眩暈

縁側から足を投げ出して四角い柱へ寄りかかったまま、義勇さんは黒々とした長いまつげをかがやかせていた。木々のさざめきのあいまあいまに細い寝息が聞こえる。
節ばった長い指が膝の上の本のすきまに差し込まれたままになっている。
ノーカラーのシャツから覗くまっしろなうなじにも、そろそろ慣れてきたころだ。

「またこんなところで」

椿の照り葉が頬や額や高い鼻筋にうつくしい影を落とす。
薄く開かれたくちびるは朱鷺色。しっとりと濡れているその肉のやわらかさを、わたしは触れなくても鮮明に思い描くことができる。
すこしでも強く歯を立てたら、ぷっつりと破れてあまい蜜を吐き出しながらかたちをなくしてしまいそうな、ボンボン・ド・リコールドのように繊細なくちびる。

眠っていると義勇さんは女性のように見える。
短髪になってもそれはちっとも変わらなくて、元来の面差しのうつくしさに由来するものだということがようくとわかる。
刀を置いてからの義勇さんは、ますますやわらかな顔だちになった。
亡くなられた蔦子さんもきっと、目を見張るような美人だったに違いない。

起こしてしまうのがもったいなくて、わたしのこころは触れたい気持ちとそっとしておきたい気持ちとのはざまでぐらぐらと揺れる。

近ごろの義勇さんはよく眠る。
それは、急に呼び立てられる心配がなくなったからだろうか。鬼によって理不尽に消えていくいのちの心配をせずともよくなったからだろうか。
それとも、なにか別の理由のせいなのだろうか。

時折、すこしこわくなるときがある。
このまま目を覚まさないのではないかという気がして、おそろしく。

「……義勇さん」

庭先に下りて頬に触れる。触れられるということを確かめるためだけというみたいにそっと。
やさしい顔をしている。
陽光を照り返すつやつやのまつげが、下まぶたに繊細な陰影を落とす。
ひとたび触れてみると、今度はかたく抱きしめたくなる。そのかおりに溺れてしまいたくなる。くちびるがほしいと思う。
欲望は坂道を転げ落ちるようにあっという間におおきくなって、わたしはいつか取り残される未来のことを思った。
明日いなくなってしまうかもしれないという恐怖と戦っていたころよりはずっと猶予があるはずなのに、今は、いつかいなくなってしまうということがとてもこわい。

「寝込みを襲うのはフェアじゃない」

くちびるが重なる寸前に、義勇さんの手がわたしの右肩を抑える。顔の角度が変わって、深いくちづけがなされる。
みるみるうちに脈が速くなり、心臓がわたしを内側から力任せに叩く。
まるで息を吹き返したみたいに。
義勇さんを感じていないとき、わたしはいつも死んでいるみたいだ。

「起きていたの」
「かわいいさかなの気配を感じたから、泳がせてた」
「……義勇さん、どこにも行っちゃいや」

義勇さんはわたしの浴衣の裾をたくし上げて膝の上に跨らせると、幾度となくくちづけをくれる。
やわらかく降る淡雪のようなくちづけ。
行かないよとは言ってくれないのだろう。
欲しい言葉を待つかなしさの先回りをするように、わたしは言葉を繋げていく。

「キスをしてください。もっとたくさん」

おだやかに降るしびれるような感覚。
義勇さんのくちづけは、色欲にまかせたものではなくもっとたっぷりと叙情的だ。
以前、そういうところがすきだと言ったら、義勇さんは、わたしがどこへも逃げないからだとほほえんだ。
それはとても、アン・フェアだと思った。

義勇さんがどこへも行かないとわかったら、わたしもささくれたった気持ちで彼の眠りを妨げたくなったりはしなくなるのだろうか。
こうして触れ続けていれば、なにものもわたしたちのあいだには入られなくて、ずっとずっと、いつまでもいっしょにいられる。そんな気がしてしまう。
わたしは義勇さんみたいには触れられない。いつも縋るような気持ちでいる。
アン・フェアだ。
いつもこうして溶かされ、ごまかされてしまう。しかしわたしも、迫りくるその恐怖から逃れたい一心で、ごまかされるのをよしとしてしまうのだ。
義勇さんがわたしの輪郭をなぞる。どこに、どんな、なにがあるのかを確かめ、記憶するように。
やさしいその手つきがここちよい眩暈を誘う。

そっと目を閉じた。
まぶたの裏に、義勇さんのただしい姿かたちを思い浮かべることができる。
都合のよい快感にほだされていく。
せつなさの扉を後ろ手で閉めて、わたしはちいさな嬌声をあげた。