シグナル

湯上がりの背中は、ほんのりと桜色をしていた。
太い背骨、大きく張り出した肩甲骨、白い丘のようなうつくしさ。なだらかな曲線。
長い髪は左右に分けて胸のほうへ持っていっているが、そのひと房だけが取り残されて、首筋に張りついている。

わたしは冷蔵庫でようく冷やしたアマレットをお気に入りのグラスへ注ぎ、その後であっと思い出して、ちいさな氷をひとつ選んでつまみ、慎重に落とした。

「こぼしますよ」

あぐらをかいた膝のすぐ横の、汗をかいたロックグラスを持ち上げて、テーブルへ置き直す。
義勇さんは、うん、と返事をして、慣れた手つきでわたしの横髪を抑え、キスをくれる。
角のとれたウィスキーの、蠱惑的なあまさが口内にとろとろと広がる。
うつくしい背中にちいさな切り傷があった。紙で出来たように浅いけれど、なめらかな白いカンヴァスのなかで、赤くぼやけたその傷あとだけが異様に目立っていた。昨夜、わたしが強くしがみついたときの傷だった。

「ごめんなさい、昨日の、傷になってる」
「いいよ。いつものことだろ」

視線が絡む。繰り返してきた情事のさまざまのシーンを思い出して羞恥にもじもじとするわたしを見つめる強い眼差しに誘われて腰をかがめると、鎖骨のあたりに、かぷりと食むようなくちづけがあった。そのまま強く吸いあげられて、かすかな水音とともに離される。ほとんど湯冷めした身体のなかでそこだけが、熱を持ってじくじくと疼いている。

「つけたの?」
「うまくできた。あいこだろ」

冷蔵庫でチョコレートを冷やしていたのを思い出して、一度その場を立ったあとでも、義勇さんは無防備にはだかの背中を晒したまま、同じ場所で胡座を組み、携帯電話をいじっている。

なるべく足音をおさえて静かに近づき、きんと冷えたチョコレートのケースをその背中へ当ててみる。肩が跳ねて「おい」と低い声で嗜められる。
からかったことへの謝罪の意味で、力強く張り出した左肩の肩甲骨のあたりにくちづけをしてみたが、なめらかな肌のとろけるような熱に当てられてどきどきして、とたんになにも言われなくなってしまった。
わたしは誰かのたからものに触れるようにおそるおそる、震えるくちびるをふたたび押し当てる。
傷口をなぞるようにそろそろと舌を這わせて、上から下へおりるようにそっと、そっと、触れるか触れないかのキスを繰り返してゆく。義勇さんのソープのバルサミックなジャスミンのかおりが身体じゅうに満ちて、つま先までもが、あがる体温とはやる脈を感じている。

「どうした」
「……義勇さんの背中、すきなの」
「それで、ひとりで欲情してるのか」

してない、とは言えなくて、かわりにわたしはまた、黙って腰元へくちびるを寄せた。
おおきな手のひらが前髪をやさしく撫でる。
義勇さんが身体を横へ向けなおしたので、わたしの顔はちょうど彼の股ぐらあたりに収まった。
リモコンであかりが消される。暗闇はわたしをすこし大胆にするのだと、義勇さんは知っている。
いつまで経ってもセックスははずかしい。わたしばかりが余裕なく乱れるさまが。
しかし、無防備なすがたを晒してすきにさせてくれることは、この上なくこころを許してくれているのだと、特別の感じがして、とてもうれしい。
スウェットのウエストバンドへ手をかける。口角のわずかに上がったのを見て、指先へ力をこめた。
浮かされた腰の下へ月明かりが滑り込む。ちらつくぼたん雪の影が義勇さんの白いカンヴァスのような肌へ落ちるのを、三度ほどのまばたきのあいだ見つめて、わたしは目を閉じた。