幕間小咄 三
ある日、私が厩舎へ向かうと思いもよらぬ人物ーー久秀殿と出会った。
何やら自分の馬に楽しそうに話しかけていたので近付くかどうか迷っていると、私の姿に気付いてパッと馬から手を離した。
「名前か。珍しいな、こんな所へどうした?」
「光秀殿に呼ばれて来たのですが、まだいらっしゃってないようですね」
「何だ何だ、今度はあやつと逢瀬か? んん〜?」
「違います」
きっぱりと否定する。
本当にこの人の脳内は桃色のお花畑だと思う。
「まあそれも叶わぬ夢だな」
どういう事だろうか。光秀殿は来ないと言いたいのだろうか。そこを詳しく聞くと面倒になりそうなので、別の質問をする。
「ところで、久秀殿は何故ここに?」
「我輩はこれから用事があってな、数日空ける予定だぞ」
「用事?」
「んん? 気になるか? 知りたいのか? 教えてやっても良いぞ?」
意地悪く聞き返す久秀殿に少し腹が立つ。別に対して興味はないから、聞かなくても良いんだけど。
ムッとして唇を尖らせると、久秀殿は「人に会いに行く」と答えた。
久秀殿にも会いに行くようなご友人がいるのですね、とちょっとばかしの嫌味を言うと、久秀殿は意に介さずこう言った。
「お主も一緒に来るか?」
「いえ、私は……」
ご遠慮します、と返そうとしたら背後から足音が近付いてきた。振り向くと、光秀殿がこちらへ向かって歩いて来ていた。
厩舎にこの三人が集うのは何だか違和感を感じる。
「名前、来ていたのですね」
「はい光秀殿。何のご用件でしょうか」
私は待っていた相手がようやく現れた事にホッとして、光秀殿に用件を尋ねた。
しかし、私に下された命は再び私の心に陰りを差すものであった。
「これから久秀殿の行く先を、護衛してください」
「……え?」
その言葉に私は間抜けな声を出した。
私の聞き間違いでなければ、光秀殿は私に「久秀殿について行け」と言った気がする。
「信長様の命です。まだ若いあなたは、久秀殿に学ぶことも多々あるでしょう」
「むっふふぅ〜。何でも教えてあげちゃうぞ〜?」
余計なことばかり教えてきそうで少し嫌だ。
しかし、私が初耳なのに対して久秀殿は特に驚きを見せない。
まさか、最初から知っていたのだろうか。私がここに来ることも、これから久秀殿と共に出ることも。
先程言っていた「光秀殿との逢瀬は叶わぬ」という言葉の真意をようやく理解した。
久秀殿は先に自分の馬を外へ連れ出し、鞍を取り付けたりと準備を始めた。
光秀殿は外にいる久秀殿に聞こえぬよう小さな声で私に耳打ちする。
「名前、あなたは久秀殿のお目付け役です。彼が変な動きをしたらすぐに私に知らせて下さい」
「……承知しました」
成程、そういう事か。しかし何故私がその任に抜擢されたのかがわからない。
問うと光秀殿は、私が今のところ久秀殿に近しい距離に居るからだ、と答えた。
近しいと言っても、お茶を飲んだり一方的にからかわれたりするだけですよ、と否定するが、そこが久秀殿の心を許している要所なのだ、と光秀殿は言う。
つまり、他に適任は居ないというわけだ。
光秀殿が言うなら仕方ない、と私は納得して自分の馬を引っ張り出した。
体の全てが漆黒に染められた艶やかな馬。私はこの馬を『青鳥(おおとり)』と呼んで可愛がっている。
全身が真っ黒で、最も黒い毛色の馬の事を「青毛」と言う。そして鳥の様にどこまでも自由に走って行く事を願ってそう名付けた。
青鳥を連れて久秀殿の元へ行くと、私の印象とは合わないようで「それは本当にお主の馬か?」と聞かれたが、自信満々に「そうです!」とはっきり返した。
久秀殿が言うにはさほど遠くない場所、大和へ行くらしいが、そこで数日過ごすとの事。
