回送列車にア・ビヤント

ロマンスカーは平たい。つるつるした箱と、そこに貼ってあるみたいな窓と模様。
杏寿郎さんは、駅の売店で買ったパック入りのおにぎりを頬張って、大変満足そうにしている。
うまい、と笑う。
声がおおきいので、何人かが振り返る。わたしはとっさにかたちだけ苦く笑って会釈をし、申し訳なさそうなポーズを取ってはみるが、内心は愉快さのほうが優っている。むしろ、こころとポーズとのその裏腹さのほうに、すこしだけ申し訳なくなる。

「うまいぞ!」
「わかりましたよ」
「おまえも食うか」
「いいえ、だいじょうぶです。見ているほうがしあわせ。おいしそうに食べる杏寿郎さんがだいすき」

日差しの強い日だから、通り過ぎるたてものや木々や電柱が、車内に、走る縞模様を次々と落としてゆく。
一瞬、なにかおおきなものに遮られて、車内全体がふっと暗くなった。
向かい側から回送列車が走ってきたのだ。わたしはとっさに、そのおおきな車体がわたしたちの車両を陰ですっぽり覆ったものだと思い込んでしまったのだが、しかし、陽は、反対側から差していたはずであると、すこし遅れて気がついた。
はっとして通り過ぎてゆく列車を見つめてみる。列車はわたしたちの乗るロマンスカーをもうほとんど追い越してしまうところで、最後の車両のおしりのあたりと、そのなかを、ほんのすこしのあいだ見とめることしかできなかった。瞬きをすると、ふわりと石炭のような油っぽいにおいがした。
残り火のように尾を引く橙色の虹彩。

「ぼうっとして、どうかしたのか」
「すれ違った黒い車両に、杏寿郎さんによく似たひとが乗っていたの。でもきっと、うん、気のせいだわ」

そう告げてこの会話を終わらせようと思ったのは、先ほどの詰襟の青年が、杏寿郎さんと関係するなにか、否、もっと近い、杏寿郎さんのたましいのようなものであったという確信があったからだ。
やさしい口もとは、さようならと言っているように見えたけれど、それは永遠の別れではなく「また、お元気で」という、前向きな色を含んでいるふうに思えた。力強く未来を見据えるような瞳の底は、燃えるようなかがやきを称えていた。

そっと指先を握り、肩にもたれかかってみる。強く握り返され、祈りたい気持ちでわたしは目を閉じた。彼の人生が幸福に満ちたものであるようにと。正義と義務とですり減るこころへ、どうかそれ以上におおきな愛の訪れがあらんことを。
暗いうなばらを走る、かなしみを乗せた黒い列車。
さようなら、またね。
晴れ渡る空の、夜をもおそれぬかがやきのもとで。