六条合戦 二
久秀殿の命を受けた私は馬を置き、宗矩殿と共に砦を通って南下する。が、道なりに進んでいると宗矩殿が急に足を止め、私を肩に担ぐと後方へ戻りだした。
「ど、どうしたんですか宗矩殿!」
「上を見てごらん、危ないよォ」
次の瞬間、上からいくつもの大きな氷解が降り注ぎ、大地が割れんばかりに揺れる。遂には道を塞がれてしまい、私達は工作兵を追えなくなってしまった。
もしこのまま通っていたらと思うとゾッとする。ようやく氷塊の落下が収まり地に降ろしてもらうと、私は宗矩殿に礼を言って頭を下げた。
すると道を塞いだ氷塊の向こうから、歌舞伎役者のようなふざけた声が聞こえてきた。
「これぞ忍法〜、あ、織田軍窮地の術〜!」
なんか腹立つ。倒してふんじばってやりたい。
このまま逃げられてしまっては、またどこかの道を塞がれてしまうだろう。
急いで倒した方が良いという意見は宗矩殿と合致したが、これ以上どうしようもない。
「松永殿の意向に沿って一旦砦に戻ろうじゃないの」
「致し方ありませんね」
砦へ戻って久秀殿に事の流れを伝えると、私の事だから氷塊を飛び越えて行きそうだ、と言われたが、流石にそこまではしない。
久秀殿は本圀寺に伝令を送った数刻後、あちらからは援軍の兵と共に知らせが届いた。
本圀寺の防衛線は一向に破られぬまま義昭様もご無事。長政殿の援軍もあり、強固な守りを保てていた。詰所を落とす作戦が成功し、二つも此方の手中に収まった働きを褒められた。今日の所は防衛に励み、明日の作戦に備えよ、との事。
「明日の作戦って何ですか?」
私は久秀殿に尋ねると、久秀殿が伝令を送った際、どうやらこちらの戦況だけでなく更に攻めの手を向こうへ伝えていたらしい。
「北の砦を攻め落とす。本圀寺と挟撃だ」
「しかし、それでは我々も南からさらに挟まれるのではないでしょうか」
私は合戦場の地図を指し示す。
我々が今回手に入れた二つの詰所は、ほんの氷山の一角に過ぎない。
確かに北砦まで手に入れられれば、合戦場のやっと四分の一はこちらのものになるが。
「名前が我輩の為に手に入れてくれたこの火薬玉があれば、いくらでも鉄砲を撃てるし爆弾も放てる。詰所には防護柵もある。我輩の隊がお主の背中を守ってやる。安心して突撃すると良い」
「……わかりました」
私が心配なのはなんと言っても兵力差だ。
敵方の兵数は圧倒的に私たちの軍より勝る上いくらでも援軍を呼べるだろうが、我々は防衛戦であるからして限りがある。
無駄に兵を死なせたくはないというのは光秀殿も同じだろうに、何故彼はこのような強引な策に乗ったのか。多分、信長様への貢献と、二つの詰所を占拠した久秀殿の力を信じたのだろう。半兵衛殿も何を考えているのかわからない。
この戦いは何かもっと、別の計り知れない怨恨のようなものが渦巻いているような気がする。
さらに言えば私の胸に引っかかるのは、長政殿とお市様が助けに来て下さった時の久秀殿の舌打ち。
もちろん明日の作戦の命令に背く気はないが、久秀殿から目を離してはいけない、と私は心に深く刻み込んだ。
二日目。
敵勢力は奪われた砦を取り返そうと、我々の居る中央東砦西門に向かって攻めてきたが、昨日のような猛々しさはない。
私達は久秀殿に言われ、砦に置かれていた防護柵を昨晩の内に、門前に張り巡らせていた。
その隙間から鉄砲隊が迫り来る敵を狙い、砦の上からは弓兵部隊が弓を構える。
火薬はあれど鉛玉も矢も限りがある。例え相手がみだりに矢を放とうとも、こちらは相手を引き付けてから確実に動きを止めよ、と命令を下す。
「名前よ。我輩、面白い事思い付いちゃったぞ〜」
「何でしょうか?」
ひそひそと耳打ちをされた作戦に、私も思わずニヤリと笑みがこぼれる。
「良いですね、やりましょう」
それを聞いた私は二つ返事で了承した。
まず、砦の上に居る弓兵部隊を3人1組にし、同時に矢を放たせる。その三本の矢羽根に油で湿らせた紐がついており、その先には繋いであるのは火薬袋と燃えやすい材木。
敵兵の塊の中心に射ち込む。すかさず、久秀殿の爆弾を矢に取り付けた私がそこを狙い撃つと、爆発と共に火が上がった。炎が辺りの雪を溶かし、めらめらと燃えている。
それを何度か繰り返すと、敵兵は少しずつ陣形を乱していった。
その隙に、門前に置いてある防護柵を前へ前へと動かし、敵が近づけば鉄砲で仕留める。
「久秀殿、この好機に参りましょう」
「お主は本当に特攻が好きよな〜」
