X

彼女のことが話題に上がると、伊黒は必ず「手に負えるおんなじゃない」と言う。「腑抜けにされるぞ」とも。
まったくの同感である。しかし、まあ「身の丈に合う」と感じる恋人と「腑抜けにならない」恋愛をするのは、はたして幸福なのだろうか。すべてが予定調和で、感動もおどろきもないようなその凪を、そもそも恋愛とよべるのかも疑問である。
それに、なにも付き合いたいといっているわけではないのだ。
彼女は冨岡の横にいるのがいい。だから、伊黒の慰めは、いつも的外れで、余計なお世話なのである。


ここ数日の長雨の、ついにピークかと思われる豪雨の夜、宇髄の家へむかう途中のスーパーマーケットで彼女を見つけた。傘は持っているようだったが、前髪から靴、首やふくらはぎまでもがひどく濡れている。
こちらに気がつくとぺこりと頭を下げて、近寄ってきた。重たそうに濡れたスカートが張りついて、歩きにくそうにしていた。

「よォ」
「不死川先生、先日はありがとうございます」
「冨岡は?一緒じゃねェのか」
「はい。でも、もう時期帰ってくると思います。寄っていかれますか?」
「別に会いたくねェ」

彼女は夕飯の、おれは酒やつまみの買い出しだった。
思いがけず会話が続いたので、買い物かごをひっさげたまま、肉売り場にも、アルコール売り場、スナック菓子のコーナーにもふたりで行った。

「冨岡となにかあったのか」
「あら、どうしてそう思うんですか」

おれは、めったに酔わない冨岡が酔ったことや、今日の彼女があまり元気でないように見えることなどを告げるか否か一瞬迷ったが、結局やめにして「なんとなく」と答えた。
自分でもわかるくらい、ぶっきらぼうな声色だった。彼女は曖昧に笑って、なんでもないというようなことを言っていた。


あまりにもひどい土砂降りだったため、遠慮する彼女を説き伏せ、家まで送ることにした。
冨岡が現れたのは、助手席のドアを開けてやり、車内へ乗り込もうとする彼女の頭上に傘をさしているときだった。タイミングが悪い。つい先ほどまで、彼女は自分の傘でその身を守っていたのだ。

「なまえ」

彼女はぱっと花が咲いたようにあかるくほほ笑み、冨岡のもとへ駆けていく。
冨岡が彼女をかばうように傘を傾けたので、おれと彼女のあいだには、大量の雨水がぼたぼたと勢いよく落ちた。
おれは気まずさのあまり、近いし、とか、濡れていたから、とか、そんなことを口走ったような気がする。

「義勇さん、ごめんなさい、来てくれたの」
「土砂降りだったから」
「すみません、ありがとうございます」
「こういうときは置手紙じゃなくて、連絡するか、おれの帰りを待つかにしろ。心配する」

心配、というのには、単純に豪雨の夜に歩いて外に出ることのほかに、おれのような輩に出くわすことについての危険も含まれているように思われた。

冨岡は顔にも口にも出さなかったし、おそらく、安全な住処へ帰ったとて、なにも言わないままでいるのだろう。
伊黒の指摘であるところの「彼女といれば腑抜けになる」は、言い得て妙で、冨岡はまさしく、腑抜けであった。
彼女のやわらかさややさしさのなかには、それを冒すことをゆるさない潔癖さがある。
有無を言わさぬ、清廉の感じがある。
実際、おれは彼女と話していると、息が詰まってしまう。自分の粗暴さで傷つけてしまわないかと、こわくなる。
すなわち「手に余る」ので、どうこうなりたいなどという気持ちにはならないのだ。

そうしてふたりは帰っていった。
よく見慣れた車に乗って。
今日の集まりには冨岡も呼ばれていた。欠席の理由は、家にいたいから、というものだった。


日本酒をもうひと瓶買い足そうと思い立ち、雨にもかかわらず普段どおりに冷えた店内へと戻って、重たいため息をついた。おれも大概、腑抜けである。