幕間小咄 一
政務に追われて寺内をあちこち回っていると、襖からひょっこり顔を出した松永殿と目が合った。
「お〜い、名前、こちらへ」
「申し訳ありません、今忙しいので」
私は両手から零れそうな程の書物を抱え、松永殿に顔だけ向けて返事をした。するとつまらなそうな顔をして松永殿は部屋から出てくる。いや、来なくていいです。むしろ来ないで下さい。
「こんな下働きさせおって、他の者は何をしとるんだ?」
「私だけでなく他の皆も忙しいのです。何せ、次期将軍を奉じる為に各地で動きがあるものですから」
「それって暗に我輩のせいって言ってる〜?」
「自覚があるのなら、そうでしょうね」
「相変わらず冷たいな〜名前は。まあそういう所も我輩、好きだぞ〜」
私は眉間にしわを寄せて松永殿を睨んだ。
「そうやって人の事をからかって馬鹿にするのはいい加減にして下さい。あなたと話していると苛々します」
はっきりと、私は心中を告げた。
どうも私がこの男を好きになれない要因の一つはそれだった。
初めて会話をした時から今日に至るまで、彼が私を信長様の家臣として見たことは一度も無い。その辺に居る町娘にちょっかいを掛ける男のように軽々しく、それでいて無礼。
私とて一応信長様から石を与えられている武士。もう少しそれなりの尊厳というものを覚えて頂いても良いはずだ。
何とも不機嫌な面構えの私からようやく汲み取ったのか、けれどいつもの調子で松永殿は詫びた。
「すまんな、お主のように頑張っている者を見ると背を押したくなるのよ」
「背中を押すついでにこの荷物も持って下さるとありがた……って、」
何してるんですかと言う間もなく、松永殿は私の両腕から書物をさらっていってしまった。私の腕は大分軽くなり、ほとんど松永殿が持ってくれている状態だ。
「これを終えたら、我輩に付き合ってくれるか?」
「え……」
「古天明平蜘蛛。我輩の大〜好きな茶釜だ。それがやっと我輩の元に届いたからな、どうしてもお主に茶を振る舞いたいのよ」
それだけの為に私の仕事を手伝ってくれるというのか。でも何故だろう、素直に喜べないのは。
「それと、我輩はお主を馬鹿にしたつもりはこれっぽっちも無いぞ。可愛がってはおるがな〜」
少し考えた後、私は首を縦に振って了承した。
まさか以前話していた礼とやらの約束が生きているとは思わなかった。結局、私の言葉が届いたのかどうかは知らないが、少しばかりは考えを改めてくれたのかもしれない。そうでなければ、こうして私と雑務をする事など有り得ないだろうから。
決してこの男の入れる茶に負けたわけでは無い。決して。
「ようこそ、我が茶室へ」
書物の整理を共に終え、先ほど松永殿が首を出してきた部屋へ連れて来られた。六畳程の茶室の真中に囲炉裏があり、そこには松永殿の言っていた平蜘蛛茶釜が置いてある。それは蜘蛛が這うように平べったく、どこか趣を感じる茶釜だった。
最初に私に餅菓子を差し出したので、ありがたくそれを頂き、楊枝で小さく分けて口に入れる。甘い砂糖味が疲れた体に染み込み、もちもちと弾力性のある柔らかな食感に満足して笑みがこぼれる。
松永殿は慣れた手つきで茶を入れ始めた。茶入から抹茶を茶杓で救って茶碗に入れる。その茶入は私が拾った九十九髪茄子だった。大事に使っているみたいで安心する。
柄杓で茶釜から湯を救って椀に入れ、茶筅で規則的な動きでお茶を点てていく。その茶筅の扱いが綺麗でつい目を奪われていると、完成したらしく私にお茶を差し出した。
礼を言いながら受け取って口元へ運び……ふと手を止める。
「どうした? 飲まんのか?」
「……毒でも入っていたら怖いなあ、なんて」
失礼を承知で申し上げた。
何の疑いもなしに飲んでころりと毒殺、なんてあっけない人生の終わり方にも程がある。
なによりも私は、何故この男の作ったものを平気で口にしようとしたのだろうか。
「その慎重な心構えは是とするが、我輩は茶に対して不義は働かんぞ」
「……失礼しました」