騎馬隊を連れ、私達は敵を薙ぎ倒しながら進んで行く。西門から出て真っ直ぐに進むと、やがて道は二手に分かれた。
ここから北に進むと砦があり、南へは防衛線を張らねばならない。久秀殿は盾兵を上手く使って南の道を防ぐ。
対する私と宗矩殿は北砦へ向かって馬を走らせた。その道中、私は昨日見かけた工作兵の姿を発見した。
「宗矩殿! あれは昨日の工作兵です!」
「へえ、あの派手派手しい輩がねェ」
「とにかく、すぐに追わねばなりません!」
「けど北砦はここから右なりの道だろう? そっちは反対方向じゃないか」
「しかしっ……!」
その時、私の鼻先を銃弾が掠めた。
見やれば北砦はもう目の前に在り、その門前には鉄砲を構える敵部隊の姿があった。
「じゃ、工作兵はおじさんに任せて。名前殿、頑張ってねェ」
「ありがとうございます、宗矩殿!」
この挟撃の要は私の号令にある。
時機を誤れば上手くいかないだろう。
「構え!」
私の声に全員が弓を構えた。
相手方が鉄砲に玉薬を込めている間に急がなければ。
「放て!」
全員が馬上から矢を放つ。
放物線を描いて飛んでいく矢は門前にいる鉄砲隊の前あたりに落ち、矢羽根に付いていた煙幕玉が衝撃によって辺りに噴煙を撒き散らす。
わあわあと喧騒がこだまする中、私は敵に聞こえるように大声で叫んだ。
「全軍突撃!」
しかし私も兵も向かうこと無く岩陰に身を寄せる。
しばらくして煙幕の向こうから銃声が聞こえてきたのを見計らって、再び大声を上げた。
「今だ、ゆけ――!」
私は今度こそ騎馬隊を走らせた。
騎馬隊で陽動出来れば良い。後は反対側から光秀殿の隊が来てくれるのを待つだけだ。
敵方に混乱を招き、敵味方が入り乱れる。本圀寺側と交戦していた敵前線は私達の存在に気付くと徐々に北砦へ戻って来る。そこを光秀殿達が追い上げる。
この混戦状態は滅茶苦茶としか言い表せられなかった。
私は青鳥に跨りながら兵の指揮を取る。
突如、真後ろで銃声が鳴り響き、青鳥が驚いて前足を上げて背を反る。手綱を掴んでいなかった私は振り落とされ、背後に居た人物によって地面に押し倒された。額にガチャリ、と銃口を突きつけられると同時に私も刀の刃先を敵の首筋に宛がう。
「くっ……!」
「何だ、子供騙しな戦法を使う小僧が先陣を切るなんてよっぽど織田は兵に困窮しているかと思えば、可愛いお嬢さんじゃないか」
私を組み敷いている男は、多分、目にした女全てがイイ男と言うだろう。
そんな事を考えながらどう打開するか必死に頭の中で考えを巡らせていると、男は銃口を離した。
「女を撃ったら銃が泣くぜ」
「敵であってもですか。二枚目なのはお顔だけではないようですね」
男は私の褒め言葉を素直に受け取り、嬉しそうに笑った。
「この鉄砲兵の数と統率力。雑賀衆ですね」
「こんなお嬢さんにも知って貰えてるなんて感激だねえ。雑賀孫市、美女の為ならどこまでも、ってね」
「私は織田家家臣、苗字名前。美女とは?」
「そりゃ……おっと!」
雑賀孫市は殺気に気付き、その場から飛び退く。
直後、男が居た所に刀が振り払われる。すんでの所で避けるなんて察しの良い男だ。
「大丈夫か、名前」
「はい、かたじけありません」
そこに居たのは長政殿の家臣、藤堂高虎殿だった。
どうやら私がこの男に押さえられているのを見て助けに来てくれたようだ。
高虎殿に手を差し伸べられ、私は立ち上がった。
「何だ、男付きかい? 残念だねえ。戦況も悪くなってきたし、俺らもこの辺で引き上げることにしようかね」
「俺が逃がすと思っているのか?」
再び武器を構える高虎殿を、私は制す。
戦わないで済むのならばそれに越したことはないが、高虎殿はそうは思っていないのだろう。
「高虎殿、この男は私の命を奪わなかった。ここはどうかその刀をお納め下さい」
「優しいねえ名前ちゃん。三年位経ったら俺のとこに来いよ!」
そう言って孫市は自分の隊を引き連れて下がって行った。
高虎殿はあまり納得行かない様子だったが、雑賀の姿が見えなくなるとようやく刀を下ろし、私に厳しい眼差しで忠告した。
「あんた、そんなんじゃいつか死ぬぞ」
「殺すだけが戦ではありません」
「そんな事は知っているが、それだけじゃない。あんたの実直な戦いぶりが、いつか自身の足元を掬うだろう」
「痛み入ります」
