幕間小咄 四
稽古所にて、私は蘭丸殿と共に木刀を突き合わせていた。
風を切る音に反応し、木刀の切っ先を弾く。それから木刀がぶつかり合う音が所内に響く。
脈が早くなるが、目の前の敵から視線を反らさぬように一点に集中力を注ぐ。
額から汗が流れるのも厭わずに、私は蘭丸殿に斬りかかる。鍔で受け止められ、蘭丸殿は身を翻しながら華麗に刃を弾いた。
私は気合の声と共に、すかさず木刀を突き出す。
「やっ!」
それを再び弾かれ、柄を握っている手に痺れを感じた。即座にしゃがみ込んで、蘭丸殿に足払いをかけると思いの外上手くいき、彼は地に尻餅を付いた。
首筋にぴたりと木刀の先を宛がう。蘭丸殿は唾を飲み込み、大きく瞳を開き、それから観念して手に持っていた木刀を放した。
「……参りました」
その言葉に、私も「終わった」という安堵の溜息を吐いて木刀を下ろした。
「ありがとうございました」
「流石です名前様。ますます剣の腕に磨きが掛かっていますね」
「いえ、蘭丸殿こそ。その素早い動きには惚れ惚れします」
私が手を伸ばすと、蘭丸殿はその手を取って立ち上がる。
すると後ろから手を叩く音が聞こえてきた。
「素晴らしい物を見せて貰ったな〜。なあ宗矩」
「まるで舞いのようだったねェ」
私と蘭丸殿の元へやって来たのは久秀殿と柳生殿。
柳生殿が近々こちらへ来るとは聞いていたが、稽古所でお会いするとは思わなかった。話を聞くと、すでに本圀寺の一室を借りているらしい。
「こちらは?」
蘭丸殿に問われ、私は答える。
「彼は久秀殿に仕えていらっしゃる柳生宗矩殿です」
「柳生と申しますと、あの剣豪一族の……」
「ええ、そうです。びっくりですよね、あの久秀殿がこのような凄い方と繋がりを持っていらっしゃったなんて」
こらこらと久秀殿に額を小突かれて、私はその手を振り払う。相変わらず馴れ馴れしいというか何というか、距離感が近い気がする。
息を整えて意を決し、柳生殿に向き直った。
「柳生殿、もし宜しければ私と手合わせを願いたいのですが」
柳生殿の両の目が私を捉える。
口元は笑っているが、瞳は真剣そのものだ。
「名前様、本気ですか? 蘭も助太刀を……!」
「お主が怪我する所なんて見たくないぞ〜」
柳生殿より先に、蘭丸殿と久秀殿が反応する。
というか、どうして私が負ける前提で話をするんですか。失礼な。
少し不機嫌気味にジトッと2人を睨んでいると、柳生殿が口を開いた。
「いいよォ。おじさんも何かしていないと腕が鈍っちゃうからねェ」
「女といえど手加減無用にございます。何卒容赦なき手合わせをお願い申し上げます」
「それは名前殿次第かなァ」
そして私達は再び稽古所の中心へ行き、向かい合った。
かの有名な剣豪殿とこうして刃を交えられる事を光栄に思う。
「折角だからさァ、何か賭けないかい?」
「賭け、ですか?」
訓練に賭け事を持ち込むなんて少し不実に感じた。受けるかどうか、眉間に皺を寄せて考え込んでいると柳生殿は「そう難しく、面倒に考えなくていいよォ」と言った。
「名前殿が勝ったら何でも買ってあげるよ。もしくは、松永殿におじさんから日頃の御礼をしてあげてもいいよォ」
「乗りましょう」
「こら宗矩! 勝手な約束をするんじゃない! 名前も何故そこで即断する!」
「大丈夫だよ松永殿。ようは負けなければ良いんだからさァ」
それは私を舐めて言った言葉ではなく、ただ純粋にそれだけの意味で放ったように聞こえた。
「して、柳生殿は何を賭けます?」
「そうだなァ、おじさんも名前で呼んで欲しいなァ。松永殿だけなんてずるくない?」
ずるい?……その感覚は私にはわからないが、別段拒否するでもない内容だったので了承した。
「いざ、参ります!」
「いいよォ、おいで」
対峙し、先手を取るように真正面から向かう。ピタリと構えたまま柳生殿は石のように動かない。
