3:ヘブンリー・ブルー

剣の道は知れば知るほど深くて、おもしろかった。
臨時で顧問になった冨岡先生も学生時代は剣道部だったようで、備品の管理の仕方からルールや心得まで、一からすべてを教えてくれた。
口数のすくない冨岡先生だけれどそういったことを教えるのは存外うまく、さすがは教師だなあと、よくよく考えてみればあたりまえのことを思った。
みるみるうちに増えていく知識の数々は、ほとんどが先生から与えられたものだった。
先生は初心者のわたしをなにかと気にかけてくれた。やさしいひとだった。


今日は入部してからはじめての対校試合の日だ。
冨岡先生の車で錆兎くんを待って、そろそろ十五分ほどになる。

「困った寝坊助さんですね」

んん、と低いため息にも似た相槌が返ってくる。
冨岡先生はこの暑さで相当まいっているらしく、ハンドルにもたれかかって気怠げにしていた。
クーラーの風が先生の重たそうな前髪を揺らして、涼やかな目元がはっきりと見える。
後ろ髪がいつもと違って低い位置で無造作なおだんごにされていて、うなじのおくれ毛もふわふわと風に揺れていた。

かけっぱなしのラジオの音とわたしが紙パックの紅茶をストローですする音が狭い空間に響く。
先生がわたしをちらりと横目で見るのがわかった。わたしも先生のほうを気にしていたからだ。

「リプトンのピーチティー、飲めますか?」
「飲める」

くちびるのすぐそばまで持っていったストローを、先生は力なく咥える。
その姿がなんだか動物のあかちゃんのようで、すこしかわいらしい。
思わずちいさく笑みをこぼすと、先生は怪訝そうに首を傾いだ。

「あ、この曲だいすきです」
「渋いな。世代じゃないだろ」
「この年代の歌って、メロディアスでいいですよねえ」
「お前はほんとうに女子高生か」
「ええ、おかしいですか」
「いや。おれもすきだよ」

会話が途切れてしまって、わたしは鼻歌をうたった。
キャッチーなメロディに気分がよくなる。うまいな、と言って先生は笑った。
先生はすっかり回復した様子で、わずかに口角をあげ、ハンドルの上で腕を組んでいた。
白いうなじに汗がにじんできらきらと光っている。
たまにストローを向ければ、先生は無言でごくごくと飲んだ。かわりにチョコレートをくれた。


特に会話もないこの空間が、不思議といやじゃないのはどうしてだろう。
わたしはこういうとき、決まってそわそわと落ち着かなくなり、つまらない義務感からあれやこれやとどうでもいい話を続けようとしてしまうたちだ。
わたしといることがつまらないと思われていたらどうしようと不安になってしまうことで、つい、毒にも薬にもならない話をしてしまう。
それなのに、先生といるときの静けさを、むしろ心地がいいくらいに感じてしまうのは、一体どうしてなのだろう。


先生が上体を起こして、短くクラクションを鳴らす。
謝るジェスチャーをしながら錆兎くんがエントランスから駆けてくるのが見えた。
ねだるように開けられた先生の口内にストローを差し込む。
伏せられたまつげが黒々とひかる。
その女性的ともとれるうつくしさに、ちいさく胸が鳴った。