片息プラネ

五限目。
保健体育の座学。義勇先生の几帳面でうつくしい流れるような文字で黒板が埋め尽くされていく。
白、青、黄、ピンクと色づいていく黒板は、先生に扱われてうれしいとよろこんでいるみたいだった。

先生は立っているのに、わたしは座っている。制服を着て。ぴったりとしたカスタードイエローのベストの裾を指先でいじりながら。
ちいさな教室にみちみちとつめ込まれるこの窮屈さや、なにもかもを制約された学生というこの身分に、わたしは辟易しきっている。

「みょうじ」

小テストの返却がはじまって、先生の声がわたしの苗字をなぞる。呼ばれた気がしなくって、すぐに返事をすることができなかった。

先生の授業を受けると、わたしはまず幸福な気持ちになって、次に、自分がとてつもなく惨めだと感じる。
わたしにとって、生徒であることはとても恥ずかしいことだった。
こどものわたしには先生にしてあげられないことがたくさんあるし、先生に退屈な思いをさせてしまうことや、がっかりさせてしまうこともきっとたくさんあるはずで、それはとても悔しいことだった。

どんなにあまい夜を過ごしても、ひとたび校門をくぐってしまえば先生はわたしを特別に扱ってはくれなかった。
一介の生徒として、みんなといっしょくたにされてしまう。
学校にいるあいだ、先生の恋人だということは、わたしのなかだけの事実無根の妄想のようになってしまう。

早く放課後になればいい。
今日は金曜だから、授業さえ終われば、わたしは義勇先生のおうちで、義勇先生のたったひとりの恋人のわたしに戻れるのだ。



「なまえ」
制服を脱いでそう呼ばれてはじめて、やっと会えたような気になれる。
わたしはたちまち、まじりけのない幸福な気持ちになって振り返る。

「義勇先生」
「なにか見えるか」
「町のあかりが」

義勇先生がお風呂に入っているあいだ、わたしはリビングのあかりを間接照明だけに落としてカーテンを開け、夜に沈みきった町並みを眺めていた。
ネオンや街灯やテールランプのかがやきがビルやマンションの窓ガラスに反射して、あちこちがちらちらと細かいひかりで溢れている。
星空が落っこちてきたみたいな、上から見下ろす夜の町がだいすきだ。

「楽しいか」
「はい。こうやって町をじっと眺めるでしょう、そうしたらまぶたにひかりが焼けつくんです。まぶたの裏が白っぽくなったなあと思ったらベッドに潜り込むんです。そうすると、町の残滓が星のように天井にちらついて、プラネタリウムにいるような気分になるんですよ」

義勇先生はつめたい麦茶がなみなみと注がれたグラスをわたしの頬へ当てる。
ふふ、とくぐもった声を上げると、まぶたにキスを落としてくれた。先生のキスで、まぶたの裏の星の群れはすっかりどこかへ消えてしまった。先生がいるときは必要のないものだから、特に惜しくはなかった。

「ひとりで」
「ひとりだからやるんです。義勇先生がいないと、なにをしたらいいかわからないんだもの。自由すぎると、かえって持て余してしまいます」
「学校にいるのは不自由だと言っていたのはどの口だ」
「決められたことをさせられるのは、ある意味しあわせなのかもしれません」
「月曜には早く休みになってほしいと泣くくせに」
「先生はいじわるです」
「ベッドで星でも見るか」

わたしたちはしばらくのあいだ、夜の町に落っこちてきた低い星空を眺めた。
学校は窮屈で、学生という身分に収まっていることも不本意極まりないことではあったけれど、義勇先生との出会いはこの縛りが導いたものだし、わたしがもし先生と同い年だったとして、社会という無数のコミュニティの連続で構築された果てしなく広い世界のなかで出会っても、彼のこころを捕まえることはきっとできなかったように思える。
そう考えると、自由とはとてもおそろしいことだった。
義勇先生との関係は、そこにいなければならないという不自由さがもたらした奇跡なのだ。
自由へのあこがれは畏れとほとんどおなじだった。
自由とは、使いこなせないとその身を滅ぼすある種の毒であり、わたしには手に負えない。


