知らない土地にいると、空も違う顔をしているように見える。
わたしは脇を締めて携帯電話を高く掲げ、古都の空を指先で切り取った。
仲のよい友人と笑いあって、うつくしい景色を眺め、偉人たちの軌跡をたどる。
確かに楽しかったけれど、いかにも学生然としたはしゃぐ姿を先生に見られてしまうことには、一抹のさみしさを感じた。
わたしの修学旅行は、そんなせつなさと共にゆるゆると過ぎていった。
三泊四日の旅の最後の温泉宿はいちばん広くてきれいだった。
浴場に入る前、制服を脱いだ姿をおおきな鏡に映して、まじまじと眺めてみた。
このはだかの姿が学生に見えるのか、おとなには見えないのか、やはりわたしには判断がつかなかった。
広い肌の面積の、そのほとんどが、先生の触れたことのないところだった。
部屋に戻る途中、閉店後の売店の奥にある人気のない階段の、さらに奥まったところにある缶ビール自動販売機の横に、先生とクラスメイトのおんなのこの姿を見つけた。
ただならぬ雰囲気にすぐ引き返そうと思ったけれど、足も頭もうまく動かなかったから、下手を打つ前にそのままそ知らぬふりを通して階段を上ることにした。
「教え子はそういう対象じゃない」
聞こえてきてしまった先生の冷たい声は、まるでわたしに言われているようで、強く胸を刺した。
わたしは部屋へ着くあいだ、胸の下で固く指を結んだまま、震えるこころがしずまるのを待っていた。
先生へ告白をした彼女は運悪くわたしの同室で、涙で濡れた顔を指先で何度も拭いながら帰ってきたものだから、他の子たちが事情を聞き出そうとこぞって群がり、入り口でおおきな肉だんごができた。
お風呂あがりの若い女子特有のあまいミルクのようなかおりが蔓延する狭いたたきを抜けて、わたしはこっそり部屋を出た。
彼女たちの話は聞きたくなかったし、それに、先生に会える気がしたからだ。
会える気がしたのは、階段へ向かうとき、わたしの首筋に覚えのある視線が刺さった気がしたからだ。
先生は、もう真っ暗なエントランスの外の、よく手入れされたコニファーの木々の向こうにいた。
細い煙が一筋上がっていくのが見える。先生が煙草を吸うのを、わたしは初めて知った。
先生はガラス越しにわたしを見つけると、正面玄関とは反対側の非常扉のほうを指さした。
おおきな出入口はもう閉まっているようだった。
わたしが来ることを知っていたような反応だった。
「義勇さん」
「来ると思った」
「会える気がしたから」
先生はくゆらせていた煙草を携帯灰皿へしまうと、脇に抱えていたペットボトルの水を飲んで、濡れたくちびるを手の甲で拭う。
わたしも、とねだるような視線を送れば、先生はすぐにそのペットボトルを手渡してくれた。
おおきなフードのついた光沢のあるスポーツパーカーがよく似合っていて、先生は今日も格好いい。先生をすきな女子生徒は、彼女以外にもまだたくさんいる。
「教え子は、恋愛対象じゃないんですか」
「断るのにちょうどいい文句だっただけだ」
「否定も肯定もしないんですね」
「なにが言いたい」
「もしもわたしがあなたをすきだと告白をしたとしても、同じことは言わないでほしいと思って」
「……言わないよ」
先生はもう一本煙草を取り出そうとして、そしてすこしためらったのちに、ポケットへしまいなおした。
ライターと煙草と携帯電話の入った右ポケットはそちらだけが重たそうに歪んでいて、まるでパーカーから別のパーツがぶら下がっているようだった。
先生は、いつかわたしがすきと告げるときのために、どんな言葉を用意してくれるのだろう。
「すこし歩くか」
もうそろそろ、教師が生徒たちに言いつけた消灯時間になる。
義勇先生にはきっと、生徒たちの部屋の見回りをするという仕事があるはずだった。
きまりを抜け出して、わたしたちはどこまで行けるだろう。
今夜限りという約束で、生徒という呪いを先生が解いてくれたような気持ちだった。
わたしが今生徒でなくなれば、卒業という概念だって立ち消えて、そうしたら先生と、なんとなくいっしょに、ずうっといっしょにいれるだろうか。それが恋人という立場ではないとしても。
そう考えれば、この夜が明けなければいいのに、と願わずにはいられなかった。
眼前に広がるおおきな池は初秋の月を映しだして、そよ吹く風にしずかに水面を揺らしていた。
ほとりには、いくつものダリアがたっぷりとまるい花を咲かせ、寄り添うように群生していた。
このあまく密やかな逃避行を、わたしはきっと、一生忘れない。