六条合戦 一
永禄十一年十月某日。
信長様は宣言した日からすぐに美濃へ行き、足利義昭様を入洛させた。
久秀殿と敵対関係にある三好衆が推戴させた第十四代征夷大将軍である義栄(よしひで)を押しのけて、義昭様を十五代将軍に据え置いた。
義昭様を入洛させるまでの間、私達が守っていた本圀寺は平穏そのものだった。それを見込んで、信長様は本圀寺を同じ面々に託し、同月下旬には美濃へ戻って行ってしまった。
それから二ヶ月後、永禄十二年一月五日。
年が明けたばかりの凍えるような寒い冬の日。
固い雪が寺も周辺も全てを白く染め、むき出しの岩壁が風景の寒々しさを強調する。
私は、光秀殿と久秀殿と囲炉裏を囲んで暖を取っていた。
というより、私が居ないと光秀殿と久秀殿はねちねちとした口喧嘩をしそうで、見ていないと不安だった。
その時、一人の伝令兵が慌てて飛び込むように入ってきた。
「急襲! 旧勢力残党が、京に攻めて参りました!」
旧勢力残党というと、我々織田軍が上洛する際に京から追い出した三好衆の事だろう。
信長様が居ない時に限って、何という最悪な事態だ。
「すぐに岐阜城の信長様に使者を出すのです!」
光秀殿は伝令兵にそう伝え、兵はそれを聞いてすぐに飛び出して行った。
その命を聞いていた久秀殿はしたり顔で光秀殿に言った。
「今、援軍を請うても間に合わんのではないか? んん〜?」
久秀殿の言葉に光秀殿は微かに表情を曇らせる。
確かにその通りかもしれないが、何もしないよりはましだ。
例え援軍が来なくても、来るのが戦後でも、伝えられるならそれで良い。
「心配は無用だ、光秀殿!」
すると、曇り空の隙間から陽が差すような高らかな声が聞こえた。
声の方を見やると、そこには長政殿とお市様が駆けつけてくれていた。
「浅井長政、推参。盟の信義に従い、援軍致す!」
「力を合わせれば、きっとこの困難にも勝てます!」
何とも心強い味方が来てくれた事だろうか。光秀殿は表情を明るくし、二人に礼を述べた。
一方私は、久秀殿が小さく舌打ちをしたのを見逃さなかった。
翌朝。
早朝から敵方が動き出した。
我々は防衛戦であると認識し、守備を怠らぬよう本圀寺周りに見張りの兵を配置する。
と言ってもこちらは僅か二千の兵。対して三好衆はその数倍は居るだろう。
季節は冬である。待機兵は凍えて武器が持てぬ事のないよう、しっかり体を温めておかねばならない。
ふと頭によぎった疑問を口に出すと、久秀殿が眉一つ動かさずに答えた。
「もし、敵方が火を放ったりしたらどうするのですか?」
「問題ない。三好衆はこの本圀寺を気に入っておる。欲しいものを燃やす莫迦はおらん」
「そうなのですか」
我々の拠点である本圀寺と敵の本拠の直線上のど真ん中、戦場図で言えば中央北の方角と、そこから真っ直ぐ南には、大きな砦がある。更に、その二つのちょうど東側にも小さな砦が2つ存在する。
本圀寺から最も近しいそれらの砦は既に敵の拠点となっており、我々は援軍が来るまでの間、そこから敵に攻め入れられぬよう防衛線を張るしかない。
籠城を始めて数刻、一向に相手の勢いは止まらない様子。
それを見かねて久秀殿はつまらなさそうに発言をした。
「ただ籠城するだけでは膠着状態が続き、精神が参ってしまうよなあ」
「確かにそうかもね」
それに同意したのは、なんと半兵衛軍師殿だった。
光秀殿は二人をじっと見て、困ったように問うた。
「ならば久秀殿、策があるのですか?」
「まずここから少し南にあるの小さな詰所を取る。さすれば東砦の詰所にも伝わり、敵が出てくる。そこを挟み撃ちし、東砦の詰所も落とす」
籠城戦と思わせておいて敵の裏をかくという、大胆な提案だった。
しかしそれを誰が実行するというのか。既に敵は本圀寺を取り囲み、逃げ場も無いと言うのに。
ざわつく場に通るような声で私は言った。
「では久秀殿、あなたにその役目をお任せしたい。無論、私も付いて行きます」
「随分と勇ましいな〜お主」
この鉄壁の守りに穴を空けるつもりかもしれないし、敵を突破する本気の策かもしれない。何を考えているかは知らないが、私は目付役として久秀殿を監視するのみだ。
「いいね。敵に一泡吹かせてあげなよ」