今度こそ飲もうと口元へ持っていくと、松永殿は私から茶碗を奪った。そしてそれを一口、二口と己の口に流し込み、ごくりと喉を鳴らした。茶の味に満足したような表情を浮かべ、松永殿は私に茶碗を返す。
「な? 何とも無い。美味しく飲んでくれれば何よりだ」
「松永殿……。ありがたく頂きます」
幼稚な事を考えた自分を恥じながら、私は松永殿の入れてくれた茶を飲み干した。抹茶の上品な味わいと香り、優しい口当たりに心が癒やされる。こんなにも格別なお茶を飲んだのは久しぶりだ。
「とても美味しいです。疑って申し訳ありませんでした」
素直にそう松永殿に告げると、満面の笑みで私を見つめた。
「毒は入れとらんが、薬は入っておるぞ」
「えっ!?」
全くそのような味は感じなかった。一体、何の薬を混入したというのか。しかも飲んでしまったから吐き出すことなんて出来ない。口元を手で覆いながら目をぱちくりさせていると、松永殿がくっくと笑い声を漏らした。
「惚れ薬が、な」
一気に体中の力が抜けた。続いて身体全体で大きな溜息を吐く。例えそんなものが入っていたとしても毒よりはましだと思う……と言い切れないのは相手がこの男だからだろう。
「お茶は美味しいですか、あなたの冗談は不味いです」
「冗談ではないんだがな〜」
嘘くさいし、胡散臭い。この男の言葉は半信半疑どころか、全てが疑わしい。けれどこうして私を茶に誘ってくれて、楽しい場を作り出してくれているという事は、一応私を認めてくれているのかも。
なんて私が勝手に思っているだけだけど。
「これで我輩に惚れちゃうな〜大変だ」
「それは無いので安心してください」
口元だけ笑い冷ややかな目で貫くように返答する。相変わらずつれないな〜と松永殿はこぼすが、少しばかりは私も心を許しても良いと思った。
「ですが、また茶に誘って頂けると嬉しいです」
「ほう。そうかそうか。なら条件が一つある」
「……なんでしょうか?」
松永殿は指を一本立てて私を見つめた。一体どんな条件を出されるのかと、喉をごくりと鳴らす。
「我輩を名前で呼んだらな」
なんだ、そんな事か。条件というには至らぬほど軽い内容だ。また変な事を言い出すのかと身構えたが、それくらいなら特に抵抗はない。このように美味しいお茶がまた飲めるのであれば、その条件を受け入れよう。
「承知しました。久秀殿」
「やはり可愛いおなごに名前で呼ばれるのは良いものだな〜。な、名前」
「……知りません」
照れておるのか愛い奴め、なんて言われ、もう否定する気も起きなかった。この人はきっと、私をからかっているのではなく、最初からこういう性格なだけなんだろう。あまり疑い深くなっていても、精神的に疲れるだけだ。もう少し肩の力を抜いても良いのかもしれない。
この数ヶ月の間、久秀殿の動向を見ていたけれど別段気になるような事はなかった。
たまに光秀殿達に嫌味を言うことがあるくらいで、それ以外は普通に政務をこなし、人事を尽くしている。
秀吉殿も勝家殿も、あまり久秀殿の事を気にしていない様子だ。悪く言えば無関心に近いものだと思う。
蘭丸殿や濃姫様も、久秀殿に対しては無関心……というより、信長様に何か害を及ぼそうとすれば迷わず首を刎ねてやるという意思は見えるがそれ以外では至って普通だ。つまり、さほど大きな障害とは思っていないようだ。
すなわち、私だけが意固地になって久秀殿に辛く当たっているのだ。子どものように。今までの行動を改めて振り返れば、確かに年長者に対する扱いではない、と密かに反省した。
どうして久秀殿の事がわからないのか、掴めないのかは明白だ。私が彼に心を開いていないからだ。
人を攻略するにはまずその人を知らなければいけない。ならば私こそ、彼を知るために今すべき事といえば……幼い反抗心を育む事ではないはずだ。
信長様に対して反旗を翻す様な事があれば勿論容赦をするつもりはないが、今はまだこの男の事をもう少しだけ知りたいと思った。
(20161009)
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Smotherd mate