幕間小咄 二
本圀寺に来てから一年弱、信長様と家臣の皆による宴が本能寺にて開かれた。
茣蓙を敷き、信長様を中心に弧を描くように座る。全員に盃が渡り、なみなみと酒が注がれていく。
準備も滞りなく終わり、信長様は盃を掲げて力強く宣言をされた。
「これより信長は、天下に武を布く!」
その言葉に場の空気が盛り上がる。
皆が信長様による天下統一を望んでいる事は、間違いなかった。
酒を嗜み、美味い料理に箸を伸ばす。普段はゆっくりと話せないような方とも会話は弾み、何とも楽しい時間が続く。
「名前、あなたはそんなにお酒に強くないんですから、程々になさい」
「う……、はい……」
お市様にお酌をして貰っていると、横から光秀殿が口を出してくる。確かに私はお酒に弱いが、こういう時くらいは羽目を外したい。
すると脇から久秀殿がやってきて、光秀殿に言い返す。
「光秀〜、固いことを言うなよ。桜色に頬を染めた姿もまた一興ではないか。そそるし」
最後の一言は余計だが、久秀殿はどうやら私の肩を持ってくれたらしい。味方をしてくれるのはありがたいが、それが久秀殿というのがやはり引っかかる。
それから光秀殿と久秀殿は何やら言い合いを始めたので、面倒になった私は二人を無視してお市様とゆっくりお酒を楽しんだ。
「私も、秀吉殿と勝家殿のように酒に強くなりたいものです」
私が名前を挙げた二人は次々と酒をあおっていた。二人の脇には柳樽がいくつか倒れている。一体どれだけ飲んでいるというんだ。くすくすとお市様が笑っていると、長政殿がこちらへやって来て言った。
「あのお二方は別物と考えた方が良いよ」
確かにその通りだ。
きっと何回生まれ変わってもあの二人には及ばないだろう。まだ二杯目だというのに、私はすでにこれ以上は危ないと、自分で認識していた。
「名前、頼みがある」
「はい、何でしょうか?」
「あそこにある桜の若木を植えるのを手伝って欲しい」
盃を置いて長政殿が指した方向を見やると、台車の上に若木が置いてあるのを見つけた。細い一本の木。その先には申し訳程度に葉がちらほらと付いている。
「私も手伝います」
「お市様。こういう力仕事は私達にお任せください。お気遣いありがとうございます」
どうやら既に信長様の許可は貰っていたようで、私は長政殿と共にその若木を本能寺のそばに植えた。
「こんな感じでしょうか」
「ありがとう、名前。この若木は某達で植えたかったんだ」
そう言って植えた若木を見上げる長政殿の目はとても輝いていて、そして真っ直ぐだった。お市様も長政殿の生き生きとした横顔を嬉しそうに見つめている。こんな風に愛し合い、生きていけたらどれだけ幸せなんだろうな、と私は柄にもないことを考えた。
植えた後、秀吉殿がやってきて同じく若木を見つめる。
「また十年、二十年の後も、皆でこの桜を囲みたいもんじゃな」
先程まで酒飲み勝負をしていたとは思えないくらいしっかりとした口調だった。
ちらりと背後の勝家殿に視線を向けると酔いつぶれていた。どうやら秀吉殿の勝利だったみたいだ。
「ええ。その折はきっと、信長様の築いた泰平での宴になるでしょう。その時が楽しみです」
いつの間にやら隣に来ていた光秀殿が同じく言葉を紡ぐ。
しかし長政殿は、そんな妄信気味の光秀殿の言葉を否定する。
「光秀殿、義兄上が望むのは己を超える者だ。もしその時を迎えたいのであれば、義兄上を凌駕せねばならない」
「……長政殿……」
光秀殿は、長政殿の言葉に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。この場で『信長様を超える』なんて大それた発言に、私はどう反応していいのかわからなかった。
ふと視界の端に久秀殿を捉えたので、何となくそちらを見る。この男は何を思うのか、私はそれが少し気になっていたが、不思議な事に一言も言葉を発さなかった。しかし何やら含みを帯びた笑みを浮かべるものだから、相変わらず気味の悪い男だ、と私は思った。
「クク……、ハーッハッハ!」
沈黙を破ったのは会話の渦中の人物、信長様。
楽しそうに笑ってはいるが、信長様以外の人は皆、緊張した面持ちだった。
「うぬらの向こうに美しく燃え盛る如き桜が見える。予は……愉しい」
その言葉は何かを暗示しているかのように聞こえ、私は重々しく受け止めた。
いつか誰かが、信長様を超えようとするのかもしれない。もしそうであれば、今こうして共に宴を楽しんでいる相手であろうと刃を交える時が来る。
