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あのあとも、わたしが無防備にひとりで例の駅を使ってしまうのには、ただ単に便利だということ以外にも、彼に会ってしまうかもしれないということへの、なにか期待のようなものがあったのかもしれない。
わたしがもっともおそれていた、彼の引力に抵抗できない自分が、広い駅の構内で、すえたにおいのするプラットフォームで、来る日も来る日も、ただぼんやりとうつむいていた。

どうなれば、わたしは満足だったのだろう。
どうしてほしかったのだろう。
どうなることを、望んでいたのだろう。

腕を掴まれたとき、名前を呼ばれたとき、わたしのなかで疼いた感情の、その名前はなんなのだろう。
どうしてあんなに痛そうな顔をして、わたしの腕を掴んだのだろう。
あなたがどこにも行くなというのなら、わたしはその言葉に背くことなど、きっとできないというのに。


言葉少なに歓楽街を歩いて向かった先は、前にも一度来たことのあるラブホテルだった。
ベッドへなだれ込むと、スプリングがお決まりの大仰な音を立てた。
バレエスタジオのようなおおきな鏡に、わたしたちの淫行がはっきりと映し出されている。
身体じゅうがびりびりとあまく痺れる。義勇さんといるときのここちのよい不自由さに、こころが溺れてゆく。おそろしくなる。抵抗ができない。

「……これがいやだったの」
「どれがだ」

おおきな手のひらがわたしの両頬を包む。
わたしのすべてを覆うようなやわらかなくちづけに、義勇さんの胸に帰りたいなどという愚かなことを思ってしまう。

「こんなことはいやなのに、義勇さんを前にすると、わたしは自分の意思とはほかのところで動かされてしまう」

「きらいになったのか」

「……あなたをきらいになったことなんて、一度もありません」

帰ります、と言ったわたしの腕を義勇さんが取る。
わたしはまた簡単に組み敷かれて、ネオンのようなライトを背負う義勇さんのうつくしすぎる顔を見上げた。
もうほとんどなにも身に着けていないわたしを、白いシャツも黒のツータックのスラックスも着たままの、一糸乱れぬ義勇さんが見下ろしている。このアンバランスさがこわくなる。わたしだけがいつも惨めに暴かれて、義勇さんのことはなにもわからない。


キスの最中は、問いただされなくてよいし、なにも答えなくてよかった。
わたしはそのくちびるからなにか言葉が出てきてしまわないように、わたしのくちびるから愚かな言葉の飛び出してこぬようにと、幾度となくキスを繰り返した。
色々の気持ちがあった。
すべてに蓋をするようにキスをした。

手足の長い義勇さんに抱かれると、わたしたちはたくさんの手や足のでたらめに生えた、奇妙に節ばる一匹の生きもののようになった。不格好に絡まるわたしたちを、ところどころが曇った、あまり清潔でないおおきな鏡が見つめている。

義勇さん、どうしてわたしを気にするんですか。
わたしのことをあいしていましたか。
あなたのうつくしすぎる瞳に、つまらないわたしはどう映っていたのでしょうか。

義勇さんの濡れたまなざしから逃れるように目を伏せる。
ショーツを下ろす指先を助けるように腰を浮かせた。