一日で終わる用事でないのなら、光秀殿にはもっと早く言って欲しかった。
しかしこの話もきっと急に決まった事なのだろう。受けてしまった、というか受けざるを得なかったので、致し方ない。
おかげで私の準備は慌ただしいものになり、お市様方にもまともな挨拶が出来ないまま、久秀殿と共に本圀寺を出立した。
なだらかな道を二頭の馬がかっぽかっぽと歩いていく。
すでに大和へは入っているのだが、まだ目的地までは半分ほどしか来ていないらしい。
久秀殿に明確な目的地を問うが教えてもらえない。日輪はとうに天辺を超え、西へ向かっているというのに。
「こんなにゆっくりでは日が暮れてしまいます、急ぎましょう。宿だって決まっていないのに」
「安心しろ、向こうに泊まる宛がある」
泊まる宛。もしかしたらその知人の方の家の事だろうか。
話が通っているのなら心配をすることはないし、久秀殿とは普段から同じ寺の屋根の下で寝ているのだから気にすることはないのだが、他の人が居ないのは少し不安だ。
光秀殿は本当にこれを承知で私を送り出したのだろうか。
私の表情が少し曇ったのに気付き、久秀殿はおどけた声で言った。
「そう腐るなよ〜我輩はお主との逢引が楽しくて仕方ないのに」
「逢引ではありません。命令に従っているだけです」
「じゃあどうすればお主は笑ってくれる〜?」
「欠伸が出そうなくらいゆったりと馬を歩ませている限りは」
やれやれ仕方ない、と久秀殿は手綱を強く握った。
私もそれに合わせて手綱を持つ手に力を込める。
「行くぞ」
「はい」
今までのゆっくりとした歩みが嘘のように、二頭の馬の蹄が大地を強く蹴る。
久秀殿の方が少々速く、私は引き離されないように必死に付いて行った。
しばらく走っていると、とある村里に到着した。
家屋が並ぶ村の中心に、大きな館が一つあり、そこには『柳生』と書かれた札が掛かっていた。
なるほど、ここは大和の柳生庄か。
久秀殿は勝手知ったるように、馬の手綱を庭にある松の木にくくり付ける。
そのまま私の馬も同様に繋いでから館に向かって声を掛けた。
中から女中の方が出て来て丁寧に頭を下げる。
久秀殿は「宗矩はおるか?」と要件を伝えると、女中の方は私達を客間へと案内してくれた。
久秀殿は胡座をかき、私はその隣にちょこんと正座をする。
するとお手伝いの方が私達にお茶を入れてくれたので有難く頂戴すると、久秀殿が「毒は入っとらんよな?」と聞いていた。
お手伝いの方は「滅相もございません!」とそそくさと部屋から出て行き、それを見ていた私は何も言えずに頭を垂れて顔を赤くした。
あの時の仕返しなんて意地悪な人だ。
熱いお茶で喉を潤し、畳のい草の匂いが鼻をかすめて、ああ良い香りだな、なんて呑気な事を考えていると我々が待っていた人物が襖を開けて入って来た。
大きな体躯の男性が私達の真向かいに腰を落とす。
男性は優しそうな顔をしているが、どことなく熟練の強者という印象を受けた。
「道中お疲れ様、松永殿。元気そうじゃない」
「宗矩、我輩とて大変だったんだぞ? そう軽々しく言うな」
この方が柳生宗矩。
柳生家は剣豪として世に名を馳せている氏族だ。
そんな方と久秀殿がまるで旧知の仲だなんて知らなかった。
「で、そちらのお嬢ちゃんは?」
「はっ。私、織田家家臣の苗字名前と申します」
「成程、お嬢ちゃんが『名前』殿かァ」
私の事を知っているのだろうか。
怪訝な表情を浮かべれば、柳生殿は久秀殿からの文に私の名前がよく出てくる、と言った。
「松永殿に茶飲み友達が出来たって言うからさァ、どんな女人かと思えば……これって犯罪じゃない?」
「むふふぅ。名前は将来、我が伴侶となる身だぞ?」
「だからそれが犯罪だって言ってるんだけどねェ」
