星棲む瞳

わたしをあいしたことは、忘れても、構いません。
ただし、あなたがあいされるべき人間であり、たくさんの愛に囲まれていること、すばらしいみこころを持っていることを、決して忘れないでいてください。
性別年齢を問わず、すてきな方と生きてください。

花が、風にそっとそよぐように笑うひと。
やさしいひと。



義勇さんは多忙なお方なので、ふたりでくらすようになってからも、ふたりで出かけた記憶は多くない。
だから、今回の産屋敷邸への小旅行は、すばらしく幸福に満ち溢れたものであった。

道中、司令を受けた義勇さんが討伐に向かっているあいだは藤の花の家に預けられていたが、そのとき以外、わたしたちはずうっとずうっと共にいた。ひたと寄り添っていた。
賑わう街のなかでも、しんと冷たい竹林のなかでも、山あいの小道でも。

藤の花の家では、任務を終えた義勇さんが、負傷した隊士をふたり連れて戻ってきた。

「どちらも負傷している。手当を頼む」

義勇さん自身はまったくの無傷だった。
水柱邸の女中だと名乗りながらわたしは、腰に差した刀の柄をかばうようにゆるく握った。
彼らがいのちを賭して戦っているあいだ、ただの一度も刀を抜かずにここにいた、自分が非常に、
はずかしかった。


夜は四組布団を敷き、仏間で雑魚寝をした。
月明かりにしろく照らされた義勇さんの横顔がうつくしく、掛け布団へ焚きしめられた藤のかおりがここちよかったのを色濃く覚えている。
そろそろと手を伸ばして指先を握ると、そのまま引き寄せられたので、わたしはそろそろと義勇さんの布団へ忍び込んだ。
しゅるしゅる、しゅるしゅると、夜の仏間に奇妙な衣ずれの音が響いていた。

かたい胸板に額を寄せながら、わたしは、守られてばかりのわたしが義勇さんよりも先に亡くなるなど、きっとあり得ないことなのだ、と思い、とても、苦しかった。
産屋敷邸へは、わたしが新しい遺書を書いたので、差し替えてもらうために行くのであった。わたしの遺書は、義勇さんに読んでもらうためのものなので、ほんとうは不要のものかもしれない。
義勇さんはわたしが寝つくまでずっと、頭や背中を撫でていてくれた。
そうされていると、時期にこのひとがすき、ということ以外はうまく考えられなくなって、胸を押しつぶしすほどの幸福に抱かれ、すとんと落ちるように眠ることができるのだ。


帰りみち、岬の下にいる義勇さんを見て、わたしは縫いとめられたかのように動かれなくなった。
夕映が義勇さんを真正面から照らしていて、わたしはその背中を見つめていた。
むらさきと橙のあいだのような曖昧な色味のひかりが、義勇さんの輪郭を縁取っている。肩のかたち。脚絆につつまれたかたいふくらはぎのかたち。
後ろで束ねた髪の毛が潮風にばらばらとなびき、羽織もまた、風を受けておおきく後ろへ膨らんでいた。
かすかにのぞく横顔の、そのうつくしさ。
わたしは、義勇さんのうつくしさを、彼自身がよく理解していないことを、いつもせつなく思う。

寛三郎が頭上を旋回してわたしの肩へ止まり、義勇さんがこちらへ振り向いた。

「おいで。こころが落ち着く」
「うん」

足場が悪く、最後は促されて、義勇さんの胸をめがけて飛び降りた。義勇さんはわたしの腰元を掴んで受け止めると、そっと岩の上へおろしてくれた。宙に浮かされたまま、くちづけをした。

「夜がくれば、わたしたちのくらしは脅かされてしまうのに、夕暮れはいつだって、うつくしいものですね」

「この時間帯は、特におまえを思い出すよ」

「どうして?」

「世界を無情の闇に誘う前でも、うつくしくかがやくひかり。やがて朝を連れてくる、希望のひかり」

伏せられたまつげが、つやつやとかがやいている。強い風のなかで、わたしたちはしずかに寄り添いあう。

「義勇さん、わたし、義勇さんの瞳がすき」

「うん」

「義勇さんの瞳のなかには、星がいる。宇宙が見えるの。きらきら、きらきらかがやいて、きれいなの。見せてあげたい。義勇さん、義勇さんの瞳はね、とってもうつくしいのよ」

義勇さんは、すこし間をおいて、もう一度ちいさく、うん、と頷いた。

「だからね、会えない夜にもいつも義勇さんを感じているの。見えたり、見えなくなったりする星々の気配を探るとね、近くにいて、見守ってくれていると、思うんですよ」

夜がそこまで来ていた。
わたしたちはしばらくそこからこの世の果てのような、うつくしい景観をながめていた。
寛三郎はおとなしくしており、その日、司令はひとつもこなかった。



わたしが死んだら、わたしの瞳を、あなたにあげたい。あなたがどれほどすてきなお方なのか、わたしをどれほどやさしく救ってくださったか、すべてが、鮮やかに、詳細に、刻み込まれています。
あなたと見る花や、星や、海が、どれほどうつくしいか。あなたの瞳がどれほどやさしい色をしているのかも。

それと、腕。
わたしの腕は、世界を守るには無力で、なにを守ることも、のこすことも叶いませんでしたが、あなたを抱きしめることのよろこびを知っています。
すべてが終わったあと、かなしい夜などに、あなたの腕になりましょう。

共に生きてくださったこと、ありがとうございます。
わたしを見つけてくれて、選んでくれて、ありがとうございます。
自分のすばらしさを、どうか忘れないで。わたしがいなくても、わたしを忘れても、そのことだけ、どうか忘れないでいて。

どうか自分を責めないで。
わたしのたましいを救ったひと。
いとしいひと。
あなたのこころと共に、これからも、生きてまいります。