楽しそうな半兵衛殿の一言で、作戦は決定された。
本圀寺を囲む塀、その正面の門が重々しく開く。
そこから横一列になるように鉄砲隊は門前へ並び、すぐ後ろには弓兵隊が構えを取った。
敵は我々の登場に気付くとすぐに向かってきた。
しかしこの岩壁に迫られた道は狭い。そうそう大勢が詰め寄ったところで鉄砲玉の餌食だ。
すかさず光秀殿は鉄砲隊に号令を出す。
「鉄砲隊、撃て!」
鉄砲隊が火縄銃の引き金を引くと、火のついた縄が火皿を通して引火し、内部の火薬が爆発して銃身の中にある鉛玉が目に見えぬ速度で敵兵へ跳んでいった。
敵兵は倒れる者もいれば、鉄砲に驚いて隊列を崩し悲鳴を上げる者も居た。
鉄砲隊はすぐに下がり、弾込めの準備を始める。
間を開けぬよう、光秀殿は弓兵に号令を出す。
「弓兵部隊、射て!」
その号令に弓兵は矢を放った。
敵の陣形が崩れたその瞬間、私と久秀殿、そして宗矩殿は馬に乗って素早く駆け出して行った。
まもなく南の詰所へ到着するが、その後の作戦はそう言えば何も聞いていない。
慌てて久秀殿にどうするつもりか尋ねると「任せろ」と短く返された。
入口前の門番が私達の姿に気付くと、「敵襲!」と声高に叫び、詰所から少しずつ敵が現れる。
「これでも喰らってろ!」
久秀殿は詰所に向かって大きく振りかぶり、何かを思いっ切り投げた。私と宗矩殿は、久秀殿に言われて馬を止め、その様子を見ていた。
ぼすぼすぼす、と幾つもの何かが雪の中に埋まり、その音に敵達が反応する。何をしたのかと注視していれば、数秒後、大きな爆発と共に敵兵が吹っ飛んだ。
「ちょっ……! な、な、何してるんですか!」
「ほれ行くぞ!」
「ま、待って下さい!」
私の声も聞かずに久秀殿と宗矩殿は走り出した。
今の爆発音と煙によって、砦の中は混乱が起きている様子だが、すぐに弓兵がやってきて私達に狙いを定める。
それよりも先に、再び久秀殿が爆弾を詰所に投げ入れる。詰所内で爆発が連鎖し、煙がもうもうと上がってくる。
煙によって弓兵達は狙いを定められず、私達は馬に乗ったまま詰所内を暴れ回った。宗矩殿が馬から下りて太刀を振るえば、その重量に負けて兵卒が倒れていく。
兵卒は宗矩殿に任せ、私はそれらの隊長を目指して真っ先に討ち取った。
久秀殿の作戦通り、我々はほんの僅かな時間で詰所を一つ落とすことが出来た。
その後、本拠から続々と兵が集まってきたのでこの拠点を任すことにし、私達は続いて東側にある砦の詰所へ向かった。
当然のように中央東砦からは敵兵がわらわらと出てきていた。本圀寺側の自軍と挟撃し、一気に攻め落とそうと突撃をする。
再び久秀殿が爆弾を投げ入れようとした時、私はある物を発見して久秀殿を止めた。
「久秀殿、お待ち下さい!」
「ん? これからが良い所だぞ〜?」
「汚い花火を打ち上げる事がァ?」
宗矩殿の切れ味鋭い言葉に、久秀殿は爆弾を宗矩殿にぐいぐいと押し向ける。
私は、ふざけている場合じゃありません! と一喝。
「見て下さい、あれは焙烙兵です。もし爆弾なんて投げ入れたら敵味方問わず酷い事になります」
私は大きくて黒い焙烙玉を竹籠に乗せて背負っている敵兵を指差した。
あれだけ大きな爆弾だ。先程の被害とは比べ物にならないだろう。
「つまり、ここで十八番の爆弾を使う事は出来ません」
「名前、お主に頼みがある」
「何でしょうか?」
「我輩、あの焙烙玉が欲しいな〜火薬欲し〜い」
「……わかりました。行きましょう」
私は頷いて、すぐに青鳥を走らせた。援護をするように久秀殿と宗矩殿が周りの敵兵をなぎ倒していく。
焙烙兵へ一直線に向かいながら、私は青鳥に乗せていた弓を取り出して構える。
標的は大きく揺れ動くが、私はただ一点に集中し――矢を放つ。矢は冷えた空気を切り裂き、疾風の如く真っ直ぐに飛び、焙烙兵の足を射抜いた。
倒れ込んだ焙烙兵を通り過ぎざまに、竹籠の背負紐を刀で乱雑に切り離す。青鳥を転回させ、再度、焙烙兵の元へ。そして火薬玉を竹籠ごと鷲掴んで奪い取り、久秀殿達の元へ戻る。
私はその重い荷物を宗矩殿に手渡した。
「どうぞ! お願いします!」
「へェ、名前殿やるじゃない」
「お主、惚れ惚れするではないか! 我輩、胸の高鳴りが止まらんぞ〜!」
