言葉が足りなかった、と思った。
風呂は時間など気にせずに入るのがよいに決まっているし、風呂上がりの無防備な気持ちのまま会いたい知人、ましてや異性など自分にはいない。若い女生徒となればなおのこと、そのあたりには敏感なのではないだろうか。
時間が合えば、夜に。
そう言いたかったのだ。
あの言い方ではまるで、一方的に約束を取りつけたかのように、さらには会うことを期待しているかのようにさえ聞こえたかもしれない。
完全に悪手だった。自分は言葉が足りないときがある。
悪癖だとは思うがしかし、癖というものは気がつくことができても、それを治せるか治せないかはまたまったく別のはなしなのだ。
この逡巡が杞憂だったとわかったのは、頬を桃色に蒸気させた彼女が「今日もお会いできましたね」とほほえんだからだ。
ひとりで歩けば十分足らずの道を、おれたちはたっぷりの時間をかけて歩いた。
途中で公園に寄り、彼女はブランコを漕いで、じょうずでしょうと笑ったが、おれにはブランコの上手い下手はわからなかったので、首を傾げるにとどめた。彼女はたのしげに目を細めていた。
乾ききっていない髪の毛が、夜空に散って、尾を引くようなかがやきをともなって揺れた。流れ星のようだった。
「先生明日も来ますか」
「明日でラストだ」
「いいなあ」
そう呟いた彼女の声色にはすこしの嫌味っぽさもなく、羨んでいる感じでもなく、むしろ自らの身に起きたちいさなしあわせをよろこんでいるかのような、ふわふわとやわらかな響きをしていた。
彼女との二日目の夜は、そうしてそっと過ぎた。
三日目の夜に豪雨に遭った。
それはあまりにも唐突な出来事で、おれたちはふたりとも傘を持っていなかった。
彼女が最初のひと雫に「あっ」と声を上げた次の瞬間には、ふたりそろってずぶ濡れで、靴下も下着もまたたく間にだめになった。
着替えを貸して、それから家まで送ると請け合うと、しばらくの押し問答のあとに、彼女はちいさく「すみません」と頭を下げた。
「先生の車、いいにおいがする」
それはひとりごとをそっと置くようなやわらかさでもって放たれた。
海老茶色のパーカーは彼女が着るにはおおきかったが、洗いたてのふっくらとした白い頬とよく似合っており、悪くない組み合わせだと思った。
彼女の輪郭は、過ぎてゆくネオンの色を映しとって、色とりどりに、きらきら、きらきらと光った。
自分の日常にはあまりにもそぐわない光景であった。
彼女の姿は、まるで実態を持たないホログラムのようにも思えた。
虹色の輪郭をした、うつくしいホログラムだ。