彼の間合いのまだ手前ーーに入った瞬間、柳生殿は大きな一歩を踏み出して横一文字に木刀を薙ぐ。すかさずそれを跳んで避けた。
中空の私に向かって戻すように木刀を横に振りかぶるが、刃の峰を支えながら防御。
柄を握った手も峰を支えていた手もびりびりと痺れている。彼の一撃は重い。いちいち木刀で受け止めていたら身体が持たない。懐に入って一撃で仕留めなければ勝てない。
戦法は決定したーーが、今のたった少しの攻防で私はすでに心が乱されていた。彼の気迫、眼光の鋭さ、身に纏った気配、どれもが私の心を押し潰そうとしてくる。
やがて柳生殿から仕掛けられてくる攻撃。一振り一振りの風を切る音が並のそれではなく、当たれば死を予感させる。木刀で身を守るようにして柳生殿の脇を抜けるも瞬時に反応し、背後の存在を上から斬り付けた。
だが柳生殿の木刀が斬ったのは、私ではなく竹で編まれた籠。刃先は籠に食い込み、柳生殿は木刀を抜こうとするが叶わない。
「終わりでよろしいでしょうか?」
ーー私が柳生殿の木刀の上に立っていたから。草鞋を脱ぎ、裸足の指で木刀を挟むようにして均衡を保つ。
私の体重すべてが今、柳生殿の持つ木刀を介して支えられている状態だ。
「いやァ、その身のこなし、まるで牛若丸だねェ」
「ならば、柳生殿は武蔵坊弁慶でしょうか」
「そんな風に死ねれば格好良いよねェ、っとォ!」
「ひゃあっ!?」
柳生殿は腕に力を込めて私ごと木刀を勢い良く持ち上げた。
一点に集中した重量を力ずくでひっくり返すなんて信じられない。
突然、空に投げ出された私は慌てて体勢を直すことも出来ず、柳生殿は私に向かって木刀を構える。このまま斬られたら木刀といえどただでは済まない。ぎゅっと目を瞑って覚悟を決めると、柔らかい衝撃と共に地に倒れ込んだ。
何が起こったのかわからず顔を上げると、私は柳生殿に抱きとめられていた。筋肉が隆々とした腕は逞しく、そのおかげで私は地に触れる事無く、また傷一つ無かった。
これは完全に私の敗北だ。その腕の中に収まりながら、「参りました……宗矩殿」と負けを認めた。
「お嬢ちゃんも結構やるじゃァない。おじさん、冷や冷やしたよォ」
「私はまだまだです。これからもご指導の程、お願い申し上げます」
「おじさんで良ければ喜ん……い、たた、何だい松永殿ォ!」
見れば、久秀殿が宗矩殿の肩を足先で蹴っていた。その振動が私にも伝わってくる。
奥に居た蘭丸殿も慌てて私に駆け寄り、腰を落として私を抱き起こそうとしてくれた。
「勝負はついた。いつまで寝転がっとるんだ? んん、宗矩〜?」
「さあ名前様、どうぞ」
宗矩殿はやれやれ、と言った様子で私を抱いていた腕を離した。やっと解放され、蘭丸殿に手を伸ばして立ち上がる。
「ありがとう、蘭丸殿」
道着についた埃を払い、着衣の乱れを直していると光秀殿がやってきた。
「皆、ここに居たのですね。信長様よりお話があります。急いで来て下さい」
告げられ、私達は身だしなみを整えてから本圀寺へ向かった。
そこには重臣の面々が揃っており、私達もすぐに腰を下ろす。
やがて信長様が姿を現し、私達は面を上げて信長様に顔を向ける。信長様は一呼吸置いてから、ゆっくりと宣うた。
「織田家は義昭を将軍に奉じる。朝廷は義栄を十四代将軍に就任させたが、無価値。これより予は美濃より義昭と上洛する。よって光秀・久秀・名前は、お濃と共に此処に残り、本圀寺を護れ」
信長様の命令に、私達は即座に短く返事をする。
私にとっては大きな使命であり、信長様が居ない間は何人たりとも此処を攻め落とさせてはいけないと思うと、緊張感も勿論だが、それよりもどこか心躍る感情が私の心を占めていた。
それは本圀寺に来てから、実に三年もの月日が経っていた日の事だった。
(20161011)
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Smotherd mate