10:彼方までとばして

任務を終えた冨岡さんはここを離れることになり、わたしたちはすこしの間、帰路をふたりで旅することになった。

ぽてぽてと歩きながら、他愛もないことをたくさん話した。
お祭りを覘いたり、神社に参拝したり、並んでおうどんをいただいたりした。
ミルクホールへ行きたいと言うと、初日は断られたけれど、三日目には連れて行ってくれた。
冨岡さんははじめてのホットケーキをいたく気に入った様子だった。

野犬におびえた夜には手をつないでくれた。
銭湯に寄った夜は、濡れた髪の毛が色っぽかった。
待ち合わせをしたときは、新鮮さに胸が弾んだ。
歩くのが早い冨岡さんは、わたしに合わせて随分ゆっくりと歩いてくれていたように思う。
今歩いている村を越えれば、あとはそれぞれ別々の方角へ進むことになる。

「灯篭流しですね」

遠くの桟橋から橙色のひかりがこぼれて、黒い水面を川下の方へゆらゆらと流れていくのが見えた。
次から次へとこぼれでるひかりが揺蕩う水に映しだされて反射する様は、まるで、水面からかがやく玉が生まれてきているようだった。

ほろほろと溢れでるあかりのひとつひとつに、人々の死者を弔う気持ちが乗せられている。
ひしめくあかりを映す水面は、河川そのものが発光しているかのように、まぶしくかがやいていた。

冨岡さんは、なにを考えながら流れゆくあかりたちを見つめているのだろうか。
長い架橋の上に立ち止まって、わたしたちはじっと、燃えるようなあかりの数々を眺めていた。

「きれい。でも、なんでしょう、とてもせつない気持ちです。こんなにきれいなのに、涙が」

涙はとめどなく溢れでてわたしの頬を濡らした。しずかに、しずかに流れた。
おとうさん、おかあさん、錆兎さん、蔦子さん。目の前で死んでいったひとたち。鬼になってしまったひとたち。今も消えるいのち。尊い灯火。
わたしたちの無力な手から溢れていったいのちが、ほろほろ、ほろほろと淡くかがやく。水面を滑り遠くへ流されていく。
さめざめと泣き続けるわたしの腰に、冨岡さんはそっと手を回した。


「どうしてそんなに裁かれたがる」

いくつものあかりを見送ってから、冨岡さんはしずかに呟いた。
あんなにひしめいていたあかりの数々は、気がつけばもう数えられそうなほどにすくなくなっていた。そろそろ終わりが近いのだろう。

「わからないです。でもきっと、それが楽なんだと思います。苦行を禊であると、頭のなかで都合よくすり替えてしまっているんです。きっと」

すこしの間のあと冨岡さんは、わかるよ、とちいさく呟いた。

「自由や安らぎのなかで、どう振る舞い生きればいいのか、おれにはわからない。身に余るものを与えられると、かえって窮屈で不自由だと感じる。過去を風化させてはいけないという思いが強迫観念のようになり、己は弱いのだと自責しなければ折れてしまいそうになるときもある」

「……鬼に関わったもののさだめなのでしょうか。まるで呪いです」

「お前にもしあわせになる権利がある。刀を握らない権利もあれば、鬼に関わらない権利もある。普通の娘としてしあわせに生きる道もある」

冨岡さんの瞳のなかで橙色のひかりが揺らめく。
しずかに燃える炎のような揺らめきは、落ち着き払った冨岡さんのなかにくすぶる強い意志そのもののようだった。
うまい返しがなにも思いつかなくて、わたしはただ、冨岡さんの名前を呟いた。

「遅くなると危険だ。行くぞ」


橋を渡りきれば、冨岡さんとはお別れだ。
次はいつ会えるのかわからない。もしかしたら会えないかもしれない。
なにかを伝えるなら今しかないかもしれない。けれど、どの言葉もふさわしくない気がしてしまう。
歩き始めた冨岡さんと動けずにいたわたしとの間に、一陣の風が吹く。
呼び止めないと行ってしまう。

「と、冨岡さん」
「なんだ」
「非力なわたしにも、ひとのしあわせを願う権利はありますか」

冨岡さんは、質問の意図がわからない、といったようにかすかに首を傾げた。

「あなたを守る力もなければ共に戦うことも叶わないけれど、わたし、冨岡さんにしあわせになってほしい」
「なまえ」

冨岡さんはやさしい。瞳を見ればわかる。
触れられれば、もっとわかる。
きっと冨岡さんは、自分の懐のうちに入ってきてしまったひとを、みんなその腕で守ろうとしてしまうのだ。
しかし自分の強さを信じることもできない。だから他人と距離を置いてしまう。
それなのに、厚かましく踏み荒らすみたいに近づいたこんなわたしなんかにも足並みを揃えて寄り添ってくれる。
冨岡さん。
わたしはほんとうに、こころの底から、あなたにしあわせになってほしいと願う。


冨岡さんがわたしの前で立ち止まる。
わたしはこのひとを見上げるのがすきだ。
しずかな決意に満ちた顔。
澄んだ海のような瞳。凪いだ夜のような深い色の髪の毛。同じ色の長いまつげ。
不意に冨岡さんの右手がわたしの左肩に触れた。
冨岡さんがすうっと目を細めたから、わたしもつられてまぶたがとろんと落ちてくる。
とと、とと、と鼓動が早くなる。

「あ……」

硬めの髪の毛とやわらかいぬくもり。
わたしの右頬に、冨岡さんの左頬が触れる。
抱きしめられるかと思った。もしくはくちづけをされるかもなどと、はしたなくも。
頬と頬を合わせる行為は、どこかのとつ国では挨拶の意味があると聞いたことがある。
からかわれたのだろうか。
孕んだ熱のひかない頬をおさえる。焼けるように熱い。

「励めよ」

冨岡さんは満足げに笑うとそのまま踵を返して、わたしといたときよりも随分と早く歩いて行った。

「……ぎ、義勇さん!」

揺れる背中にそう呼びかけると、彼はちらりとこちらを振り返り、低く手を上げた。
彼の背中が見えなくなるまで、わたしはずっと橋の上に佇んでいた。

ふとあたりを見渡すと、すっかり暗くなった川に、灯籠がひとつだけ放たれるのが見えた。
桟橋に立っていた黒い影はそのまま草むらに隠れるように消えていった。頭には狐の面をつけていたように見えた。

義勇さん。
もう一度、噛みしめるように呟く。
人々が襲われることなく、鬼と関わることなく暮らせるような、平和な世の中にしたい。
義勇さんのこころの負担を、すこしでも減らすことができたらいいな。
義勇さんと一緒に生きていきたいと、いつか言えるようなわたしになれたら。