私は甘いのだろうか。この乱世に沸き起こる反乱分子を斬って殺して全てを無くすなんて、命がいくつあっても足りやしない。相容れないのであれば仕方ないとは思うが、それでも出来る限り無駄な殺生をしたくはないのだ。
自分の考えは間違っているのだろうかと微かに揺らいでいると、高虎殿に手の甲で額をこつんと叩かれた。そういう所が実直なんだ、と高虎殿は鼻で笑った。
やがて北砦も我ら織田軍が制圧することに成功した。
しかし、ただでさえ少ない兵力の多数が、この強引な作戦によって負傷し、状況は至って芳しくなかった。
その後、宗矩殿と久秀殿が北砦へやって来た。
宗矩殿は工作兵を追い詰め、撤退させることに成功したと報告。
やはり宗矩殿は流石だ。もし私であればまた氷塊が降っていたことだろう。
光秀殿、長政殿とも無事に落ち合うことが出来た私達は、より守備を固めることに専念した。
私は詰所に運ばれてきた負傷兵の手当てをしていた。体を拭き、薬を塗り、飯を与えて休ませる。
光秀殿がやってきて、休んだ方が良い、と温かい声を掛けてくれるが、私は首を横に振った。
また夜がやって来る。京の寒さは酷いもので、弱った兵が寒さで命を落とさぬようあちらこちらで焚き火をする。
赤く燃える炎は凍えた体に熱を与えてくれる。木の板に茣蓙を掛けただけの敷物に座りながら、めらめらと踊る火をただぼうっと眺めていると、久秀殿がやって来た。
「久秀殿……」
「雑賀衆相手によくやったな〜、お主」
「いえ、皆の働きあってのものです」
「謙遜するなよ〜。この策、お主が居なけりゃ成功しなかったろうに」
「功労者に対して厄介者みたいな口ぶりですね。織田軍の精鋭を見くびっていたんですか?」
やれやれと久秀殿が肩をすくめながら私の隣に腰を下ろした。
ふわり、久秀殿から似つかわしくない柔らかな甘い香りが流れてきて、鼻腔をくすぐった。
手を伸ばせば届きそうな距離だが、私は一切そちらに目もくれず口を開いた。
「私は今まで三好衆こそが敵だと思っていました。しかし北砦に攻め入った時に出会った、雑賀孫市という男……彼は『女性の為』と言った」
「あやつは女好きだ。好いた女の為に功を上げようとしただけじゃないのかね?」
「けれど、もしそうではなくその女性と繋がりを持つ者がこちらに居たら、光秀殿が言っていたように、信長様が居ないこの機を知ることも出来た……なんて考え過ぎですよね」
「成程〜。誰か手引をした者でもおるのかな〜?」
わざとらしすぎて、私は失笑した。戦が起こった以上、なるようにしかならないし、勝てばどうという事はない。この考えこそが"驕り"だとは思うが、それくらい単純な話なのだ。
「まあ、信長様の耳に入った所でその方はきっと許されるでしょうね」
もしくは私の首が飛ぶかですねと付け足すと、久秀殿はそれが気に入らないらしく不服そうな顔をしていた。それは二条御所で信長様に許された時と全く同じものだった。
「……お主もそろそろ休んだ方が良い。昨日も今日も先陣切って疲労が溜まっているはずだぞ」
「んー……、戦は胸が昂ぶってしまうので、なかなか寝付けないんです」
「なら我輩が寝かしてやろうか? 一つの寝床でいんぐりもんぐりすればその熱も収まるぞ? んん〜?」
余計寝れなくなりそうだ、と私は至極丁重に久秀殿の誘いを断った。
けんもほろろだな、と言いながら久秀殿はそれでも嬉しそうに、私の肩と触れ合うくらいにまで距離を詰めてきて、ますます甘い香りが強くなる。
「今だけでも我輩の肩で休め。人の温もりに勝るものはないぞ〜」
「いえ、それは……け、っこ、う…………」
香りが身を包むくらいに強く感じたかと思えば、私は急な眠気に襲われた。
まだ話している途中なのに、疲れも相まって瞼が少しずつ下がってくる。
私はそのままこてん、と隣に座る久秀殿の肩に寄りかかり、夢の中へ落ちていった。
なるほどよく効くものだな、と久秀は懐から小さな匂い袋を取り出した。
そこから漏れ出す甘い香りの正体は麝香(じゃこう)を元にして作られたお香。
「生死の境を立つ事に興奮を忘れぬ兵は翌日に障る。その為に試作したお香だが、これは使えるな」
自分の肩に身を寄せて眠りこける名前を見て、久秀はひそやかに笑う。
勇猛でありながら聡い名前を久秀はいたく気に入った、が。
「悪党には向いとらんなあ」
ぼそりと、残念そうに独り言ちた。
(20161015)
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Smotherd mate