久秀殿と柳生殿は何とも厭らしい笑みを浮かべながら楽しそうに談笑をしている。
どこへ行っても変わらず久秀殿は軽口を叩くものだな、と呆れながら私はいつも通り否認する。
「久秀殿の仰ることは全てが虚言です。放って下さい」
「あらら、振られちゃったね松永殿ォ」
「これは照れておるだけよ」
私の事を話の種にするのはそろそろ辞めて頂きたい。
本題に移ってはどうか、と一言添えると、二人はようやく私と関係のない話を始めた。
「それで? 文じゃ言えない事って何かねェ」
「三好衆に動きがある。義栄(よしひで)を次の将軍に奉じようと方々に働きかけているが、どうも上手く行っていないようでな。そろそろ強行に出るかもしれん。その時には剣の達人であるお主にも戦場に出て貰おうと思ってな」
「松永殿、三好衆に恨まれてるからねェ」
「いやはや、人気者は辛いな」
「そういう意味じゃないんだけどねェ」
大事な話をしているというのに、何故こんなにも気が抜けるのだろうか。
それにしても久秀殿はしっかりと情況を把握しているものなのだな、と私はすっかり感心した。
確かにこのような大事な話を文で済ますわけにはいかない。
なるほど、これは近々戦が起こるであろう、と私は少し身を引き締めた。
「わざわざ出向いて下さったんだ。柳生は松永殿に世話になっているし、勿論拙者も手伝うよォ」
「頼んだぞ宗矩」
話は一段落付いたようだ。
聞いている限りでは久秀殿に特に怪しい動きもなく、光秀殿に報告出来るような事は特に無かった。
その夜、私と久秀殿は柳生家にて豪勢な食事を振る舞われ、美味しく頂いた。
村の者が鷹狩に出た際に捕らえた雉子が柳生家に贈られていたので、雉子肉を使った料理も出して頂いた。実に光栄な事だった。
「お嬢ちゃん、酒はイケる口かい?」
「あ、はい」
「そうかい、良いことだ」
まさか柳生殿自らお酌をして貰えるとは思わず、私は少しだけ手が震える。
それを見ていた久秀殿が目を細めてにやりと笑う。
「名前は酒に弱い。あまり飲ませてくれるなよ〜?」
「そうなのかァい? 見てみたいもんだねェ」
「う……」
本能寺での宴を思い出す。
あの時の事はあまり覚えていないが、翌日の光秀殿の様子を見るに、"また"やらかしてしまったらしい。
流石に外では飲まないようにしよう、と私は頂いたお酒を、ちび、と一口だけ流し入れた。
「我輩の前だけでならいくらでも酔ってくれて構わないんだがな」
「ご遠慮します。……久秀殿こそ、楽しんで下さいな」
私は久秀殿に酒を突き出し、久秀殿が手に取った猪口に並々と注ぐ。
それをくいっと一気にあおり、熱い息を吐いた。
「旨いのう。可愛いお嬢さんに注がれる酒はまた格別」
「柳生殿も、是非」
私は席を立ち、柳生殿の側に膝を付いて酒を注いだ。
ありがとう、と真っ直ぐな優しい瞳で見つめられて少しだけ胸が高鳴る。
同じく酒を喉に流すと、「確かに格別だ」と言った。
このように、楽しい宴を過ごし夜は更けていった。
私と久秀殿はそれぞれ別に室を案内され、柳生家で数日過ごした後、本圀寺へ戻った。
光秀殿は私を大変心配していたらしいが、何事もなく平穏無事に帰って来た私の姿を見て安心していた。
三好衆の動きは織田にも伝わっていた。光秀殿が言うには、いずれ信長様も次期将軍に据えようとしている義昭様を迎えに行くとの事だった。
いよいよ敵対勢力と真っ向からぶつかる時が来ると思うと、私は居てもたっても居られず、それからは鍛錬に励む日々が続いた。
(20161011)
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Smotherd mate