「戦半ばで心臓発作ですか? 安心して下さい、看取って差し上げます」
「やだ! 我輩、生き残りたい!」
首を横にぶんぶん振って我儘っぽく言う久秀殿に、可愛さなど欠片も感じない。
しかし焙烙兵から火薬を奪えたのはいいが、中央東砦は未だに攻め落とせそうにないこの状況。
どうすべきかと戦場をジッと睨み、敵と味方の兵が槍や刀を交える中に、私は一筋の道を見つけた。
心の中で決断し、久秀殿が手にしていた爆弾を数本頂いて声高に告げる。
「先陣、切らせて頂きます!」
「名前!?」
この勢いに乗じなければ砦を奪うことなど出来ない、何か決めの一手が必要だ、と私は青鳥に乗って駆けて行く。
放物線を描いて飛んでくる矢を刀で弾き、私は一目散に敵の拠点へ乗り込む。久秀殿から拝借していた爆弾の導火線を肩当てで擦って火を付け、四方八方へ投げ付ける。
敵に当たらずとも、煙で私の姿を隠してしまえば弓は使えない。私はいの一番に砦の隊長を目指した。
***
「松永殿ォ、マズイんじゃない?」
「言うとらんで、早く行くぞ!」
名前が先走って中央東砦へ突っ込んだ後、すぐに門が閉じられてしまった。これは罠だ。
実は敵対勢力と繋がっていた久秀が敵と共に仕組んでいたものだが、まさか名前が閉じ込められるとは思わず、久秀は大変慌てていた。
敵陣真っ只中にたった一人で乗り込んだ名前は、いくら腕が立つとは言えただでは済まないだろう。
久秀と宗矩はすぐに門を取り壊しに掛かる。
「松永殿ォ、さっきの火薬玉使っちゃえばいいんじゃない?」
「名前の功を無駄にする気か? それに、その火薬量では砦が崩れて無事では済まん! その時は宗矩、お主に責を取ってもらうぞ!」
「わかった、だから落ち着いてよ松永殿ォ。智将の松永殿がそんな様子じゃ、先が思いやられるからさァ」
宗矩から見ても、久秀が取り乱しているのはよく分かった。
もくもくと砦の上から煙が流れ、火薬の匂いが風に乗ってくる。中では何かが燃えているようだ。
久秀は、一体中で何が起こっているのか理解できず、不安で仕方がない。
兵が本圀寺から持って来た、先の尖った巨大な丸太を皆で持ち、息を揃えて幾度も門を叩く。
久秀と宗矩はそれの邪魔をしようとする敵兵を無遠慮に倒していく。
やがて木製の強固な門扉が音を立てて軋み、扉は勢い良く左右に開かれた。
そこを我先にと、久秀は走り抜けた。しかし、探そうとしていた人物は入ってすぐ目の前に立っていた。
「久秀殿! 大変です!」
「無事だったか、名前! お主の方がよっぽど大変だったぞ!」
名前の焦った声に被さるように久秀は叫んだ。
砦内の辺りを見回せばすでに生きた敵兵の姿は無い。どうやら既に制圧が済んでいたようだ。
なんて恐ろしい娘だろうかと久秀はゾッとしたが、どこか悦んでいる自分も居た。
「え? どういう事ですか?」
「名前殿、自分が閉じ込められていた事に気付いてないのォ?」
きょとんとする名前に宗矩は声を荒立てる。
名前はその問いかけに「道理でなかなか私の隊が来ないと思いました」と、間抜けに違いない言葉を吐き出した。
それを聞いた宗矩は笑い、久秀は呆れながら安堵の溜息を吐いた。
「それよりも久秀殿、報告があります!」
「うん? 何だ?」
「先程、工作兵の姿を発見し、この砦を過ぎて南下しました。今から追えば間に合うかもしれません!」
「よし宗矩、付いて行け。名前を一人にしたらどうなるかわからん」
どういう意味ですか、と名前は文句を垂れながら宗矩と目を合わせる。
久秀の目付役である名前が、今度は宗矩に目付役をされる、という不思議な三角関係が誕生した瞬間であった。
「我輩はここで本拠からの兵を待ち、光秀に伝令を送る。いいか宗矩。くれぐれもそのお嬢さんに無茶をさせるなよ」
「はいよォ、松永殿」
工作兵を始末できればそれでいい、ただし無理だと思ったら引き返せ、と久秀は付け加えた。
そして宗矩にも、名前の命を絶対に守るように、と何度も念を押した。
宗矩は「砦を一人で制圧しちゃうような子の護衛、拙者に務まるかなァ」と一人呟いた。
(20161015)
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Smotherd mate