あまり考えたくはないが、早めに覚悟しておいた方が良いのだろう。それでも今はもう少しだけ、この桜を皆と楽しんでいたい。
「らからぁ〜! なんれいつもこどもあつかいすゆんれすかぁ……!」
「……だから止しなさいと言ったのに」
ちびちびと少しずつ酒を飲んでいたはずの名前は、すっかり酒に酔って呂律が回らなくなっていた。桜色どころか林檎のように赤くなった名前の顔は誰がどう見ても完全に酔っ払っている。
そんな名前を見て光秀は大きく溜息を吐き、名前は光秀に呆れられたことに悲しんで僅かに涙ぐむ。
「光秀は酷いな〜。名前だって大人だもんな〜」
「ひさひれどの……」
久秀は此処ぞとばかりに名前の頭を優しく撫でる。名前自身がその手を振り払おうとしないので、光秀が久秀の腕を掴んで離させた。
「まだ嫁入り前なのでお止し下さい」
「そうか〜じゃあ我輩の嫁になっちゃう? ん?」
「ならないれす……」
酔っていようとも、名前の頑固なところは変わらない。これ以上彼女にちょっかいを出されては困るので、光秀は早く自室で休むよう促す。しかし、そんな心配症の光秀の気持ちを知ってか知らずか、名前はいやいやと首を横に振った。
言うことをきかない名前に、光秀は強めの口調で再度言う。
「良いから早く休みなさい」
「うう……みつひれどののあほ……」
そう言い残して名前は勝家の隣に寝転び、そのまますやすやと寝息を立て始めた。まさかその場で休むとは思わず、しかし酔っぱらいの相手に疲れていた光秀は肩の荷が下りた気がした。
光秀は名前によって三つ編みにされた髪を解きながら、今は夢心地の相手に言い返す。
「言いたいことはそれだけですか……」
「いや〜なかなか良いものが見れた。やはり宴はこうでなくては」
「久秀殿! あなたですか、名前に酒を飲ませたのは」
ご名答〜! と口角を上げて笑う久秀に、光秀は怒りの矛先を見つけたが如く早口で捲し立てる。久秀はそんな光秀の五月蝿い小言を半分も聞かずつまらなさそうな表情を浮かべる。
「こういう時くらい好きにさせてやればいいではないか。実の娘でもあるまいに、あまり縛ると窮屈だぞ」
久秀の言うことも尤もだが、光秀にとっては娘のように可愛がっている名前が心配なのだ。だからこそ、出会って一年弱の久秀に苦言を言われるのが何とも複雑で仕方ない。
「確かに、私にとっては娘のようなものだから厳しくはなりますが、貴方にとっては孫のようなものだから甘やかしてしまうのでしょうね」
「我輩はそんなに年いっとらんわ!」
光秀の反撃に、久秀が余裕の笑みを崩した。我輩とて親心だ、と久秀は強く出る。
そんな不穏な空気を醸し出す二人を止めようと秀吉は間に割って入る。
「まあまあお父さん方、その辺に……」
「「誰がお義父さんだ!」」
久秀と光秀の声が重なった。秀吉は、怖い怖いと冷や汗をかきながらすぐにその場を離れていく。
光秀は眠りこける名前を抱え、宴から席を外した。その後を久秀はまだ文句が言い足りないのか付いていこうとするが、光秀がそれを制す。
「名前はあなたが来る事を望んでいません。お戻り下さい」
それだけ言うと光秀は背を向けて本能寺の中へ入って行った。久秀は特に言い返すこともなく、やはり口端を上げて笑った。
「やはり親子みたいなものだな。言う事まで似ておる」
だがそれではつまらん。人は他人とは違う。光秀はあくまで光秀であり、名前はあくまで名前という人間なのだから、と久秀は心の中で思った。
光秀は本能寺内の名前の部屋に布団を敷き、腕の中で眠りこける彼女をそっと寝かした。穏やかな寝息を立てて眠る彼女の姿が愛しく感じる。それは家族愛に他ならない。
信長様を支えると誓い合った仲ではあるが、もし彼女の身に命の危険が迫るとしたら、その時は自らの命を投げ打ってでも助けたい。例え名前がそれを望んでいなくても、光秀にはその覚悟がある。
光秀にとって、名前は信長様の天下泰平に必要な人材だ。
自分と同じ、真っ直ぐで、信長様を盲目的に信じてやまない同志なのだ。
最近は、久秀と名前の仲が近しいものになっているのを光秀は気付いていた。一緒に茶を嗜み、楽しく談笑しているのを何度か見掛けた事もある。
久秀が来た頃は毛を逆立てた猫の様だった名前が、今では幾ばくか久秀に心を許している事が光秀は面白くなかった。
松永久秀――乱世の闇を背負ってきたような男の存在に、未だ光秀は一抹の不安を抱えていた。
(20161009)
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Smotherd mate