておきながら、そんな言葉……ずるいと思いませんか、久秀殿。
今の私をそのまま受け入れてくれる貴方は、どこまでも私と正反対の存在なのだから。
私は抜いた刀を鞘に戻し、背後の木にそっと身を預けた。
(20170601)
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Smotherd mate