「…見えない」
「わたしもです」
「うそだったのか」
「うそじゃないけれど、まぶたに焼けつけるこつは、動かずにひたすらじっと見つめることなんです。わたしはちらほら義勇先生を見てしまったから」

ベッドにもぐりこんで天井を見上げながら、わたしたちはひみつを渡しあうみたいにこっそり笑いあった。

「義勇先生、上に乗って」

そうささやくと、義勇先生はまずわたしのくちびるの端にキスをして、次に下くちびるをごくやわく食み、その次にはお互いの肌にゆっくりと沈んでいくだけというような"ゆとり"のあるキスをくれた。
すこしだけ湿りけのある、やわらかな布のような感触。
義勇先生とわたしの身体がぴったりと重なって、いのちや愛の確かな重たさを感じる。
身動きができなくって、肺やおなかがぎゅうと平たくなってゆき、息をするのもむずかしくなっていく。
は、と吐き出した酸素をわたしのなかへ押し戻すように、義勇先生はまたくちづけをくれる。
くちづけが終わると、わたしは無様に息を吸う。そしてまた深くキスをする。
窮屈で、苦しくて、のぼせてしまったみたいに頭がくらくらする。義勇先生のひろい背中に腕をまわすのが今のわたしに与えられた自由のすべてで、ほかのことはなにもかも、呼吸のタイミングさえもが義勇先生の思うままだ。

「苦しいか」

わたしの頬を包む手のひらのぬるい熱がここちいい。涙でもぬぐうように、まぶたの下を親指の腹が通り過ぎていく。

「苦しいのがいいの」
「変なやつ」

わたしを義勇先生に紐づけるこの身体の、この身分の不自由さが、結局のところいつもわたしを安心させる。
ここ以外に行くところなどない。ここにいるのがいちばん自然だと思わせるこの不自由さを、わたしは心底愛しているのだ。


自由はこわい。そのなかで見限られてしまいそうで。
なにもかもを自由に選べるなか、それでもわたしが義勇先生と共に生きていきたいのだと伝えたら、先生は受け入れてくれるのだろうか。
生徒という庇護からはずれた、ただの一介のこどものわたしを、あいしてくれるだろうか。
もしそうではないとしたら、わたしはありとあらゆるものを手に取り試すことのできる広大な自由のなかで義勇先生ひとりが手に入らないという絶望に押し潰されてしまうに違いない。


「おとなだとは思わないが、こどもとも思っていない。すきなように振る舞えばいい。お前を選ぶ理由に、お前がお前であるということ以上のものはない」

「おとなでもこどもでも、どちらでも構わないということ?わたしがなにをしても、すきでいてくれるということ?」

「いちいち言葉にさせたがるところはこどもだな」


勝気な言葉に思わず眉を下げると、義勇先生はちいさく笑って目尻にキスをくれた。
わたしがわたしであること。思えば、義勇先生がわたしをこども扱いしたことなど、ほとんど記憶になかった。
おとなになると、おとなだとかこどもだとか、そういうことはいちいち考えなくなってしまうのだろうか。こどもであったときの気持ちなど、忘れてしまうのだろうか。
そうであるならば、わたしはこどものわたしの目でしか見られない今の義勇先生を、今以上に懸命にみつめて生きていきたいと思った。

そうしてはたちになったら、まずはじめにすきと言って、次にいっしょにお酒が飲みたい。義勇先生はわたしといっしょのときはあまりお酒を飲まないから。
その次のことは思い浮かばなかった。おとなになってからしかできないことは、存外すくないのかもしれない。
そう思うと急に今だってものすごく自由だという気になって、わたしは窮屈な身分のなかで唐突に手に入った手ごろな自由を宝物のように思った。
おとなの持つ、より純度の高い自由のなかで義勇先生がわたしを選んでくれたという、いつも忘れてしまいがちな、ありがたい事実のことも。

義勇先生の夜色の髪の毛にすっと細い月あかりが落ちて、ちらちらとかがやいた。天の川のようだった。


(ユレモさまへ寄稿 ありがとうございました)